夜中にフェルディナントが呼吸困難を起こした。昨日から顔色は悪かったが、ユリアも私も風邪だろうと、軽く考えていた時のことだった。
   フェルディナントの部屋に駆け付けた時、フェルディナントは息を荒げながら、ベッドに蹲っていた。呼び掛けても返事すらも出来ない状態で、すぐにトーレス医師に診察に来て貰った。
   心臓に起因するものかもしれない――と、トーレス医師は言った。詳細な検査を行うことになり、朝になってすぐ病院に向かわせた。私は貿易振興会の恒例行事のため付き添うことは出来なかったが、帰宅後にユリアから状態を聞いた。
「心臓にかなり負担がかかっているのですって。投薬と安静で治ると仰っていたけど、ルディがなかなか承諾しなくて……。昇進のかかった仕事を任されたばかりだったみたいよ」
   やはり心臓だったのか――。
   心臓と肺が特に弱いことは幼い頃から言われてきたことだった。この頃はあまり発熱しなくなっていたから、体質のこともそれほど気にかけていなかったが――。
   仕事はやはり身体への負担となったのか。
「……フェルディナントの身体にとって官吏は難しかったということだ。たとえ優秀であっても、今回のように身体が悲鳴を上げる。……今は部屋で休んでいるのか?」
「ええ。早く治して仕事に戻るって言ってるわ」
   心がけとしては良いことだが、心臓疾患による休養となると時間がかかるだろう。
   しかし――、半年で昇進の話が出たのか。大抵の人間が一年はかかるというのに、仕事能力は大したものだ。



   フェルディナントの部屋に様子を見に行くと、フェルディナントはよく眠っていた。顔色は蒼白いままで、具合の悪いことが察せられる。ふと机の方を見ると、書類の束があった。徐にそれを手に取る。
   軍務省でもそうだが、新人は上官の手伝いばかりで担当を任されることはまず無い。ハインリヒが良い例だ。何でも上官と共に行動する。ところがフェルディナントは、少し前から単独で案件の担当を任されていると言っていた。
   きっと外務省で認められつつあるのだろう――と思っていた。フェルディナントが優秀であることは確かだ。だが優秀だからこそ、哀れに思うことがある。身体さえ丈夫だったら――と何度思ったことか。

「……父上……?」
   眼が覚めたのだろう。フェルディナントの声が背後から聞こえた。
「ゆっくり休みなさい。過労が原因だと医師も言っていたそうではないか」
   フェルディナントは俯いた。きっと口惜しいのだろう。それがひしと伝わって来る。
「……今回任された仕事が成功したら、昇進出来ることになっていたんです……。国際会議の案件を担当出来る筈だったのに……」
   口惜しそうに手を握り締める。
「そうか……。だが仕方の無いことだ」
   フェルディナントは黙り込む。きっとまだ諦めきれないのだろう。

   いつかこんなことは起こるだろうと思っていた。
   フェルディナントが優秀であることは私も認めている。だが、優秀だからこそ、口惜しい思いをするだろうことも予想出来ていた。真面目に職務に取り組めば、官吏という仕事は激務でしかない。そんな激務に、フェルディナントの身体が耐えられるとは思えなかった。

   身体さえ丈夫だったら――。
   私はフェルディナントに期待をかけていただろう。向上心もあれば決断力もある。軍に入れば、何か成し遂げてくれたのではないか――とさえ、考えたこともある。

   だがフェルディナントには肝心の体力が無い。フェルディナントが如何に努力したところで、報われないこともあるだろう。
   フェルディナントは他人と同じ土台には立てない。虚弱体質の問題は、肝心な時にフェルディナントを苦しめることになる。
   今のように――。

   ただ、フェルディナントには才覚がある。幼い頃から本を読み、溜め続けてきた知識あっての才覚ともいえるが、それはフェルディナントにとって大きな武器となる。

「フェルディナント。自分が出来る範囲内のことをやりなさい」

   フェルディナントだけに出来ることが必ずある筈だ。私はそう思う。
   尤もそれは、フェルディナントがこの先も官吏を続けたいという前提でのことだが――。

   フェルディナントは私を見た。顔色はまだ蒼白いままだった。この様子では、やはり早期の復帰は無理だろう。

「……その身体では無理は出来ない分、同期達から遅れを取ることもあるだろう。それでも官吏を続けたいのだろう?」
   フェルディナントは躊躇無く、はい、と告げる。この子は仕事が好きなのだと思っていたが、やはりその通りだ。
「ならば、自分にしか出来ないことを見つけることだ」
「私にしか出来ないこと……?」
   私が出来るただひとつの助言だった。そしてきっとフェルディナントはそれを見つけ出すだろう。


[2011.4.22]