「お久しぶりです。アントン中将」
   思い立つが早いか、翌日にアントン中将に連絡をいれ、相談したいことがある旨を告げた。アントン中将は快く応じてくれた。そして、週末にロートリンゲン家に足を運んでくれることになった。

   アントン中将は現在、ナポリ支部に所属しており、帝都本部に来ることは滅多に無い。こうして顔を合わせるのも何年ぶりだろうか。
   アントン中将は、私が士官学校を卒業し、大佐としてはじめて入隊した時の上官だった。私より七歳年上で、あの頃は准将だった。戦術に長けた人物との評判はその頃からあった。

   あれは確か入隊当初のことだった。
   南部で紛争が起こり、アントン中将と共に制圧に向かったことがあった。私は士官学校では戦略や戦術が得意で、そうした試験では常に一位を獲得していたから、自信があった。そうした自信がある事件を引き起こした。
   アントン中将が隣の支部に出掛けた折のことだった。過激派の一団が、支部を襲ってきた。その支部に居た者達のなかで、アントン中将の次に階級が高いのは私であって、判断を迫られた。アントン中将と連絡を取らなければならないことは解っていたが、私はアントン中将の許可も得ず、勝手に攻防戦を繰り広げた。私の力で制圧出来る――と慢心していた。

『何故、すぐに連絡をいれなかった!?上官の指示を仰ぐのは軍において基本事項だろう!』
   攻防戦には勝利したものの、軍内に多数の負傷者を出してしまい、私はアントン中将から叱責を受けた。
『優秀だからこそ自信があったのだろうが、机上の戦術と実戦の戦術は異なる。だからこんなに負傷者を出してしまった。勝てば良いというものではない』
   父以外の人間に、こんな風に叱られたことは初めてだった。何よりも、自信過剰であったことは否めない。私が謝ると、アントン中将はスクリーンに支部の周辺図を映し出して、より負傷者の少ない隊の動かし方を説明してくれた。
   アントン中将が示したその戦術は、私のやり方が如何に浅はかなものだったか思い知らされるものだった。私は本当に恥ずかしくなってひたすら謝罪した。

   軍に入ってはじめて尊敬できる人物に出会ったと感じたのが、このアントン中将だった。彼の部隊に一年在籍した後、私は准将として本部に所属することになった。
   私は士官学校の幼年コースを卒業したこともあり、また旧領主家の出身でもあったから、誰よりも出世が早かった。だが、アントン中将の許で学んだこと以上のことは、本部では学べなかった。

   アントン准将が9年かかって少将となった時、既に大将となっていた私の部隊に入ってもらった。そこで3年間、彼からじっくりと戦略や戦術を学んだ。その後、アントン中将は北部のある支部に転属となって、約15年間其処に勤務した。その間に中将となり、4年前にまた別の支部に転属となって、現在に至る。



「私こそ御無沙汰しております。ロートリンゲン大将閣下」
「堅苦しいのは止めて下さい。此方が願ってわざわざご来訪頂いたのだから」
   アントン中将に座を勧め、支部の様子を尋ねる。何も変わりは無いようで、日々暢気に暮らしているところです――と彼は笑いながら言った。
「大将の昇級を断ってしまうのだから困った方だ」
「何、中将の階級ですら自分の身には余るものですよ」
   彼を大将に推薦したことがあるが、彼自身があっさりとそれを断ってしまった。大将となれば、本部に顔を出さなければならなくなる。派閥の抗争に巻き込まれず、少将か中将のまま遠い支部でのんびりしたいというのが彼の本心だったようで、仕方無く推薦を取り下げざるを得なかった。
「失礼します」
   軽いノックの音が聞こえて応じると、ユリアが入室する。珈琲を持って来てくれた。ユリアはアントン中将に挨拶をして、軽い世間話を交わす。ごゆっくりなさって下さい――微笑しながらそう告げて、部屋を出て行った。
「相変わらずお綺麗ですな。御結婚の際には、独身の者達が羨んだものです」
「妻も私も年を取りました。もうじき私は50歳になりますよ」
「軍人としてちょうど良い年頃ではないですか」
「まだまだ不勉強なこと、この上無いですよ。アントン中将さえ宜しければ、本部にいらしてほしいぐらいです」
   アントン中将は微笑んで、もう私はこの年です――と軽く肩を竦める。そして、閣下、と此方を真っ直ぐ見てから言った。

「……閣下にはそろそろお話しておこうと思っていたことですが、来年、退役することにしました」
「来年……!? 随分お早い話だが……、まだ……」
「60歳まで勤めることは出来ますが、少し早く退役してのんびりしようかと思っているのですよ。本部にはまだ届けを出していませんが、来月か再来月にでも……と考えています」
「支部で何か……、中将を困らせるようなことがあったのですか?」
   アントン中将は笑って、そのようなことは一切無いと応えた。ただ単に、そろそろ軍を離れて、何処か田舎でのんびり暮らしたいということだと眼を細めて言った。
「そうですか……。残念ですが……」
「その前に、閣下にお願いしたいことがあったのです。実は私も閣下とお会いしたかったのですよ」
   アントン中将は温厚な笑みを浮かべて、先にそれを話して良いかどうか尋ねた。勿論ですと促すと、彼は面白い男が居るのです――と前置いて言った。


[2010.3.22]