「フランツ。よく来てくれた」
   フォン・シェリング家での食事会の日がついにやって来た。
   ユリアと付き合い始めた翌日に、父と母に付き合っている女性が居ることを告げ、クリスティンとの食事会を断ってくれるよう頼んだ。しかし、フォン・シェリング家の方がどうしても一度は会ってほしいとのことで、結局、この日の食事会に参加せざるを得なかった。

『何処の家のお嬢さんなの?はっきり言いなさい』
『付き合っているというのは、結婚を前提に付き合っているということか?』
   母ばかりか父までもが、ユリアのことを聞いてくる。まだそのような段階ではないから――と告げ、ユリアの名前も教えなかった。コルネリウス家と聞けば、父は必ず解る。旧領主層ではない普通の家の娘となると、父も母もすぐには了承してくれないだろう。もう少し時間が必要だった。

「今日はお招きありがとうございます。フォン・シェリング大将」
「クリスティンがこの日を心待ちにしていた。どうやらあれはフランツに初めて社交界で会った時から懸想していたようだ」
   フォン・シェリング大将は邸のなかへと案内する。フォン・シェリング家もロートリンゲン家と同様、建国以来続く名家だった。広い大部屋には既にクリスティンとフォン・シェリング夫人、それにクリスティンの妹のベアーテ、弟のフリデリックが控えていた。
   いらっしゃいませ、とクリスティンは立ち上がり、此方を見遣って言う。それぞれの両親が向かい合い、俺はクリスティンと向かい合う形となった。


   クリスティンは積極的に俺に話しかけてきた。趣味を問われたので、美術品を見るのが好きだと応えると、クリスティンは私も好きです――と応えた。休日はどうやって過ごしているのかということも聞かれ、美術館や博物館に行っていることを告げると、クリスティンは眼を丸くして、それ以外の場所には行かないのかと尋ねて来る。返答に困っていると、フォン・シェリング大将は笑いながら言った。
「フランツの美術品好きは軍のなかでも有名だ。お前のように遊び呆けてはおらんよ」
「いや、困ったものだよ。ルートヴィッヒ。休日にふらりと出掛けたかと思えば、行き先は美術館か博物館だ」
「良い趣味ではないか。勤務態度も真面目で、昨年には大将にも昇進した。立派な跡継ぎで羨ましいことだ。フリデリック、見習わねばならんぞ」
   フォン・シェリング大将は息子を見遣ってそう言った。息子のフリデリックは少し萎縮した様子で、はいと応える。
   そういえば、このフリデリックは士官学校の幼年コースに不合格となったと聞いている。毎年数人しか入学が許可されず、その試験は旧領主層であれ優遇はされない。俺は何とか試験に合格して入学出来たが、あれは単に運が良かったのだろう。
「これから3年間、きっちり勉強して士官学校の上級コースには上位の成績で入らねばな」
   フォン・シェリング大将の言葉に、フリデリックはまた小さな声ではい、と応えた。何もこのような場で取り上げなくとも良い話題だと思うが――。
「あれは運だよ、ルートヴィッヒ。そう気負わせるものでもない」
「だがこのフォン・シェリング家の跡継ぎとして、フリデリックには確りとした教育を受けさせたかった。勉学も武術も幼い頃から家庭教師をつけて励ませたのに、まさか不合格とは……」
「心配せずともフリデリックもきちんと解っている。これから軍に入ったら、立派に活躍してくれるに違いない」
   父はフリデリックを見遣って優しくそう言った。その傍らで、母が話題を変えてクリスティンとベアーテの美しさを褒める。褒められた二人は嬉しそうに顔を見合わせた。クリスティンは此方にも視線を向ける。


   確かに綺麗だが、クリスティンとベアーテの美しさは着飾られた美しさだった。飾り気の無い自然美のような美しさではない。このような場で不謹慎だが、ユリアのことを思い浮かべてしまう。

   供された料理の数々は、有名店のシェフを招いて作らせたものだった。美味しかったが、何だか気張り過ぎているような気がした。
   食事を終えると、半ば強制的にクリスティンと庭を散歩してくるように促される。部屋を出るなり、クリスティンは俺の腕に手を添えてきた。
「クリスティン……」
「フランツ様は相手が私ではお嫌ですか?」
   ふわりと香水が鼻腔に達する。クリスティンは積極的な女性だった。
「フォン・シェリング大将にも先日お伝えしたが、私は今、付き合っている女性が居る。君には申し訳無いが……」
「どちらの家の方ですか?」
「いや、それは……」
「ロートリンゲン家の御子息様ですから、勿論、名家の御方を相手になさっているのだと思いますが、私の知る限り、フランツ様と釣り合うような年代の方がいらっしゃらないかと」
   名家でなければ付き合ってはならないとでもいうのか。クリスティンの言葉はどうも棘がある。
「ロートリンゲン家とフォン・シェリング家が手を結べば、今後も友好な関係を築けると父も申しています」
「……君はそれで良いのか?自分の一生の伴侶をそのような理由で決めてしまって」
「あら、私は幼い頃からフランツ様のことをお慕い申し上げておりました」
   クリスティンを傷付けることなく、この話を破談にしたいものだが――。
   クリスティンは私の事情など構わずに、自分が如何にこの日を待ち受けてきたかと語り出す。おまけに身体をぴったりとくっつけてくる。
   困ったぞ――。

「フランツ様。今度、私も美術館に連れて行って下さい」
「……クリスティン。本当に申し訳無いが、私は君と付き合うつもりはない」
   クリスティンを傷付けてしまうかもしれないが、仕方が無い。はっきり伝えなければ、後々に禍根を残してしまう。
   クリスティンは私を見つめ、腕から手を放した。漸く解ってくれたのか――ほっと安堵すると、クリスティンは諦めません、と短く言った。
「だって私はフランツ様の許に嫁ぐことになるって、子供の頃から教え込まれてきました。社交界で拝見して、私もこの方ならと納得したのです」
「子供の頃からとはどういうことだ……?」
「お父様がそのように仰っていました」
   私は何も聞いていないぞ――。
   このたびの話も、父から突然聞かされた話だったのに――。
「フランツ様がお付き合いになっているという女性、おそらく一般人かと思います。そんな方に私達のような生活が出来るとお思いですか? 私達の生活は一般の方々とは全く異なるのですから……。フランツ様もお立場をお考えなさいませ」
   クリスティンは無邪気な様を装いながら、一般人を見下す。彼女の言動から薄々と気付いてはいたが、此処まであからさまに表現されると不愉快以外の何物でもなかった。言い返したくなるのを堪え、その代わりにこう言ってやった。
「君は少し外の世界を見た方が良さそうだな」
   そして父や母が待つ応接室へと向かった。後ろをクリスティンが付いてきたようだが、声をかけることはしなかった。


[2010.2.28]