休暇は家でゆっくりと過ごすことにした。休暇が終わると試験があるから、きちんと勉強しておかなければならなかった。
   そうするうちに一週間が早く過ぎ去っていく。ロイが帰ってくる日が明日に迫っていた。私はその日を心待ちにしていた。ロイが帰ってくることが嬉しかった。久々に腰を落ち着けて話が出来る――そう思って、この日を過ごしていた。

「奥様。旦那様からお電話です」
   母と一緒に珈琲を飲みながら休息を取っていたところ、ミクラス夫人がリビングルームにやって来て母に告げた。午後三時というこんな時間に父から電話が来ることなど滅多に無いことだから、何かあったのだろうかと母と顔を見合わせた。
   母はすぐに立ち上がってリビングルームにある電話台へと向かう。もしもし、と母が応えた。どうかなさったのですか――と問い掛ける。

「え……!?」
   それから母は暫く黙り込んだ。父と母が何を話しているのか気になったが、父の声は全く聞こえない。
「……解りました。相手の方の連絡先を教えて下さい。此方から電話で謝罪します。……いいえ、私が電話をいれます。ええ、解りました」
   謝罪ということは何かあったのか。母は紙に文字を書き付けてから電話を切る。母の表情からは笑みが消えていた。
「母上……。何かあったの……?」
「ごめんなさい。ルディ。今から少しやることがあるから、先に席を立つわね。アガタ、少し私の部屋に」
「解りました」
   母はミクラス夫人を呼び寄せてリビングルームを後にする。出資先のトラブルでもあったのかなと思った。それにしても父から電話というのは珍しいことだが――。


   リビングルームから自分の部屋に戻ろうと廊下を歩いていた時、母とフリッツの声が聞こえて来た。やっぱり投資関係のことか――と思っていたところ。
「相手側の対応がおかしくとも、ロイが怪我をさせたことは事実よ。概算で良いから完治までの治療費を計算して明日までに準備をお願いします」
「解りました。パトリックにすぐ伝えます」
   ロイが怪我をさせた――?
   驚いて足を止めたところ、部屋からフリッツが出て来る。此方に気付いたフリッツに何があったのかを問い掛けた。言って良いのかどうか悩むような素振りのフリッツの背後から、母が出て来て、ルディ、と呼び掛けられた。
「母上。ロイが怪我をさせたって一体……」
「詳しい状況はロイに聞いてみないと解らないのだけど、ロイが喧嘩をして相手に怪我をさせてしまったの」
「ロイが……? 喧嘩……?」
「今、ロイはまだ学校に居るけど、今日帰ってくることになったの。でもこんな事情だから……」

   ロイが喧嘩をして相手に怪我をさせた――。
   それは到底信じられないことだった。何かの間違いだと思った。

「母上。ロイは無闇に喧嘩をしない。何か理由が……」
「理由があったとしても怪我をさせてしまったのよ。ルディ、これからフリッツ達と話し合わなければならないから貴方は部屋で勉強していなさい」
   フリッツに連れられて、パトリックがやって来る。母はフリッツ達と共に部屋に入っていった。ミクラス夫人が私を気遣って、部屋に入っているよう促す。
「ミクラス夫人。何かの……間違いだと思う」
「ええ。たとえ喧嘩をしたとしてもハインリヒ様には何か事情があった筈です。……さあ、フェルディナント様は御部屋でお待ちください」

   ミクラス夫人によると、ロイは今日の6時頃に帰ってくるらしい。学校で自宅謹慎処分を告げられたため、今日帰ってくることになったようだった。
   ロイの帰宅は一日早まったが、それは何とも嫌な早まり方だった。

   夕刻になると、私だけでなく、母やミクラス夫人もロイの帰宅を待ちかねた。6時頃には帰ると言っていたから、時計を何度も見た。今は5時だった。あと一時間でロイが帰ってくる。
   部屋で勉強をしていたところ、下で物音が聞こえてきて、ロイが帰ってきたと思い、扉を開けた。するとロイではなく、父が先に帰宅した。こんなに早く帰宅することは珍しいことだった。

   フリッツと母が出迎える。階段上でちょうど父と視線が合ったので、お帰りなさい、と私も言った。父は不機嫌そうな顔で今帰った、と告げ、母にロイのことを問いかけた。
「まだ帰ってきていません。6時頃と言っていましたから……」
「そうか。では帰宅したらすぐ私の部屋に来るように言ってくれ」
   父は酷く怒っていた。怒気を抑えようとしているのが、私にも解る。父はすぐに母と共に書斎に篭もった。


   そして、ロイが帰ってきたのは6時を少し過ぎたところだった。
   部屋を出て階段を下りたところ、ロイは此方を見ることもなく、フリッツに荷物を手渡した。フリッツと母が父の許に行くよう告げる。ロイは頷く。そしてそのまま父の部屋へと向かう。
「母上……」
「リビングルームで待ちましょう。ルディ」
   母は私を促して、この場から離れた。リビングルームの扉を開ける時、父の怒声が聞こえてきた。お前は何を考えているのだ――と。

   ロイの声は何も聞こえてこなかった。
   母も心配そうに父の部屋を見つめ、私にリビングルームに居るように告げた後、また父の部屋に戻っていった。


[2010.3.15]
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