拳銃で威嚇しながら走り、何とか皇帝の腕を掴む。皇帝は手にしていた拳銃を此方に向けようとした。引き金に指がかかる前に、それを蹴り上げる。
「貴様……っ!」
「陛下! 見苦しい真似はお止め下さい!」
   刹那――。
   背後から、五発の銃声が聞こえた。

   ヴァロワ卿か――。
   ヴァロワ卿がフォン・シェリング大将を仕留めたのだろう。残るは眼の前の皇帝だけだ――。

「ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲン! その手を放さぬか!」
「放しません……! 貴方に罪を認めてもらうまでは……!」
   皇帝はぎろりと此方を見、必死に手を振り解こうとした。此処までの事態になってもまだ逃げようとするのか。
   この男は本当に俺が知っている皇帝なのだろうか。玉座に堂々と腰を下ろし、   至高の存在として権力を揮っていたあの皇帝なのだろうか――。
   つい手が放れ、その隙に皇帝は拳銃を拾い上げる。
   そしてその銃口をこめかみに当てた。
   咄嗟に、拳銃を撃ち飛ばす。手を負傷したようで、もう片方の手で押さえながら俺を睨み付けた。
「ハインリヒ……!」
「罪をお認め下さい……! 陛下、私は貴方を無能な人間だとは思っていない。兄も……、貴方のことを評価していたんだ……」
   左手で皇帝の腕をもう一度掴む。尚も逃げようとしてか手を振り解こうとしたが、それが無理だと悟ってか、皇帝の力が緩んだ。
「閣下!」
   トニトゥルス隊の隊員が駆け寄って来る。彼等に皇帝の身柄を預けた。皇帝には手錠がかけられ、両脇を隊員に抱えられながら連行された。


   これで、終わった――。
   安堵感と共に胸にぐっと悲しさが押し寄せてくる。それを堪えるために、拳を握り締めた。まだ事後処理が残っている。ヴァロワ卿と相談して――。

   そうだ、ヴァロワ卿――。
   俺を庇って右胸を負傷していた。早く手当を――。

   ヴァロワ卿は何処に――。
   振り返り、ヴァロワ卿の姿を探す。
   ヴァロワ卿は座り込んでいた。昨晩から皇帝を追っていたというのだから、疲れ果ててしまったのだろう。
「ヴァロワ……」
   呼び掛けた時、ヴァロワ卿の身体が前のめりに倒れていった。

「閣下!」
   カサル大佐がヴァロワ卿の許に駆けつける。
   一体、何が起こったのか解らなかった。カサル大佐が俯せに倒れたヴァロワ卿の身体を、仰向けにする。

   まさか――。
   まさか……!

「ヴァロワ卿!」
   深手だったとは思わなかった。ヴァロワ卿はあの後もフォン・シェリング大将と応戦していたから――。

   そうだ――。
   あの時の銃声。
   まさか――、あの時の銃声は――。
   ヴァロワ卿が撃たれた音だったのか……?
   あの時の銃声は、ヴァロワ卿がフォン・シェリング大将に放ったものだと思っていた。否、フォン・シェリング大将の身体はヴァロワ卿から少し離れたところにある。倒れていて、今、布がかけられた。死んだということだ。


   しかし、カサル大佐の足下に倒れているのは紛れもなくヴァロワ卿で――。
   右胸と、腹部、そして大腿部を撃ち抜かれていた。
「ヴァロワ卿……!」
   その唇からは血が流れ出していた。
   ヴァロワ卿――と、何度か呼び掛けると、ヴァロワ卿の眼がゆっくり開く。そして唇が少し動いた。
「喋らないで下さい。すぐに病院に連れて行きます」
   カサル大佐は既に救急車を呼んだことを告げた。上着を脱いで、袖を切り、ヴァロワ卿の腹部と右胸を押さえる。それでも血がどくどくと溢れ出す。
「ハインリ……ヒ……」
「喋っては駄目だ! 血が……!」
   ヴァロワ卿の口から血が溢れ出す。肺を傷付けたに違いない。早く救急車が到着しないか。早く手当をしなければ――。

   ヴァロワ卿の手が伸びてくる。すぐに救急車が来るから――と、その手を握り締めて伝える。
   ヴァロワ卿は笑みを浮かべた。
「……頑張れ……よ……」
「ヴァロワ卿……?」
   上下していた胸が、その動きを止める。眼が、虚ろになり――。
   駄目だ……。駄目だ……!
「ヴァロワ卿、ヴァロワ卿!!」



   救急車が到着したのはその直後のことで、ヴァロワ卿に蘇生の処置が施されたが、息を吹き返すことは無かった。
   ヴァロワ卿はフォン・シェリング大将とその息子のフォン・シェリング少将を一人で倒した。二人とも絶命しており、激しい銃撃戦の跡が窺えた。
   ヴァロワ卿の射撃の腕は俺もよく知っている。射撃場で何度か競い合ったこともある。正確な射撃だった。
   だから――。
   ヴァロワ卿が万全の状態で臨んでいれば、銃弾に倒れることは無かった。
   俺を――、俺を庇ったから――。
   皇帝を追うことに夢中で、確認を怠った。フォン・シェリング大将の銃口が此方に向いているとは考えなかった。
   ヴァロワ卿はその俺を庇い――。
   利き腕のある右胸を負傷した状態で、フォン・シェリング大将と応戦した。



   俺はまた――。
   俺のせいで、大切な人を失った――。


[2010.4.10]