家でのハインリヒの様子は、特に変わった様子も無かった。フェルディナントと語らったり、庭で身体を動かしたりして過ごしていた。

   一週間の自宅謹慎期間が明けた日に、ハインリヒを連れ学校へ謝罪に赴いた。士官学校に足を踏み入れるのは、卒業以来のことだったが、校舎も寮も何も変わっていなかった。
   まずハインリヒの担任の許に行って謝罪をし、それから学校長のカルナップ大将の許に行った。喧嘩を仕掛けられたとハインリヒが言っていたが、そのことを周囲に居た者が証言したようで、怪我をした相手側にも処分が下ったらしい。
   ハインリヒは二度とこのような問題は起こさないことを約束し、始末書を提出した。帰りの車中で、ハインリヒはごめんなさい、と私とユリアに向かって再び謝った。その時こそ落ち込んでいたものの、翌日からはいつも通りの元気を取り戻し、フェルディナントと街に出掛けることも度々だった。


「心配していましたが、すっかり元気を取り戻したようですね」
「あまり元気が良すぎるのも困ったものだがな。まったくフェルディナントと一歳しか違わんのに、未だ落ち着きが無い」
「ルディがあの年頃にしては大人しいんですよ」
   ユリアは笑って言ってから、あの一件はどうなりました――と尋ねて来た。
「一件?」
「惚けないで下さいな。ロイが怪我をさせた相手の方のことです。貴方一人で何かなさったのでしょう?」
   ユリアが心配するからと思い、相手側からの連絡は全てフリッツから直接私に報せてもらうことにしていた。フリッツには前もって、ユリアや子供達に気付かれないように処理するように告げておいた。
「治療費と慰謝料は第三者が見ても充分なほど支払っている。後のことは弁護士を通じて頼むことにしたまでだ」
「相手の方は何と?」
「先日のことだが、息子が軍に入ったら昇級の際の推薦人になってほしいと言ってきた。これはきっぱりと断った。それとこれとは別問題だ、と」
「そうでしたか……。相手の方の怪我の具合は?」
「医者の方から聞いた話では、もう傷跡も無いらしい。念のために先日、精密検査を受けてもらったが、何も異常は無いそうだ」
   ユリアは安堵した表情を見せる。医者はもともと大した傷では無かったと教えてくれた。此方が相手に手渡した治療費も高額すぎると言っていたが、元はといえばハインリヒが悪いのだから、仕方が無い。

「しかし……、学校が始まったら一度士官学校に行ってみるつもりだ」
「……そうですね。ルディがロイから聞いた話は私も気に掛けています。……でもフランツ、貴方が行くと却って話を拗らせてしまうのでは……?」
「私もそう考えたが、どうも根が深い問題のようだ」
「親として学校に行くということなら私が参ります」
「いや、軍関係者として行ったほうが対策を講じてもらえるだろう。アントン中将と話して考えた末の結論だ。それにユリアが行けば、却ってハインリヒを特別扱いしかねない。旧領主家から苦情が来たから処理をしなければならない、と思われるだけだ」
   私が行き、たとえハインリヒを優遇しても、私は何の配慮もしないことを明言する必要がある。そしてせめて士官学校内では、旧領主家であれ差の無い対応をするように言い添えたい。





   休暇が終わり、ハインリヒは士官学校へ戻っていった。短気を起こすのではないぞ――と注意したら、はい、と笑って応える。この分なら大丈夫か――と思った。
   それから十日経って、半日休暇を取り、士官学校へと出向いた。カルナップ大将はにこやかに出迎えてくれた。
「お話があるとのこと。御子息のことでしょうか?」
「ええ。実は聞き捨てならないことを聞きまして……」
   これまでのことを纏めて話すと、カルナップ大将の表情から笑みが消えていく。改善すべき点は改善する――と彼は言った。特に試験問題の件は厳重に教官に注意してくれることになった。
   その後、折角だからと促されて、ハインリヒの授業の様子を見ることにした。カルナップ大将が手許の操作盤上に指を走らせて、スクリーンにハインリヒの教室を映し出す。数学の授業中だった。
   数学の授業ということは、この教官が問題の教官なのだろう。
「優秀な学生だと教官も評しています」
   カルナップ大将には不正を行った教官の名前を挙げなかったが、この教官であることは間違いなかった。先日、アントン中将が折り返し連絡を呉れて、名前を教えてくれた。その名前と一致している。現在、少将で、本部転属を望んでいるという。

   ハインリヒは教科書を広げ、ノートを取りながら、教官の話を聞いていた。家での様子とは全く違い、熱心に授業を受けている。そんな姿を見て安堵した。
   その時、ハインリヒが問題を当てられた。数学はそれほど得意な科目でもなかったが、きちんと答えられるだろうか――。まるで自分が当てられたような気分になっていると、ハインリヒが前に出て、解答を書いていく。教官はそれを見て、満足げに笑み、正解だと言った。
「流石は大将閣下の御子息。実に模範的な解答だ。皆も見習って勉強するように」
   成程、こういう風な褒め方をする訳か。
   ハインリヒは何も言わずに席に着く。カルナップ大将は困ったような顔をして、後程、あの教官に注意をしておきます――と恐縮しながら言った。
   だが――、こんなことは良くあることだ。特にこれから学校を卒業し、軍に所属したら毎日のように言われるだろう。正面と向かって言われるか、陰口をたたかれるかどちらかだ。
   ハインリヒもそれを解っているのか、特に変わった様子もなく、授業を受けていた。


[2010.3.25]