この日の食事は、いつものように父と母と三人で摂った。ロイは部屋に閉じこもったきり、食事の時にも出て来なかった。

   夕食を摂り終えてから、ロイの部屋に行った。扉をノックしても返事が無い。私だ、開けるぞ――と告げてから、扉を開くと、ロイは制服のまま、ベッドで俯せになっていた。
「ロイ……」
「ルディには関係の無いことだ。……今日は一人にさせてくれ」
「……話は少し聞いたけど……」
「疲れた……。何も話したくない……」
   枕に顔を埋めていたが、その時、ロイの頬が赤く腫れていることに気付いた。父上に叩かれたのか。
「ロイ。顔を冷やさないと腫れ上がるぞ」
「放っておいてくれ」
   そういう訳にもいかず、ロイの部屋を出てミクラス夫人に頼んで濡れたタオルを用意してもらった。ロイはミクラス夫人すら部屋に入れなかったらしい。
「先程、ハインリヒ様の許に行ったのですよ。旦那様に叩かれた御様子でしたから、タオルを持っていこうかと……。ですが、入るなと言われて……」
「そう……。タオルは私が渡しておくよ。ロイの分の食事はある?」
「ええ。今、お持ちしようと思っていたところでした。此方もお願い出来ますか?」

   濡れたタオルとトレイに載せた食事を持って、ロイの部屋に戻る。ロイはまだベッドに俯せになっていた。
「ロイ。ほら、タオルで冷やして」
「……放っておいてくれって言っただろう! ルディ!」
   タオルをロイの顔の側に持っていこうとすると、ロイは顔を上げ、吃と此方を睨み付けた。
   ロイの顔は左の頬が赤く腫れていた。随分酷く叩かれたのだろう。否、もしかするとこれは叩かれたというよりも殴られたのか。
「……解った。ごめん。食事は其処に置いていくよ」
   士官学校で、何かあったのだろう。
   聞き出すよりも、今はそっとしておいた方が良い。ロイのことだ。きっと落ち着いたら話してくれる。

   ロイの側をそっと離れて、部屋を出る。そのまま自分の部屋に戻った。ロイのことが気にはなったが、何も話してくれないのではどうしようもない。
   机に向かい、参考書を開く。今日はロイと色々な話が出来ると思ったが、どうやらそれは無理なようだった。今のうちに勉強を済ませておこう。
「フェルディナント様」
   一時間程机に向かっていたところ、ミクラス夫人が入浴の準備が整ったことを告げにくる。ロイはまだ部屋から出て来ないらしい。
「奥様もお困りの御様子……。旦那様は放っておけと仰っているのですが……」
   喧嘩をして怪我をさせた――というのは確かに父に怒られても仕方の無いことだが、ロイが理由なく喧嘩をする筈が無い。きっと喧嘩に至るまでの何かがあったのだろう。


   入浴を済ませて部屋に戻る。寝るにはまだ早いから勉強の続きを行った。
   そうして机に向かって二時間が経った頃だった。時計の針が一時を指していた。そろそろ切り上げて休まなければならない。あまり遅くまで起きていると、ミクラス夫人が注意に来る。
   参考書に栞を置いて閉じ、ノートも閉じて収める。大きく背伸びをして、身体を伸ばしていたところへ、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
   ミクラス夫人だろうと思った。ところが、現れたのはロイだった。一度此方を見、すぐに眼を伏せる。
「どうした?」
「……先刻はごめん」
   どうやら、先程の態度を謝りに来たようだった。落ち着いたかと問うと、ロイは頷く。
「少し……、部屋に入っても良いか?」
「いつも遠慮無く入って来るだろう」
   苦笑してそう応えると、ロイは半分開けていた扉を閉め、部屋の中に足を踏み入れた。机の側にやって来る。近くに置いてあった椅子を勧めると、ロイはそれに腰を下ろした。

   ロイの頬は先程よりも腫れ上がっていた。きちんと冷やさなかったのだろう。それによく見ると、唇の端も切っているようだった。
「……父上も随分酷く殴ったものだな」
「父上の部屋に入るなり、襟首を掴まれて二発殴られた。流石に歯が折れるかと思った……」
   ロイは頬に触れながらそう言った。
「拳骨や平手で叩かれるぐらいなら何度もあったけど、殴られたのは初めてだったな。……痛かった」
「タオル、持って来ようか?」
「いや、要らない」
「少しも冷やしていないのだろう。余計に腫れてしまうから、待っていろ」
   要らないよ――と告げるロイに背を向け、部屋を出る。タオルはロイの部屋に置いておいた。それを濡らしてくることにした。
   そうして部屋に戻ると、ロイは私の机の上を凝と見つめていた。
「ほら。確りと冷やしておいた方が良い」
   ロイの頬に濡らしてきたタオルを当てると、ロイはこくりと頷いて、タオルを手にした。これで大分腫れが引いてくるだろう。

「難しそうなことをやってるな、ルディは」
「来年は三年生だし、進路のこともあるから怠けてられなくて」
「……帝国大学? 学部は?」
「法学部に進もうと思ってる。最近、志願者が増えて倍率が上がっているから、なかなか難しいだろうけど……」
「ルディなら大丈夫だろ。毎回、学年首席じゃないか。あの学校でずっと首席を維持してるっていうのは相当なことだろう」
「相変わらず欠席が多いけどね」
   ロイは私のノートを見つめていた。参考書をぱらりぱらりと捲っていく。
「ルディ。高校は楽しい?」


[2010.3.17]
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