ユリアとの交際は順調だった。ユリアはひと月に一度、この帝都にやって来る。その都度、俺達はカフェや美術館で逢瀬を楽しんだ。会えない時は電話やメールで会話を楽しんだ。

   しかし、彼女と話をする機会があっても、俺はなかなかロートリンゲン家のことを切り出せないでいた。

   彼女と交際をはじめて半年が経つというのに、未だ彼女には身分を明かしていなかった。これには母ばかりか、母から事情を聞き知った父も怒った。馬鹿者と父から怒声を浴びせられたのもついこの前のことだった。
   今度会った時にはきちんと話さなくては――。
   来月の中旬に少し休暇が取れる。その時、俺がハンブルクに行こう。そして、ユリアにきちんと話をしよう――悩んだ末、俺はそう決めた。



   そんな折、宮殿での祝賀会に呼ばれた。皇帝の誕生日を祝うもので、旧領主層が一堂に会す。公式の場では、軍人は軍服を身につける仕来りがあって、それに倣い、軍服を纏い出席した。

   会場で初めに出会ったのは、同じように軍服を纏ったフォン・シェリング大将とクリスティンだった。彼は父や母に挨拶を済ませると、俺を見て言った。
「フランツ、考え直さないかね。クリスティンは諦めがつかないようだ」
「フォン・シェリング大将。申し訳ありませんが、私は……」
「フランツ様。一曲踊りましょう」
   クリスティンは俺の側に歩み寄って、踊りを誘う。それをにやにやとフォン・シェリング大将は見ていた。父と母は皇帝陛下と皇弟殿下に挨拶に行くと私を促す。クリスティンにそのように告げて、とりあえずは彼女から離れることが出来た。

   皇帝は人だかりの真ん中に居た。此方を見つけると、歩み寄って来る。皇帝とは同年ということもあって、親しくしていた時期もあった。
「久しいな、フランツ。来てくれて嬉しいよ」
「陛下、お誕生日おめでとうございます。祝賀会にお招きいただき、ありがとうございます」
   型通りの祝辞を伝えると、皇帝は堅苦しいことを言うな――と笑って、父や母の方に視線を遣った。
「出席してくれたこと、感謝する。楽しんでいってくれ」
「陛下の御厚恩に感謝致します」
   父は恭しくそう告げ、母も頭を深々と下げる。それから皇帝は此方に再び眼を遣って、そろそろ身を固めたらどうだ――と言った。
「お前に関する浮いた噂をひとつでも聞いてみたいものだ」
   皇帝はまだ何か話したそうな雰囲気だったが、秘書に呼ばれて別の集団の許に向かった。その後、出くわした人々と挨拶を交わし合う。軍からも何人か招待されていたようで、数人が此方に挨拶に来た。退官し元帥となった父へのご機嫌伺いだろう。

   部下で親しい中将の一人が俺の側にやって来て、そっと囁いた。
「閣下。入口の方にものすごい美人が居ましたがお会いになりました?」
   入口に眼を遣ると、男達が数人固まっているのが見えた。こうした場はしばしばそういう出会いをもたらすこともある。いや、と彼に応えると御覧になってらしたらどうです――と彼は促した。
「まったくだ。お前の甲斐性の無さには呆れる」
   横から父が口を差し挟む。中将もそれに苦笑した。
「父上。私は……」
「ああ、いつもより人が多いと思ったら、陛下は文化界からも数団体、招待しているのだったな」
   父は入口の方を見遣りながら言った。見知った人物でも居たのだろうか、おや、と言って少し眉を動かす。その時、男達ばかりの人だかりがすっと後ろに退いた。
   中年の男性が若い女性をエスコートしていた。そう珍しい光景ではないが――。


   それまでは見えなかったが――。
   この時、はじめて女性の顔が見えた。
   その瞬間、言葉を失った。

「あの女性ですよ、閣下。美人でしょう?」
   中将が耳許で囁く。俺はただただ彼女を見つめていた。
   ドレスを身につけたユリアを。


[2010.3.2]