翌日、帝都の隣町まで赴き、謝罪に行った。相手側の学生は頭に包帯を巻いて、ハインリヒをちらと見遣った。ハインリヒは一度謝罪をした後は、彼の顔を見ようともしなかった。
   相手側の両親は二度とこういうことが起こらないよう注意するよう求めた後、治療費の請求書と慰謝料を提示した。完治するまでの治療費は此方が全面的に支払うことを約束し、当面の治療費を置いて、その家を後にした。
   車のなかで、ハインリヒは一度、ごめんなさいと謝った。それ以降は終始、黙り込んでいた。


   その家から次に連絡が来たのは翌週に入ってからだった。請求書が届いた。ユリアが開封した手紙のなかには、予想以上の額が書かれた紙が入っていた。
「……何となく嫌な予感はしていたが、な」
「旦那様……」
   フリッツとパトリックが気遣わしげに此方を見る。苦笑してその手紙を机に置いた。
「謝罪に行ったその日に慰謝料の提示をされたから妙だとは思っていた」
「その日に渡した額は治療費以上の額が入っていた筈です。……こうなると、はじめから出し渋った方が良かったのでしょうか……」
   フリッツは判断を見誤りました――と言って謝った。
「いや。そうすると今度はマスコミにでも情報を売っただろう。旧領主家の子息が一般人に怪我をさせた、とな」
「フランツ……」
   ユリアが不安そうな表情をする。大丈夫だと告げてから、側に置いてあった一枚の書類を前に差し出した。
「幸いにして学校長のカルナップ大将が、相手側の学生の診断書を送ってきてくれた。フリッツ、これをトーレス医師に見せて完治までの日数と費用を算出してもらってくれ。それからこのことは、ハインリヒにもフェルディナントにも内密に頼むぞ」
「解りました」
「それからパトリック。もう一度慰謝料の換算を頼む」
   パトリックは承知しましたと言って、フリッツと共に部屋を去っていく。ユリアは溜息をひとつ吐いた。
「溜息ばかり吐いていると老けるぞ」
   揶揄するように告げると、ユリアはもう私も良い年ですと言い返してきた。
「貴方がハインリヒから聞いた話では、私は相手側の学生さんにも原因があるように思います。それなのにこんな形で応酬を受けるなんて……」
「気にすることはない。パトリックが知っているが、私も似たような経験がある。……他の家庭より金があるように見えると、どうしても狙われるものだ」
「それにしてもこの金額は……」
「破格だな。そして此方に払う意志がないと相手方が知ったら、おそらく次は息子の昇級を取りはからうように言ってくるだろうな」
「フランツ……」
「無論、応じるつもりは無い。治療費も、そしてそれに見合う慰謝料も私達は払った。それ以上の面倒は見きれない」
「それで相手の方が納得してくださるでしょうか」
「納得してもらうしかないな。お前が気に病むことはない」

   ユリアは怪我のことを酷く気に掛けていた。ハインリヒの前では決して言わなかったが、三針の縫合ならばそう大した傷でもない。ましてや軍人となる人間が、それぐらいの傷をいつまでも引きずっているほうがおかしい。
   ハインリヒはいつも通りの生活に戻っていた。士官学校の生活のことを尋ねると、変わりは無いと言う。ユリアが気に掛けていたことでもあるし、私自身も少し気にかかってはいたが、本人がそういうのだからこれ以上、追求しようがない。


   しかしその日の夜、書斎で本を読んでいるとフェルディナントがやって来た。
「どうした。こんな夜中に」
「少し話したいことがあって来ました」
   ロイのことを――と、フェルディナントは言った。本を閉じ、側にあるソファに移動して、フェルディナントを向かい側に座らせる。
   ハインリヒはフェルディナントには何でも話すようだから、フェルディナントに何か学校のことを漏らしたのかもしれない。
「不満を漏らしていたか?」
「いいえ……。ロイの話を聞くと、士官学校自体に問題があるように思うのに、ロイは父上や母上に心配をかけると言って言わないから……。だから、こうして話に来ました。でも私が言ったことはロイには黙っておいて下さい」
「解った。それで士官学校自体に問題がある、とは?」
   奇妙な物言いをする――と思っていたら、フェルディナントはハインリヒから聞いたことを纏めて私に伝えてくれた。

   驚いたのは、まるで執務で少将が報告するかのように、フェルディナントがきちんと士官学校で起こったこととその問題点を纏めて話していたことだった。
   官吏になりたいと言っているが、確かにそうなれば出世するかもしれないな――と、フェルディナントの話を聞きながら何気なく思った。

   そして、士官学校で生じている問題というのが見えてきた。私が軍に所属しており、現役の大将であることが幾許か影響するかもしれないことは、ハインリヒを士官学校にいれる前から気付いていたことで、そのことは学校長のカルナップ大将にも告げておいたことだった。
   私は私で、息子は息子だから、決して贔屓をしないでほしい――と。

   それなのに、まさか試験問題までも事前にハインリヒに渡していたとは思わなかった。それをハインリヒが白紙で提出したにも関わらず、満点で戻って来た。これもう明らかに不正ではないか。
   カルナップ大将はもしかしたら教官達のそうしたことを知らないのかもしれない。知っていたら、いくら何でも見咎める筈だ。

「そうか……。よく解った。学校の件はもう少し突き詰めてから学校長に相談してみる。……ところでお前の方は学校生活はどうだ?」
「……私はロイの話を聞いたら、恵まれている環境だと思いました」
   フェルディナントは肩を竦めてそう告げる。この言い方だと、多少は何かがあったのだろう。
「……フェルディナント。旧領主家に生まれると、普通の人々より確かに多少は裕福だ。それにより妬みや僻みを受けることもある。それは学校生活に限らず、これから先も続くことだ。……どういう対処をするのが一番賢い方法か、学びなさい」
「父上……」

   フェルディナントが部屋を去ってから、傍と思い出した。士官学校の戦術の教官として、一昨年からアントン中将が招聘されていると聞いている。カルナップ大将と直接話をする前に、アントン中将に士官学校のことについて少し話を聞いてみることにしようか。
   親でもあるし、軍での階級のこともあるからあまり表立ちたくは無かったが、フェルディナントから聞いた話では士官学校のハインリヒへの態度が少し度を越しているように思える。


[2010.3.21]