「私が七歳、お前が六歳の頃のことだ。ジュニアスクールにお前が通うことになって……。私は行けなかったら羨ましくて妬ましかった。……それでお前が用意していたノートを全部引き裂いて……」
   あの時は父ばかりか母にも叱られた。ロイに謝るよう告げる母に、私は味方を失ったようで悲しくなって、部屋へと駆け込んだ。そうしたら父が部屋にやって来て、きつく叱りつけた。

   何故あのようなことをした――厳しく問い質す父に、私はロイが学校に行くのが悪いと答えた。子供の理屈で、私が通えないのだから弟のロイにも通ってほしくなかった。どうしようもないことだと解っていても、口惜しくて堪らなかった。
   そうしたら父はいきなり私の襟首を掴んで、平手打ちを喰らわせた。
   それでも私は反発したものだから、また叩かれた。叩かれた頬がじんじんと痛くて泣きながら、それでも反発した。私の泣き声を聞きつけてミクラス夫人がやって来るまでの間、父は怒り続けた。僻み心を持つな――と言う父の言葉は今でも生々しく思い出される。
   あれは私にとっては苦い思い出だった。

「ああ、あの時か。けどあの時は俺も叱られたぞ。ルディの前でひけらかすな、と」
「あの頃は私もお前も些細なことで競い合っていただろう。私はお前に負けたくなかったし……」
「あれ、父上や母上から見たら面白かっただろうなあ。くだらないことで競ってたよな」
   ロイはこの時になって漸く笑った。少しは元気が出て来たのだろう。
「……ルディ。来週末、何か予定があるのか?カレンダーに印があるけど……」
「ああ。クラスの女の子に映画に誘われたんだ。ロイも一緒にって」
「俺も? 何で?」
「さあ。今日、突然誘われて……。どうする?気が向かないなら断るけど……」
   予定は無いから行く、とロイは言った。あまり良い思いをしないかもしれないぞ――と私が告げると、ロイは首を振ってこう応えた。
「ルディと一緒なら良い」


   私達はあまり友達が出来ない代わりに、兄弟仲は良かった。今では子供の頃のように競い合うこともない。それにロイとは互いに遠慮する必要もなく、気兼ねなく話せる。
   私もロイと一緒なら、彼女達と出掛けても良いかと思っていた。
「解った。明日、返事をしておくよ」
   明日か――と、ロイは大きく溜息を吐いた。何か用でもあるのかと思っていると、ロイは言った。
「明日、謝りに行くことになってるんだ。その怪我をした奴の家に」
「父上と?」
「うん。母上も一緒に。……気が重いけど」
「殴ったのは確かに悪いことだから、それだけ謝ってくるつもりで行ってくると良いよ」
「そうは言うけどルディ……」
   その時、部屋の扉がかちりと音を鳴らした。この音はミクラス夫人が、私が寝ているかどうかを確かめに来る時の音で――。
   今は何時だ――?
   時計を見ると、午前三時を過ぎていた。しまった――と思いながら、ミクラス夫人の姿を見ると、ミクラス夫人は眉間に皺を寄せて、何時まで起きてらっしゃるつもりですか――と声を潜めながらも怒気を含んだ声を浴びせる。
「もう寝るよ」
「ハインリヒ様も御部屋に戻ってお休み下さい」
   結局、ロイとの会話は中断され、ベッドに入る。ロイはミクラス夫人と共に部屋を出て、隣の部屋に戻っていった。



   翌朝、ロイはいつも通り起きてきて、父と母に昨日のことを謝った。父は今日、仕事を半日休むことにしたらしい。九時を過ぎてから、父と母とロイは相手方の家へと向かった。
   昼前に帰宅した時にはロイはまた悄げていたが、夕方にはいつもの元気を取り戻していた。しかしやはりロイの学校のことは気にかかっていた。

   元々、ロイは士官学校に行きたがらなかった。それでもロイが士官学校に行かなければならなかったのは、私が行けなかったからだ。私の身体では軍人になることが出来ない。ロイに重責を背負わせてしまっているから、せめて私が支えられるだけのことは支えようと決めていた。
   そして、ロイは父に何も話していないということも気にかかった。父も士官学校の幼年コースから入学して卒業したのだから、ある程度のことは解っているだろうとは思う。でも父の時と状況が変わってしまっているのかもしれない、とも思う。
ロイはまだあと5年、士官学校に通わなくてはならない。そう考えると、このまま放っておくことも出来なかった。

「父上。少し話が……」
   夜、父がまだ書斎に居ることを確かめてから赴いた。その時、私は思いきって父にロイのことを打ち明けた。

【End】


[2010.3.19]