「ヴァロワ……卿……」
「殺しては駄目だ。皇帝に罪を認めさせなければ……、フェルディナントも浮かばれない。フェルディナントは決してそのようなことを望んでいない」
   ルディは望んでいない――。
   ……ヴァロワ卿の言う通りだ。ルディは誰の死も望んでいない。皇帝によってあのような目に遭わされても、恨み言ひとつ言わなかったのだから――。
   殺してはならない。
   皇帝自身に罪を認めてもらわなければ――。
   ルディに一言でも謝罪を――。

   引き金に込めた力を緩める。ヴァロワ卿はそっと手を放した。
「……フェルディナントが死んだのか」
   その時、皇帝が僅かに表情を動かして問い掛けてきた。
   責任を感じているのかと一瞬だけ思ったが、違う。きっと皇帝は全ての罪をルディになすりつけるつもりだ。
「……昨日、息を引き取った。あのような刑務所に収監され、身体を弱らせて……。貴方が本当に皇帝だと名乗るのなら、ルディが最後まで宰相としての務めを果たしたように、貴方自身も責任を取るべきだ」
「帝国宰相としての責務を放棄したのはフェルディナント自身だ。あの愚か者が共和国の思想に毒されなければ、私は宰相を解任させはしなかった」
「兄は……、私によく言っていた。国土防衛のためではなく、他国侵略のための戦争を行えば、帝国は必ず滅ぶ――と。兄は最後まで貴方に眼を覚ましてもらいたくて尽力した。帝国は資源の乏しい国だ。長期戦には耐えられない。……そして、帝国が侵略をすれば他国がこぞって非難する。道義的な意味もあれば、帝国という巨大な国家を消滅させる好機となるからだ。兄も貴方にそう言った筈だ……!」

   ルディはよく言っていた。これから先は他国との強調が今にもまして必要になってくる――と。
   そのために、帝国自体がもっと開かれなければならない――と。

『皇帝と皇帝に近しい旧領主層が実権を握っているような国では、もう10年も持つまい。国民も政治に参加するような体制を整えなければ、帝国はいつか滅ぶ』
『……ルディ。危険思想だと非難されるぞ』
『そういう考え方はもう古いんだ、ロイ。……帝国の体制がこの状態を維持しようとするなら、国際会議も黙ってはいまい。国際会議に出席すると、あちらこちらから苦言が漏れ聞こえてくる』
『だが、体制を変えるといっても皇帝も旧領主層も黙ってはいないだろう』
『急激な変化には多数の犠牲が出る。漸次的な変化であれば、たとえ犠牲が出たとしても少ない筈だ。ロイ、帝国はもっと開かれた社会とならなければならない。国民に情報を開示し、議会に力を持たせて、国民の選挙と議会の力で法案を作ることが出来るような――。そうしなければ、帝国は滅ぶ』
   ルディとそんな会話をはじめて交わしたのは、ルディが宰相となって一年目のことだった。その頃からルディは常々言っていた。皇帝をも説得していた。
   いつだったか、酷く疲れた顔をしてソファで眼を閉じていた。どうかしたのかと問い掛けると、ルディは苦笑して、なかなか思い通りにはならないものだ――と言っていた。
   ルディはいつでも身を削って努力してきた。


「ヴァロワ大将閣下!」
   背後から声が聞こえてくる。振り返ると、カサル大佐はじめトニトゥルス隊の隊員達が此方に駆け寄ってくるのが見えた。彼等が漸く到着したのだろう。
   フォン・シェリング大将が皇帝を促し、この場から立ち去ろうとする。その後を追うように将官達が動き始めたのを、拳銃で制す。クライビッヒ中将、フォン・ビューロー中将達が両手を挙げ、降参する。
   残るは皇帝とフォン・シェリング大将、その息子のフォン・シェリング少将だった。その三人の後を追って駆け出すと、ヴァロワ卿が待て、と呼び掛ける。ちらと振り返ると、ヴァロワ卿はトニトゥルス隊のカサル大佐に向けて、此処に居る将官達を捕縛するよう告げているところだった。

   急がなければ――。
   皇帝達を見失う訳にはいかない。ヴァロワ卿には悪いが、角を曲がった三人の後をすぐに追った。

   銃弾が飛んでくる。それを避けて、すぐに銃を構える。そして俺の隣に人の気配がしたと思ったらヴァロワ卿が拳銃を構えていた。
   前方斜め前に向かって二発を放つ。フォン・シェリング少将の肩と足に当たり、彼はその場に蹲った。

「ハインリヒ。皇帝を必ず生かして捕らえるんだ。良いな?」
「ヴァロワ卿……」
「私はフォン・シェリング大将を捕らえる。行くぞ!」

   皇帝が船に向かって走り出した時、ヴァロワ卿が促した。ヴァロワ卿が一発の銃弾を撃つ。フォン・シェリング大将の足下を掠め、フォン・シェリング大将は振り返って応戦の体勢を取る。
   皇帝はフォン・シェリング大将に構わず、碇泊している船に向けて走っていく。

   逃がしてはならない。これ以上――。
   もう終わらせなければ――。
   追いつけるか――? 大丈夫だ、行ける。捕まえられる。
   この距離なら追いつける。全速力で走れば――。


「ハインリヒ!伏せろ!」


   え――?
   ヴァロワ卿の声に従うより先に振り返った途端、ヴァロワ卿の腕が俺を突き飛ばした。
   ズドン――。
   鈍い音が間近で聞こえた。
   今の音、まさか――。
「ヴァロワ……」
   ヴァロワ卿は三発の銃弾を撃ち放つ。二発がフォン・シェリング大将の肩と腕に当たった。
「早く追いかけろ!」
   ヴァロワ卿は右胸を押さえながら言った。
   其処からは血が溢れ出していた。
「ヴァロワ卿、怪我を……」
「構わん、行け! 早く! この機を逃すな!」
   皇帝は船まであと少しというところだった。拳銃を構え、彼の足下を狙う。二発の銃声に皇帝は怯んで一歩下がり、此方を振り返った。その隙に皇帝の許に走っていく。


[2010.4.9]