ユリアと結婚して3年目に長男のフェルディナントが誕生し、その翌年には次男のハインリヒが誕生した。フェルディナントの身体が弱いことを、ユリアと共に思い悩んだこともあった。

   そのフェルディナントも成長し、外交官として宮殿に勤めている。ハインリヒも一昨年、軍に入隊した。漸く私の荷も下りつつある。
   それを考えると、今度は二人の息子達にこういう話が度々持ち上がるのも不思議ではない。

「あら。また縁談ですか?」
「まあな。ハインツ家から、フェルディナントに婿に来てほしいと。身体が弱いから無理だと一度は断っているのに、今度はこうして手紙で申し出が来た」
   ユリアは私の前に珈琲を置いて、隣に腰を下ろした。
「ルディはまだ結婚するつもりは無いようですよ」
「今は仕事しか眼に入っていない。あれにも困ったものだ」
「公使となったばかりですもの。暫くは仕事に専念することでしょう。大学の頃から付き合っていた女性とも別れてしまったようですよ」
「女よりも仕事を選んだのだろう。フェルディナントらしい。……しかし何故そのようなことまで知っているんだ?」
「この間、ルディから聞きました」
「……ユリアにはそのような話もするのか」
「ルディもロイも何でも話してくれますよ」
   フェルディナントとハインリヒは――、とくにフェルディナントは、私とはあまり話をしたがらない。厳しさ故に煙たがれているのだろう。仕方が無いことだが。
「一度ゆっくり話してみれば良いのに」
「……また今度な」
「いつもそればかり。縁談の話をしながらルディと向き合ってみては?」
「フェルディナントに報せるまでも無い。これは私から断っておく」
   手紙を畳むと、ユリアは話すきっかけになるではないですか――と私を見つめる。

「私は厳しい父親のままで良い。二人のためにもな」
   煙たがられるぐらいがちょうど良いんだ――と告げると、ユリアは呆れた表情で、嘘ばかりと呟いた。
「ユリア、縁談の話の続きだがな……」
「はい?」
「フェルディナントにもう一件寄せられている。フェルディナントの身体のことも全て理解した上での話だ」
「まあ、どちらから?」
「……陛下から。次女のエリザベート様との縁談だ」
   これには流石にユリアも言葉を失って、眼を見開いて私を見つめていた。
   私も皇帝にそれを告げられて酷く驚いた。先日、皇帝に呼ばれ宮殿に赴いた折にそれを告げられた。フェルディナントは身体が弱いからとその場で伝えたにも関わらず、皇帝は言った。
『承知の上で話をもちかけている。お前の長男が優秀であることを聞き及んでの話だ。少し考えてみてくれないか』
   長女のフアナでなく次女のエリザベートだ。これが何を意味するかは、私が言わずともお前には解っているだろう――。

   言葉を失った。
   第一皇女フアナはフェルディナントと同じく身体が弱く、フェルディナント以上に症状は深刻だと聞いている。昨今では人前に出て来ることもない。第二皇女のエリザベートは健康で利発であり、ゆくゆくはこの帝国初の女帝となる方だと皆が噂している。
   つまり、その皇女エリザベートの縁談ということは、フェルディナントを皇族の一員と迎えたい――もっと言えば、事実上の皇太子としたいということと同義であって――。

「ですが、エリザベート様はまだ16歳ではありませんか」
「ああ。陛下のお考えでは、早めに婚約しておいて、フェルディナントを宮殿に入れるつもりらしい。陛下と二人きりになった場でその話を持ちかけられた。まだ内々のことだ。誰にも……、フェルディナントにも話してはならぬぞ」
   ユリアは解りましたと頷いて、ひとつ息を吐いた。
「……どうなさるのです?」
「折を見てお断りする。フェルディナントには重責すぎる話だ」
   漸く成人を迎えて、フェルディナントの症状も落ち着いてきたと安心していたところだった。今度は縁談の話で悩まされるとは。
「……このままで居られたら一番良いのにな」
「フランツ……」
   自分自身の言葉に笑い、ユリアの肩を抱き寄せる。ユリアも私に身体を寄せてきた。
「私も今のままで充分幸せです」
   微笑むユリアに顔を近付け、口付けを交わす。もう何百回も、否、千回以上もそうしてきたというのに、ユリアという女性はいつまでも私を惹きつける女性だった。

「母上!」
   突然、ばたんと扉が開き、慌ててユリアから離れる。この乱暴な扉の開け方は振り返るまでもない。ハインリヒだ。
「ハインリヒ! ノックと声をかけてから扉を開けるのは常識だろう!」
「し……、失礼しました」
   出直します、と言って扉を閉めようとするハインリヒにユリアが立ち上がって呼び止める。
「待ちなさい。ロイ。何か話があったのではないの?」
「……邪魔じゃない?」
「ええ、ちっとも」
   この時になって振り返り、ハインリヒの姿を見た。軍服のままだった。どうやら本部から帰宅してそのままこの部屋に飛び込んできたようだ。
「少将に昇級が決まったんだ」
   ハインリヒは嬉しそうにそう言った。そういえば、先週末に昇級試験を受けたと言っていた。こんなに早く昇進するとは思わなかったが。
「そうか。おめでとう」
「軍務局艦隊総司令課副官付という職名も貰ったよ」
「少将で副官か。少し職が重いような気もするが……」
「ポストが空いてたみたいで……。あ、そうだ。ルディは今日少し遅くなるって」
   ハインリヒはそれだけ言うと、部屋を出て行った。たった一歳の差なのに、落ち着いたフェルディナントとは違い、ハインリヒはまだまだ落ち着きのない男だった。
「アガタに言って今日は御馳走にしなくてはね。ワインも多めに用意しておきましょう」
   ユリアはそう言って私の方を見、微笑んだ。それから部屋を後にする。
「願わくばこの平穏が続いてほしいものだ」


   フランツ・ヨーゼフ・ロートリンゲンは一人呟いて、テーブルの上にあった絵画の本を開いた。

【End】


[2010.3.7]
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