28.秘密の小部屋〜追憶



「久しぶりだ。二人とも」
   ロートリンゲン家を訪れるのは、帝国美術院での研修以来、実に10数年ぶりのことだった。その間、祖父母の葬儀や私の結婚式でルディやロイと会うことは会ったが、今回のように落ち着いて二人と顔を合わせるのは数年ぶりだった。
   ルディとロイ――否、もう子供ではないのだから、フェルディナントとハインリヒと呼ぶべきなのだろう。ロートリンゲン家ではそういう倣わしだと聞いている。
フェルディナントもハインリヒもすっかり大人になっていた。二人とも背が高く、既に私を追い越していた。
   何よりも、大学生となったフェルディナントは、虚弱体質とも思えないほど元気そうだった。私達の仕事を二人揃って手伝いながら見学していたが、ハインリヒと同じように動くことも出来る。おまけに護身術も身につけているようで、傍目にはハインリヒと何も変わりないように見えた。
   フェルディナントが初めてハンブルクに来た時とは、大違いだった。あの時は、病床に臥した祖父の見舞いに来た。長時間の移動で熱を出してしまって――。
   あの日のことが昨日のように思い出される。





「いらっしゃいませ。閣下、それにロイ……。あら?」
   車が到着して、祖母が出迎えに出ると、其処にはルディの姿が無かった。ルディは――と祖母が尋ねると、ユリアは熱を出してしまったの――と言った。
「まあ。ではルディは御邸でお留守番なの?」
「いいえ。此方に来ているわ。けれど今日は動かない方が良いから、アガタと一緒に病院に居るの」
   ユリアは少し肩を竦め、長い距離を移動したから疲れたみたい――と言った。ルディの体力のことを考えれば、このハンブルクまで辿り着けたというだけで驚くべきことだった。今回はミクラス夫妻も共に同行しており、今日は夫妻と共に病院にいるらしい。
「そう……。無理をさせたわね」
「いいえ。お父さんは?」
   ユリアが尋ねると、祖母は寝室で待ち構えているわ――と応えた。
   今回、ユリアがハンブルクに家族総出で訪れたのは、祖父の見舞いのためだった。半年前に倒れた祖父が、ここ最近、急激に衰えて、起き上がることすらも滅多に出来なくなってしまった。高齢であるし、病状も悪化しつつある。万が一の事態を考えておかねばならない状態でもあった。
   ルディの体調のこともあり、一家で此方に来ることは出来ないだろうが、ユリアだけでも一目、祖父に会わせることは出来ないか――そう祖母が俺の父に言って、父がユリアに連絡をいれた。するとユリアは、皆で一度ハンブルクに行くことを約束したのだった。

   ユリアによれば、最近はルディの具合も大分良いのだという。だからこそ、このハンブルクに来ることが出来ると判断したようだった。
「閣下。お忙しいなか、遠いハンブルクまでありがとうございます」
「いいえ、義母上。もっと早く此方に来るべきものを、申し訳御座いません」
   丁寧な閣下の挨拶に、祖母は恐縮してから、ルディのことがありますから――と言った。
「御邸に伺いたくとも老体には帝都までの道程が長いので、私達も諦めておりました。でもこうして孫の顔を見ることが出来て感謝しています」
   祖父母はルディやロイに会いたがっていた。帝都がもっと近ければ、と言っていたこともある。ユリアが機転をきかせて、写真や映像を送ってきてくれるが、それでも一度は引き合わせたいものだと俺の父も母も考えていた。
「ロイ、よく来たわね」
   祖母は屈んで、ロイの身体を抱き締める。こんにちは、御祖母様――とロイは祖母を抱き締め返した。初めて会う祖母に、少し緊張しているようだった。

   それからユリア達は祖父の部屋に赴いた。ベッドの上で身体を起こしていた祖父は、ユリア達の姿を見て、満面の笑みを浮かべながら喜んだ。
「ルディは帝都なのか?」
   祖父が尋ねると、ユリアは祖母に言ったことと同じことを言った。ハンブルクに居ると聞いた時の祖父は眼を輝かせて、病院ならば会いに行こう――と言ってベッドから出ようとするものだから、慌ててユリアが引き止めた。
「快復したら此方に連れてくるわ。それまで待っていて」
   祖父は俺が思っていた以上に、孫であるルディやロイに会いたかったのだろう。これまでその思いをひた隠しにしていたのかもしれない。ロイに優しい表情を向け、その頭を撫でながら語りかける様は、それを物語っていた。


「これで快復してくれれば良いが」
   祖父の部屋をそっと後にしてリビングに戻ってくると、父が母にそう語り掛けていた。
「祖父さん、予想以上に喜んでいたよ」
   両親の側に歩み寄って報告すると、そうか、と父は少し表情を緩めた。
「あとはルディに会わせてやりたいものだ」
「此処まで来ることが出来たのだから大丈夫だよ。きっと数日中にはこの家に来てくれる」
   俺がそう言うと、父はそうだなと頷いた。

   暫くして、ユリア達が祖父の寝室から出てきた。閣下とユリア、それに俺の両親が祖父のことについて語り合っている間、俺はロイを連れて庭に出た。ロイは無邪気に庭を駆け回る。両親達が話している最中に、閣下が携帯を耳に翳しながら玄関に出てきた。
   そうか、良かった、と言葉を返し、明日は起き上がれそうかと問う。もしかしてルディのことだろうか。すると、俺の側にいたロイが閣下の許に駆け寄った。閣下が電話を切るなり、ロイはアガタから?と問う。閣下は頷いた。
「熱が下がったそうだ」
「じゃあ明日、此処に来るの!?」
「そのつもりだが、明日の朝の状態によるな」
   ロイはもうルディが明日、此方に来ることを確信したかのように喜んだ。本当に仲の良い兄弟だった。
「ゲオルグ。この子の世話をさせてしまって済まないな」
「いいえ。俺もロイと会うのは久々ですから。ルディも良くなったようですね」
   閣下は頷いて、義父上に会わせることが出来る――と言った。閣下は身分違いの祖父に対してもきちんと礼儀を弁える。閣下が祖父のことを義父上と呼ぶのを、初めて聞いた時は驚いたものだった。誠実な方だから、ルディが丈夫であったら、きっと頻繁に此方に足を運んでくれただろう。

   ユリア達はこの日、祖父母宅に泊まった。部屋が狭いからホテルを取ると父が言ったが、閣下は気にもしていない様子だった。そして朝になって、閣下はルディを連れに行った。


[2011.3.4]