共和国軍――否、連合軍が帝国に侵攻を開始した。
   当然のことだ――と言えるだろう。帝国は通告もなくミサイルをエスファハーンに向けて発射した。人的被害は少なかったと聞いているが、エスファハーンの大地は焦土と化したから、再生するまで時間がかかるだろう。

   ミサイルを放つべきではなかった。
   だが、止められなかった。御前会議で反対していたのは、私だけだった。他の将官達は全員、フォン・シェリング大将に従う者達ばかりで、彼が提案すればそれに追従する。此処に居ても私は何も出来ない。私は数合わせの将官に過ぎない。
   そればかりか、私の直属の将官達は支部に転属され、本部から遠ざけられた。この軍務省のなかで私が一人孤立した存在となっている。

   解っている――。
   それがフォン・シェリング大将の魂胆なのだということも。
   思いあまった私が退役するように仕向けているのだということも。
   だが、こんなことで辞めてやるものか――。

   ミサイルのことも、以前から追究していたことだった。ハインリヒや宰相と共に。
   資金の奇妙な流れ、もしかしたらミサイルを保管しているのではないかと眼をつけていた宇宙開発事業団体の場所――これらは全て把握していたことだ。ただいつも、ミサイルを見つけられなかった。発射台でさえ、巧妙に隠してあった。
『すぐに転用出来る形で保管しているのかもしれない。そうだとすると立証が難しい』
   宰相が以前、そう言っていたことがある。まさしくその通りだったということだろう。ならば、フォン・シェリング家からの資金の流れを止めようと、宰相とハインリヒが動いたことがある。
   ロートリンゲン家がその団体にフォン・シェリング家以上の出資を提案する。その代わり、資金の使途を明確にさせる――と。宰相が資金提供を申し入れたが、彼等は丁重に断った。そのことから考えても奇妙なことだったが、この開発に関わるフォン・シェリング家のやり方は徹底していて、ロートリンゲン家でさえ横槍を入れることが出来なかった。

   宰相もハインリヒも常にフォン・シェリング家のミサイル保有を気に掛けていた。
   だから、共和国にミサイルが発射されたことを知ったら、宰相は酷く悲しむだろう。どのような手段を使ってでも、フォン・シェリング大将を追及すべきだったと自分を責めるに違いない。
   私の力だけではフォン・シェリング大将の暴走を止められない。否、私だけではない。この軍務省で彼を止められるだけの人物は居ない。

   では彼一人が居なくなれば、軍務省は元通りになるのだろうか――。
   それを考えてみれば、そうではないことがすぐに解る。今度はフォン・シェリング大将ではない他の人物が軍の頂点に立つだけのことだ。
   結局のところ、フォン・シェリング大将も皇帝の傀儡に過ぎないのだから――。


   皇帝は名君だと讃えられてきた。
   果たして彼は名君なのか――。

   試験による公正な官吏登用や辺境地区への物資支援、旧領主層の限定付きの特権排除――確かに彼の治世の間には大きな変化があって、それらの利益が国民に還元されているように見える。官吏達と意見を交換し合う会議にも積極的に参加する。一見すると、良き君主に見える。
   だが試験による官吏登用以外は、宰相が全て整えたものだ。皇帝は宰相の提案を受け、動いていたに過ぎない。そして宰相はもっと多くのことを皇帝に求めてきた。旧領主層のあり方を変えるように、経済活性化のために貿易関税率を低下させるように、議会にもっと権限を持たせるように――、そうした宰相の提案は全て皇帝によって排除された。

   皇帝は皇女達を失ってから、一変してしまった訳ではない。元々そういう人間だった。それが、皇女達が居なくなるまでは隠されていただけのことだ。言うなれば、何かの蓋が外れて中身が零れだしたような――。
   皇帝は自分に都合の良い政策だけを受け入れてきた。良き君主を演じるために、宰相の提案した政策も部分的に採用した。賢しいことに、皇帝は国民がどういう君主を望んでいるのかをきちんと把握している。だから、彼の闇の部分は押し隠した。宰相の前ですらも。
   宰相は旧領主層の特権の排除や、帝室を維持するための費用を削減して、減税を行ったから、国民には定評がある。皇帝は悪く言えば、そんな宰相を利用していた。

   そして、以前から、疑問を抱いていた。皇帝は宰相を重用しているのに、フォン・シェリング大将との縁が何故切れないのか。フォン・ルクセンブルク家との関係があるからだと思っていたが、今回のミサイルの一件ではっきりと解った。

   皇帝はフォン・シェリング大将と水面下で繋がっている。フォン・シェリング大将がミサイルを保有しているということも、皇帝は事前に知っていたに違いない。
否、きっと知っていたというだけではない。何らかの形で支援していた筈だ。
   ではそれだけの親密な関係でありながら、何故、宰相を皇太子と選んだのか。フォン・ルクセンブルク家のフレディ・フォン・ルクセンブルクを指名しなかったのか。

   こうして一人になってじっくり内情を考えてみて解ったことだ。そしてこれで全てが納得出来た。
   皇帝はロートリンゲン家とフォン・シェリング家を上手く使い分け、彼にとって都合の良いことばかり吸収していたことがよく解る。
   したがって、フォン・シェリング大将が居なくなっても、今度は別の人間が皇帝の傀儡となるだけだ。
   多かれ少なかれ、私達は皇帝の駒だとは思っていたが、こんな皇帝の駒になるつもりなどない。皇帝のための帝国など要らない。
   では私は何をすべきか――。




「ヴァロワ大将閣下!此方にいらっしゃいましたか!」
   宮殿の中庭で思案していたところ、特殊部隊トニトゥルス隊のカサル大佐が私を呼んだ。彼が宮殿に足を運ぶなど珍しいことだった。
「本部に行ったらいらっしゃらなかったので……。探しておりました」
「それは済まない。しかし君が何故本部に……」
「報告があって参りました。本部でクライビッヒ中将にも報告したことなのですが、閣下のお耳にも入れておこうと思いまして……」
   失礼します、とカサル大佐は言って、一歩近付く。さっと辺りを見渡したが、幸いにして、この中庭に軍の人間は居なかった。
「ラッカ支部が制圧されたという話をお聞きになっていると思います。ウールマン大将は支部から避難して帝都に向かっていたのですが、共和国軍に捕らえられました」
「ウールマン大将が!?」
   ラッカ支部制圧の話を聞いた時、ウールマン大将の安否をすぐに確認した。彼は数人の部下と共に支部から脱出したと聞いていたから安心したのに――。
「敵と遭遇し、応戦しても勝算が無いと考え、自ら投降なさったとのことです」
「そうか……」
「その他にも支部の将官、佐官達は続々と捕らえられています」
「……だが、戦地に居るより捕らえられたほうが余程安全だ」
「閣下……?」
「共和国の長官は惨いことはしない。ウールマン大将も今頃、共和国の今回の指揮官、マームーン大将と会っていることだろう。マームーン大将はアンドリオティス長官側の人間だから、捕虜となっても人道的に対応してくれる筈だ」
「……そうですね。敵国の長官ですが、私もアンドリオティス長官を評価しています。あのような長官ならば、命を賭けた戦いを行う覚悟も出来ますが……。先程、クライビッヒ中将が言っていました。何故ウールマン大将は最後まで抵抗しなかったのか、出来ないのなら自害しなかったのか……と」
「彼らしい言葉だ。自分が戦地に立っていれば良いものを」
   ウールマン大将は一緒に居た部下達のことを考え、投降したに違いない。あの時のアンドリオティス長官と同じように。

「ヴァロワ大将閣下」
   カサル大佐は改まった様子で背を正して向き直る。
「トニトゥルス隊一同、私達は閣下の御命令にのみ従います。この戦闘で命を失うのなら、自分で選んだ上官に従いたいのです」
「カサル大佐……」
「御命令があれば馳せ参じます。では、あまり長居をすると怪しまれますので、失礼します」
   カサル大佐は敬礼して、私の前を去っていく。彼の言葉に驚いて、言葉を返すことが出来なかった。私の側に立つと必ず不利になるというのに、トニトゥルス隊が私の味方についてくれるとは――。


[2010.3.8]