昨日、帝国に国際会議で認められた3つの要求をつきつけた。その回答が本日、帝国から送信された。
『帝国はたとえ世界中を敵に回したとしても、自国の利益を守るために最後まで戦う』
   同時に再びシーラーズから共和国へ侵入を始めた。それを受け、国際会議での承認を背景に、新トルコ共和国とアジア連邦、北アメリカ合衆国の軍は連合軍と称して、帝国への応戦を開始した。
「帝国が戦争を停止する意志の無いことは、本日の回答を聞けば明らかだ。共和国の防衛を強化しつつ、帝国への侵攻を開始する。それに応じて、部隊を編成する」
   会議室にはずらりと将官達が立ち並んでいる。今朝、本部ならびに支部の将官を招集した。遠くの支部の者は欠席しているが、本部と近隣支部の将官は全員が集った。この場で、これから帝国に向かう将官と、この本部に残る将官についてムラト次官から発表される。隣に控えていたムラト次官にそれを促すと、ムラト次官が書類を見ながら読み上げる。
「帝都侵攻までの指揮官はマームーン大将だ。帝都侵攻後、長官を総指揮官として隊を編成する。長官の護衛としてハッダート大将、イムラーン中将、アジーズ少将。帝国に向かうのは今読み上げた将官達だ」
   イムラーン中将は本部所属ではなく、アダナ支部所属の将官だが、帝国に一時留学していたこともあって帝国の地理に詳しい。アジーズ少将もバスラ支部所属の将官で、射撃の名手と称されている。
   それぞれ腕っ節には自信のある将官ばかりで、彼等を慕う部下達も多い。ムラト大将は軍に所属する兵士全員の長所・短所を全てといっても過言でないほど把握しているから、こうした人選は任せるに限る。
「それから、見て解るように本部所属の将官が不足している。このような有事であるから、中将級と少将級を一人ずつ増員する。昨日、人事委員会の了承を得てきた。正式な辞令は本日午後に人事委員会から送られてくるが、この場で発表しておく。スピロス・ハリム少将、中将に昇級、アスラン・ラフィー准将、少将に昇級。それに伴い、ブルサ支部から……」
   ムラト大将は支部から本部に転属する将官達の名前を告げる。そのなかで、ハリム少将とラフィー准将はただただ自分達の昇級人事に眼を見開いていた。この人事のことは今迄誰にも伝えていなかった。ムラト大将と俺の間で決めたことだから、二人が驚くのも無理も無い。

『本部は中将が出払ってしまうことが多い。だから急な案件は俺達の手で処理することになるだろう。そうした仕事が積み重なると些か俺もお前も手が足りなくなる。かといって、アクバル中将やバシル中将の勤務時間をこれ以上増やす訳にもいかん。支部から中将を二人此方に連れて来たいが、どう思う?』
   ムラト大将から相談を受けたのは先週のことだった。中将の増員の必要性は俺も考えていたところではあった。しかし、異常時の今、本部での執務に慣れていない者を任命するのは気が引ける。それこそ、ムラト大将やアクバル中将達の足手纏いになりかねない。
『ムラト大将。ハリム少将を中将に昇級させましょう。彼ならば本部のこともよく解っていますし、能力も高い』
『ハリム少将は確かに中将に相応しいが、エスファハーンでの一件がある。人事委員会が簡単に認めると思えんぞ』
『逆に言えば、エスファハーンで最後まで私を守ってくれた人物です。人事委員会には私から話を通します。そして、ラフィー准将を少将に昇級させましょう』
『大胆な人事だな。……まあ、二人とも此処での年数は長いが……。しかしそうなると、准将が不足……ああ、そうか、准将を支部から連れて来いということか』
『ええ。テオも本部での仕事に慣れてきましたし……、尤もラフィー准将には暫く准将の教育係も兼ねてもらうことにはなりますが』
『だが確かに、その人事の方が物事を円滑に進められるな』

   そうして今回の人事が決まった。支部から本部に、准将級を二人転属させることにすれば、たとえ俺がこの本部を留守にしても、ムラト大将は円滑に執務を進めることが出来る。
「したがって、連合軍が帝都に侵攻した折は、アクバル中将、バシル中将、ハリム中将が軍本部に残り、私と共に将官達に指揮を下すことになる。少将ならびに准将は遅延無く業務を行うように。――長官」
   ムラト次官は話し終えると、俺に言葉を促す。こうして将官達を集めて訓辞を行うのは、昨年の演習以来のことだった。
「ムラト次官から発表があったように、このたび大幅な人事を行った。この国は今、帝国からの侵略を受け、情勢が安定していない。国民は過日の戦闘とミサイル攻撃で不安を抱えている。君達の間にも動揺が窺えるが、この事態だからこそ、通常通りの業務遂行を心掛けてほしい。国民の不安を煽ってはならない。そしてこの戦争が早期に終結するよう、一丸となって尽力してほしい」
   全員が敬礼する。此方も敬礼でそれに応える。これで一通りの通達は終わった。あとは遠方の将官達に人事異動を通達するだけだった。
   ムラト大将が解散を告げると、各人はそれぞれの部署に戻っていく。俺はこれから財務部との会議があった。

「長官」
   本部の執務室に戻ろうとしていたところ、ハリム少将が声をかけてくる。一歩下がったところにラフィー准将も居た。
「二人とも宜しく頼むぞ」
「私もラフィー准将も昇級には些か時期が早いかと……。それにエスファハーンで長官をお守り出来なかったのに」
「あれは私の判断ミスだ。二人ともよくやってくれた。それを踏まえての人事でもある。ハリム中将もラフィー少将もこれからますます忙しくなると思うが、宜しく頼む」
「レオンの言う通りだ。浮かれている暇など無いから、覚悟しておけよ、ハリム中将」
   背後からアクバル中将が近付いて来て、ハリム少将――否、中将の肩を掴んで言う。アクバル中将はムラト大将と同年で、俺より三つ年上の先輩だった。三年前に本部に転属となり、それ以来ずっと俺やムラト大将を支えてくれている。
「アクバル中将……」
「本部に居る年数が長いから、どういう仕事をするのかは解っているだろう。これで漸く俺も本部の部屋で腰を落ち着けることが出来る」
「期待を裏切って済まんが、ハリム中将は暫くは部屋での仕事に専念してもらう」
   ムラト大将がアクバル中将に向かって釘を刺す。何だ、折角、中間管理職の苦労を解ってもらえると思ったのに――とアクバル中将は嘯いた。充分、好き放題やっているではないか――とムラト大将は返してから、ハリム中将とラフィー少将に向き直った。
「人事委員会から午後1時に呼び出しがある。辞令書と同時に新しい制服が支給されるから、着替えたらすぐ本部に戻ってきてくれ。1時30分に今度本部所属となる准将達と顔合わせをするから」
「解りました」
   二人は敬礼をし、その場を離れる。勤務態度の真面目な二人のことだ。早々に今の仕事を終わらせるつもりなのだろう。そういえば、テオも解散が告げられるとすぐに何処かへ去っていった。昨日、久々に夕食を共にした時も忙しいと言っていた。こんな時期だ。忙しいのも無理は無い。


「レオン。お前の腕は俺もよく知っているが、帝都に入る時には気を付けろよ」
「アクバル中将……」
   アクバル中将は本部に所属しているとはいえ、中将という階級柄、各部との交渉に勤しんでおり、部屋に居る時間は殆ど無い。こうして顔を合わせて話をするのも久しぶりではないだろうか。
「前の戦いとは帝国軍の上官が違う。今度は捕虜ではなく、確実にお前の首を狙ってくる。俺はお前の首など拝みたくないからな」
「ええ。充分に気を付けます」
「シャフィークに護衛させるから大丈夫だろう。レオンが勝手に離れない限りな。……それに前回とは数が違う」
「確かに、うちの長官閣下はふらりと姿を消すからな。少しは自重頂きたいものだが……」
「……きちんと連絡は取りますよ」
   長官として自重しろ、ということは昨日、ムラト大将からも注意された。帝国に向かうことについては了承してくれたが、危険な行為には及ぶなと何度釘を刺されたことか。
「今日は5時には帰ると言っていたな。病院か?」
「ええ。祖母の様子を見にいって来ようと……」
「まだ退院出来ないのか?」
「もう歩けますし、投薬治療も終わっているので、元気は取り戻しているんです。本人は退院する気満々なのですけどね。でも高齢ですから、大事を取ってもう少し経過を見ることにしたので」

   連合軍がついに帝国に侵攻する。ミサイル基地と宮殿の包囲が主な目的で、軍事基地や軍需工場以外の攻撃は禁止されている。本隊が帝都を半ば制圧したら、俺は空路で帝国に入る。


   ルディ――。
   もうひと月が経った。共和国には宰相のことは何も耳に入ってこない。もしルディが宰相に留まっていたら、今回の要求について、たとえそれを拒むにしてももう少し時間をかけた筈だ。
   ルディはもう宰相の座に居ない。そうなると、処刑されたか、それとも捕らわれているかどちらかということになる。
   これは俺の推測だが、おそらく収容所か刑務所かに捕らわれているのだろう。帝国にはルディを支えるヴァロワ長官達がいる。だから、そう簡単に処刑には出来ない筈だ。
   だから、ルディはまだ生きている。そう考えると、早く救出したいが――。
   済まない――。
   まだ時間がかかりそうだ――。


[2010.3.7]