「士官学校の上級士官コースを首席卒業という輝かしい経歴を持っていますが、幼年コースには在籍しておらず、一般の高校に通い、帝都大学を受験した男でしてな。文学部を突然閉鎖することになった年があったでしょう――あの時、受験して合格していたのです。試験の上位優秀者のみ士官学校への入学を許可することになって、彼はそれで士官学校に入ったのですが……」
「それはまた数奇な。しかしそんな人物が首席でしたか」
   士官学校の首席は幼年コース出身者の場合が多い――というよりも、それしか聞いたことが無い。おそらく前例の無いことだろう。相当な切れ者なのかもしれない。
「ええ。その男が卒業後、私の支部に所属となったのです。仕事の飲み込みも早ければ、戦略や戦術にも長けている。実に有能な男なのです。……が、ひとつ欠点がありまして」
   興味津々と聞いていると、アントン中将は苦笑混じりに言った。
「世の中を渡るのが下手というか……。御存知の通り、昇級には試験があるといっても上官の推薦が必要となる。推薦となると、旧領主層の力が働く部分が多分にあります。私が閣下の推薦もあって中将の地位を得たように」
「陛下が試験での昇級を可能にしたとはいえ、まだまだ問題は山積しておりますな」
「ええ。有能な者こそ昇級すべきものだと思いますが……。少将以上であれば昇級の推薦人となるのは可能となりますから、私はこれまでずっと彼を推薦してきました。最短で准将までは昇級させています。出来れば、少将までは私が何とかしたかったのですが、彼の昇級と同時に私の方が転属となってしまいましてな。彼は支部に残り、其処で3年間、経験を積んだのです。……が、私の後任としてやって来た中将と折り合いが悪く、転属願いを出しましてね」
「成程……。では今その人物はどちらに?」
「それがまた面白いことに、現在は本部に所属しているのです。彼と折り合いの悪かった中将が本部への転属を希望していたようですが、本部が選んだのがその男の方でして……」
「陸軍本部に?」
   本部に居たら出くわしても良いだろうに、そのような人物とは会ったこともない。私が大抵、自分の執務室に居るからだろうか。

「軍務局で総務参事官を務めています。先日、彼と会って話をしたのですが、彼自身は大将の姿を見かけたことがあると言っていましたよ。尤もお話しした通り、要領よく世の中を渡る人間ではないので、用の無い限りは大将の許にも行かないでしょうが」
「総務参事官……。そうでしたか……」
   軍務局といったら、参謀本部の隣ではないか。私自身もよく足を運んでいる。私に与えられた執務室から参謀本部が離れているとはいえ、一日一度は軍務局の隣の参謀本部に足を運ぶのに――。
「変わり者と軍の内部では言われていますよ。確かにそうかもしれないが、彼には誰にも代え難い才能と実力がある。……旧領主層に諂えば昇級出来ると考えている士官達と違い、彼は実力で此処まで上り詰めた。もう少し世渡りが上手ければ、彼はもう大将となっているでしょう」
「アントン中将が其処まで評価する人物ですか」
「正統な評価を受ければ、彼は長官にまで上り詰めるでしょう。……尤も彼はそれを望んでおらず、昇級も准将までで良いと先日もぼやいておりましてな。ですが帝国のために、彼にはこのまま本部に留まり、上層部に名を連ねてほしいと考えているのです」
   興味が沸く。このアントン中将がこんなにも評価する人物に会ってみたくなった。
「閣下にお願いしたいのはこの男のことです。率直に申し上げれば、昇級時の推薦人になっていただきたいのです。お話しした通り、上官に挨拶回りをするような男ではなく、間違ったことは上官であっても食いつくような男ですが……。彼が長官となれば必ず軍を変えてくれます」
「軍務局の上官は当てにならないということですか」
「軍務局の将官は現在、フォン・シェリング大将の派閥に属しています。彼の許での昇級は難しいでしょう。……私は本当は大将のいらっしゃる参謀本部に行かせたかったのですが、参謀本部が充足数に達していましたので」
「仰って下されば一人ぐらい融通しましたのに」
「閣下はそう仰ると思い、黙っておりました。それでは彼の反感を買ってしまいますので……。そういう男なのです」
   アントン中将は苦笑する。どうやら随分生真面目で一辺倒な人物のようだ。軍の上層部の人間としては珍しい。

「既にフォン・シェリング大将には嫌われているようでしてな。私も迂闊だったのですが」
「フォン・シェリング大将か……。これからますます彼の力が強くなるでしょうな」
「私としては、閣下が長官となられるのを期待していたのですが……」
   苦笑を返すと、勿体ないことです、とアントン中将は嘆息を漏らした。

   私を長官へとの声はこれまでにも何度もあった。父も一度は長官となったことがあったし、ロートリンゲン家の歴代の当主は必ず一度は長官を経験している。だから、私自身もその心積もりはあった。
   だが、過去に皇帝の不興を買ったことがあり、その時、お前のような人間が軍の頂点に立ってもらっては困る――と言い放たれた。それはちょうど、長官の指名を受け、試験も突破した直後だった。そのため、私は長官の資格を得ながらにして、辞退した。以後もたびたび長官への要請があったが、陛下との約束を守るために、私は何ずっと固辞し続けていた。

「その人物の名前を教えてもらえますか?」
「ジャン・ヴァロワ准将と言います。現在29歳――、おそらく大将もお気に召すかと思います」
   ジャン・ヴァロワ准将――。
   記憶の糸を辿っても、名を聞いたことも無い。まあ軍務局は隣の部屋だから、時間がある時にでも顔を覗かせてみるか。


[2010.3.23]