6.僕の名前



「母上。僕の名前は初代の当主様と同じなの?」
   子供の頃――確か六歳の頃だったと記憶している。本を読んでいる時にロートリンゲン家の初代当主フェルディナント・アレクシス・ロートリンゲンの名が出て来て、側に居た母にそう尋ねたことがある。母は笑みを浮かべてそうよ――と教えてくれた。
「ルディのファーストネームは初代の当主様から頂いたのよ」
   この時まで、私は自分の名の由来を知らなかった。ロートリンゲン家を創設した初代当主は、建国の騒乱のなか、国王を守り、勇敢に戦い抜いた英雄として、本に描かれることが多い。子供心ながら、そんな人物に由来する名前だと知って嬉しくなった。

「じゃあ、僕は?ルディが一代目なら二代目の当主様の名前なの?」
「違うよ、ロイ。二代目の当主様の名前はクラウディウス・エーベルハルト・ロートリンゲンだから……」
「じゃあ三代目?」
「三代目はゴットフリート・ヘクトル・ロートリンゲン。……ハインリヒっていう名前はこれまでの当主様に無いけど……」
「あら、ルディはこれまでの当主様の名前を全部憶えているの?」
   子供の頃から本を読むことが好きで、邸に置いてあった本をよく手に取っていた。邸には書庫もあって、其処から引っ張り出して来ることもあったが、父の書斎から本を持ち出して来ることもあった。

   机の上の書類に触ると叱られるが、書斎にある本を持ち出すことについては、父は何も言わなかった。本を汚してはならないとか、ページを折ってはならないとか、きちんと置いてあった場所に本を戻すとか、基本的なマナーについては五月蠅かったが、父はむしろ私やロイに数多くの本を読むよう勧めていた。欲しいと言った本は必ず手に入れてくれた。
   尤も、父の書斎にある本は、六歳の子供にはまだ読むことの出来ない難しい本ばかりだった。しかしそうした本のなかから、読める文字だけを追って眺めていくのは面白かった。ロートリンゲン家の歴代当主の名前を暗記していたのも、父の書棚からロートリンゲン家に関する本を借りて読み終えていたからだった。

「初代当主様から父上まで全部言えるよ」
「僕も……父上と御祖父様の名前なら言えるよ」
   この頃、ロイとは些細なことで競い合っていた。年齢が一歳しか差が無かったこともあったのだろう。子供らしい、他愛の無い張り合いだった。そういう時には決まって、母は私とロイの返答に微笑んで、二人とも偉いわね――と言ってくれた。

「ロイのファーストネーム、ハインリヒという名前には一族を統べるという意味があるの。貴方は大きくなったらロートリンゲン家を継ぐことになるから、立派な跡継ぎとなるようにという意味をこめて、父上がハインリヒという名をつけたの」

   少し成長してから、この話を思い出して、納得したことがある。
   私は誕生してすぐ虚弱体質であることが判明し、ふた月の間は保育器のなかで育てられた。成人するまで生きられるかどうか解らない――そんな状態だったから、父が2番目の男児として誕生日したロイに期待をかけるのも無理は無いことだった。

「ルディ。貴方の名前も父上がつけて下さったのよ。初代当主のように立派で強い子となるように。そして勇猛と讃えられた初代当主が貴方をいつもお守り下さるように」
「父上が僕の名前を……?」
   ハインリヒは父が名付けても、私は母だろうな――と子供心ながらに思っていた。だから、父が名付けてくれたことを知った時は驚いた。
「二人ともファーストネームは父上がつけてくださったの。男の子が生まれた、と、とても喜んでね。御祖父様や御祖母様も手放しで喜んだのよ」
   祖父はロイが誕生した年に亡くなって、祖母もその後を追うかのように2年後に亡くなった。そのため、ロイは祖父母のことを全く知らない。私も祖父のことは憶えていないが、祖母の記憶は私には少しだけある。手を取って優しく語りかけてくれた記憶――朧気だが、祖母の顔を憶えている。
「じゃあ、ミドルネームは?」
   ロイが興味津々と母に尋ねると、二人とも私がつけたのよ――と教えてくれた。
「ロートリンゲン家では必ずミドルネームをつけることになっているの。そして子供の頃はミドルネームで呼ぶことが多いのですって。呼びやすく解りやすい名前が良いと思って、ルディ、ロイと名付けたのよ」
「父上は僕達のことファーストネームで呼ぶよね。アガタもフリッツも……」
「大人になって、いきなりファーストネームに呼び変えるのがお嫌だったみたいで、お父様は二人をファーストネームで呼ぶことにしたの」

   この時には父の考えが解らなかったが、大人になってから成程と頷けた。
   私とロイは互いにミドルネームで呼び合っているが、それをファーストネームに切り替えることは出来なかった。今更、ハインリヒと呼ぶのは何だか他人行儀のようで、ロイの方が親しみやすい。ミドルネームの方が何だか安心する――と、ロイも言っていた。

   それにしても――。
   初代当主のように立派で強くなるように、そして勇猛と讃えられた初代当主がいつも守ってくれるように――。

   あの父がそこまで考えて私の名を付けてくれたことは、私にとってずっと謎のままだった。

【End】


[2010.3.13]