「ユリア……。話があって此方に来た。少し時間をくれないか」
「……閣下。お戯れはもうお止め下さい。失礼ですが、このままお帰り下さい」
「君に身分を明かしていなかったことは悪かったと思っている。だが、告げてしまうと君は離れてしまいそうで言えなかった」
「閣下にはフォン・シェリング家のクリスティン様という方がいらっしゃるではないですか。私は旧領主層の出身ではありませんし、閣下とは身分が違いすぎます。閣下のご身分を知れば、身を引くのは当然のこと」
「クリスティンとの縁談は疾うに断っている。俺は君以外の女性を、妻に迎えるつもりはない」
   ユリアは俺を見つめ、それから眼を伏せた。
   ちょうどその時、玄関の扉が開き、老いた男性が何かあったのかとユリアに近付いて来た。この男性がユリアの父親か。

「コルネリウス卿。私はフランツ・ヨーゼフ・ロートリンゲンと申します。先触れもなく来訪してしまい申し訳ありません。ユリアと少し話をさせて下さい」
   コルネリウス卿は一瞬呆気にとられていたが、すぐに門を開けるようユリアに促した。ユリアが渋ると、コルネリウス卿が門を開いてくれ、部屋の中に入るよう促した。


   家の中にはユリアの母親も居て、俺の突然の来訪に酷く驚き慌てていた。
   俺に出来ることは兎に角、ユリアにこれまでのことを謝ることだった。名と身分を隠していたこと、だがそれは悪意を持ってそうしたのではなかったことを説明した。この日は謝罪に徹した。そして、明日もう一度話をさせてほしいと言い残して、コルネリウス家を去り、翌日また同家を訪ねた。

   結婚を前提に付き合ってほしい――そう告げると、ユリアは身分が違いすぎると言って、ひたすら固辞した。なかなか首を縦に下ろしてくれなかった。
   どのような状況でも必ず支える、何事からも必ず守る――、俺は誠心誠意、それを伝えた。
   ユリアの頑なな表情から涙が零れたのはその時だった。愛している――その俺の言葉に、ユリアは私も愛していますと返してくれた。
   そして、ユリアと俺は、両家の承諾を得、結婚を前提に付き合うことになった。





「ユリアさんの説得に成功したそうよ」
   電話口での様子がいつになく明るい調子だったから、そうなのだろうとは思っていたが――。
   エルフリーデは微笑を浮かべながら、そう告げた。
「やれやれ。いくつになっても手のかかる息子だ」
   皇帝陛下の祝賀会が無ければ、いつまでも自分の正体を明かさないつもりだったのではないか――そんな気さえする。普段は度胸が座っている癖に、今回のフランツときたら、情けないことに度胸の欠片もない態度だった。
「誰に似たのかしらね」
「……私はお前と一緒になるために、一度はロートリンゲン家を捨てたのだぞ。フランツとは違う」
「新居の契約の仕方も解らなくて、私が全部準備したような記憶があるけれど」
「……それは」
   仕方無いではないか。そういう雑事は今迄執事がやってくれていたのだから。
   話が私にまで及ぶとは、エルフリーデは一体何を考えているのだか。
「まあそれは兎も角、ユリアさんを迎えることになると、彼女付きの侍女が一人欲しいわね。それから部屋も用意しないと」
「随分話が早いではないか」
「フォン・シェリング家がそう簡単に諦める筈は無いと貴方も解っている筈よ。ユリアさんとフランツの仲を裂こうとするでしょう。そればかりか、婚約ともなればユリアさんの身に危険が及ぶかもしれない。ハンブルクの彼女の家にも警備が必要となるでしょう」
「……否定は出来んな。ルートヴィヒはどうも妙なことを考えている。……小耳に挟んだことだが、次女のベアーテを皇弟殿下と結びつけるつもりらしい」
   最近、ルートヴィッヒに関して良い話を聞かない。旧領主家のなかでも抜きんでようと画策しているようだと噂されている。

   だからフォン・シェリング家との縁談は、当初からあまり気が進まなかった。しかしフランツももう来年には30歳となることを思うと、あまり暢気に構えてもいられない。旧領主家にはフランツと年齢の近い女性は少なくて、フォン・シェリング家を除いては皆、結婚してしまっていたから、私としても少し焦っていた。
「初めはクリスティンと結ばれれば良いと思ったけれど、こうなるとそうならなくて良かったと思っているわ。警備の件はコルネリウス家とも話した上で決めましょう。それから、侍女の件で思いついたのだけど」
   エルフリーデは持っていたカップを置いて言った。
「パトリックのお嫁さん、アガタと言ったかしら? 彼女が適任だと思うのだけど」
「それはお前に任せよう」
「ユリアさんと年齢も近いし、ちょうど良いでしょう。明日にでもパトリックに聞いてみましょう」
   エルフリーデは嬉しそうに話す。フランツを結婚させなくては――と、私以上に気にかけていた。出来るだけ、本人の意向を大切にしたいとも言っていた。そのどちらも叶ったのだから、エルフリーデにしてみれば今は踊り出したい気分に違いない。

   それに今思い出したことだが、エルフリーデはずっと娘を欲しがっていた。しかし、私達の間に、子供は一人しか授からなかった。エルフリーデにすれば、漸く娘が出来たと考えているのかもしれない。
   加えて、ユリアの印象も良かった。フランツが惹かれた気持が解る。クリスティンよりユリアを選んだことには、眼が高かったと褒めてやりたくなる。尤も、あれだけ露骨なクリスティンの態度には誰もが興ざめするだろう。そのせいで、ユリアが余計に際立って見えた。
「……警備の件も早い方が良さそうだな」
「そうですよ。なるべく早く手配して下さいな」



   月の終わりが近付いた頃、フランツはユリアを連れて来た。ユリアはフランツには勿体ないほどの美しい女性だった。ユリアは丁寧に挨拶をして、フランツは少し気恥ずかしそうにユリアを紹介した。
   フランツは終始嬉しそうだった。ユリアと顔を見合わせ、微笑む様子からも、二人の絆は深いのだろう。

   翌月になってフランツとユリアは正式に婚約し、翌年の春に二人は結婚した。盛大な結婚式となり、美しいユリアを称賛する声が四方八方から聞こえて来た。ロートリンゲン大将は妻まで第一級の芸術品を選んだ――と。
   確かにユリアは美しい。だが外見の美しさだけではない。心意気が美しいとでもいうのか、話をしているとそれを感じる。コルネリウス家の人々の人柄を考えれば、ユリアもそれに違わなかったということだろう。
   二人の姿を見ていると、次代の展望が少し見えたような――そんな気がした。


[2010.3.6]
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