宮殿から屋敷までは車で十分とかからない。ケスラーが玄関の前に車を横付けしてくれた。すぐさま車から降り、玄関の扉を開ける。ルディの部屋から出て来たフリッツが駆け寄って来る。
「ハインリヒ様……! お早く……!」
   ルディが昏睡状態にある――と、フリッツが言った。トーレス医師に促されて、俺に連絡をいれたのだという。

   トーレス医師が俺を呼ぶように言った――? それは最悪の事態を想定しているということなのか。
   まさか、そんな筈は――。
   昨日のルディはあれ程――。
   階段を駆け上がろうにも、足が上手く動かない。
   縺れるようで、早く走れない――。
   ルディ――。


   フリッツがルディの部屋の扉を大きく開いた。部屋に入って見えたのは、ミクラス夫人とパトリック、それにトーレス医師と看護師の姿だった。彼等がルディのベッドを取り囲んでいた。

   ルディの側に歩み寄る。
   ルディは口に太い管を挿し込まれていた。その傍らでトーレス医師が、ルディの心臓から伸びている細い管に薬を投与していた。注射器の中身が全てルディの身体の中に入ると、トーレス医師は心電図を凝と見つめる。それから俺の方を見た。
   深刻な表情をしていた。近くに居たミクラス夫人はただ――泣いていた。
「呼吸が停止し、脈拍の低下も止まりません」
「……どういう……ことだ……?」
「フェルディナント様のお身体は限界に達しています。数時間のうちに心肺停止状態となります」

   心肺停止――?
   嘘だ――。
   今朝は元気に見送ってくれたではないか。
   何も変わりなかったではないか――。

「そんな……筈は無い……。今朝は何とも……」
「急に昏睡状態に陥ったようです。今、二度目の強心剤を投与しましたが……」
   ルディ――?
   何故――。
   何故だ――?

「……手術を早めることは……、今日これから移植をすることは出来ないのか……!?」
「心臓も肺もまだ形成が終わっていません」
「何とかならないのか……!?」
「……申し訳ありません」

   手術まであと四日に迫っていた。たった四日。四日なのに――。
「ルディ……、ルディ、起きろ」
   ルディの腕を掴み、身体を揺さぶる。眼を開けさせようとした。
   手術を頑張ると言っていたではないか。快復を約束したではないか。
「ルディ、ルディ!」

   何度も何度も呼び掛けた。
   頬を叩き、意識を回復させようとした。ルディのことだ。ふと眼を覚ますかもしれない。今この瞬間にも、呼吸と脈が復活するかもしれない。
「ルディ!快復すると言ったじゃないか……!」
   ルディはぴくりとも瞼を動かさなかった。呼吸も停止しているということが信じられないほど、ルディはただ眠っているかのように見えた。


   ピッピッピッと間隔を開けながら鳴る心電図の音が、徐々にその間隔を広げていく。トーレス医師が再び薬を投与する。暫くするとまた間隔を狭めて、その音が鳴り響く。
   必ず目覚める――。
   その筈だ。ルディは手術後のことを、あれだけ確りと見据えていたのだから。
   今、諦める筈が無い。
   約束したのだ。一緒に連邦と共和国を巡ると。
   あの時のルディは嬉しそうな表情をしていた。だから――、絶対にルディは目覚める。数時間後には必ずまた――。


   ルディの鼓動がまた弱々しくなる。つい先程、投薬したばかりだった。トーレス医師は看護師から注射器を受け取り、薬をルディの身体の中に流し込む。
   何度目の投薬か――、もう解らないほど、同じことが繰り返されていた。
   ルディはぴくりとも動かない。


「ハインリヒ様。手を握って差し上げてください」
   心電図の音がその次に乱れた時、トーレス医師は俺に促した。ルディの手を取った時に触れた手首からは、殆ど脈を感じることが出来なかった。
「ルディ……」
   その手を握り締める。ルディが手を握り返してくれるかもしれない。まだ暖かい。大丈夫だ。ルディは少し弱っただけだ。
   絶対に大丈夫だ――。
   必ず――。
   また必ず――。


   トーレス医師が薬を投与する。
   だが、それから暫く経ってもルディの乱れた脈は元に戻らなかった。心電図の音がその間隔を広げていく。
「ルディ……?」
「フェルディナント様……!」
   ミクラス夫人やフリッツが叫ぶように呼び掛ける。
   ピッと音を立てた心電図が音を止める。
   それからピーッと長い音を奏でる。

   トーレス医師が一度ルディの身体から離れるように指示した。握っていた手を放し、側を離れると、ルディの身体に除細動器が装着される。
   ルディの身体が一度大きく動いた。
   心電図の波形が大きく触れ、その動きを復活させる。ところが、暫くするとまたピーッという無情な長い音を奏でる。トーレス医師は何度かそれを繰り返した。

   ……嘘だ。
   これは悪い夢だ。昨日はあれだけ具合が良かったではないか――。

   トーレス医師はルディの瞼をそっと開き、其処に光を翳す。
   それから時計に視線を下ろして、此方を見遣った。
「午後6時23分、ご臨終です」


[2010.4.6]