ユリアが顔を上げる。俺と視線が合う。
   ユリアはその場で立ち止まった。エスコートをしていた中年の男性が、ユリア、と声をかける。暫くしてユリアはまた歩き出す。
   しかも、此方に向かってきている。

「フランツ。ちょうど良い。彼を紹介しておこう」
「え……?」
「帝国美術院の会員で、ハンブルク美術館のキュレーターを務めている。来年には館長を勤めることになっていて……」
   ユリアの兄ということか。
   まさかこんな場所でユリアと会うことになると思わなかった。そればかりか、俺はまだユリアに身許を伝えていなかったのに――。
「ロートリンゲン元帥閣下、御無沙汰しております」
「いや、久しいな。今日はご婦人と一緒ではないのか。其方の女性は?」
「妻は体調不良で此方に参ることが出来ませんでした。此方は私の妹です。ユリア、ご挨拶を」
「ハンブルク美術館で兄の手伝いを務めております。ユリア・コルネリウスと申します」
   ユリアは丁寧に挨拶をした。綺麗なお嬢さんね――と母は彼女に向かって言った。
「此方も紹介しておこう。息子と会うのは初めてだろう」

   早く話しておけば良かった。
   こんな状況で判明してしまうなど最悪だ――。

「フランツ」
   父に促されて顔を上げる。ユリアの兄は此方を見ていた。もしかしたら私のことをユリアから聞いているのかもしれない。
「フランツ・ヨーゼフ・ロートリンゲンです。初めまして」
「ハンブルク美術館でキュレーターを務めております。オスカー・コルネリウスです。閣下にはお初にお目にかかります」

   ユリアの兄、オスカー・コルネリウスは穏やかそうな男だった。ユリアの兄らしいと思った。彼は父や母と言葉を交わす。ちらりとユリアを見遣ったが、ユリアが此方を見ることは無かった。
   怒っているのか――。

「閣下は昨年、大将に昇進なさったと伺っております。おめでとうございます」
   オスカー・コルネリウスは此方を見て、話題を振った。俺はユリアに軍人であることを伝えても、将官であることさえ伝えていなかった。この状況が心苦しくて、ありがとうございます、と彼に礼を述べる以外の言葉が紡げなかった。
「フランツ。先程から何を茫然としている」
「あ……、すみません……」
「ユリアさんが綺麗で見とれていたのでしょう」
   母がフォローの手を差し伸べたが、何も応えられなかった。父は私の様子に呆れ果て、ユリアの兄に向かっていった。
「不肖の息子だが、大将にも昇進したことだし、私は来年にはフランツに家督を継がせようと考えている。今後は会議にも息子を出席させるから宜しく頼む」
「こちらこそ、閣下」
   卒がないユリアの兄に比べて、俺は何とも情けない姿を晒してしまった。そしてユリアは父や母と言葉を交わしていた。いつも通りの笑顔を浮かべていた。
   だが、俺の方を一度も見ようとしない。


「フランツ様」
   突然、腕を引かれて驚き、脇を見るとクリスティンがにこりと笑って俺を見上げていた。
「踊りましょう、フランツ様」
「いや、私は……」
   ぐいとクリスティンは俺を引っ張る。済まないが――と断ろうとすると、クリスティンは言った。
「約束したではありませんか。さあ、行きましょう」
   約束?何のことだ?
「クリスティン。私は何の約束も……」
   ぐいぐいとクリスティンに腕を引っ張られる。それも俺をユリアの前に引き出して、クリスティンはユリアをちらと見遣ってから、歩みを進める。

   クリスティンはわざとこのような行動に出たに違いない――。
   ユリアの方に眼を遣ると、その時、一度だけ視線が合った。酷く悲しそうな眼をし、すぐに顔を逸らした。
   クリスティンに踊らない旨を告げて、ユリアの許に戻ろうとしても、クリスティンは腕を放さなかった。そのうち、皇帝までやって来て、クリスティンと俺の様子を見て、踊るよう促す。
   結局それから暫くはその場を逃げ出すことも出来ず、両親の許に戻った時には、ユリアは既に居なかった。

   この日のパーティは、俺にとって最悪な事態を招くこととなった。


[2010.3.3]