26.学校編【2】〜回顧



「校則を遵守しながら、これからの高校生活を……」
   自分の声が響き渡る。
   少し緊張していた。壇上に上がり、校長先生の前で挨拶を読み上げる。それだけで良いのに――。
   今迄に経験したことがなくて、緊張する。それを抑えるために、一文を読み上げたあとで、軽く深呼吸してから、続きを読んだ。
「新入生代表。フェルディナント・ルディ・ロートリンゲン」
   挨拶文を読み終わる。壇上から降りると少しほっとした。

   ああ、でも――。
   高校に入学することが出来た。
   ずっと通いたかった学校に今日から通える。
   漸く――。



   先天性虚弱という体質のため、私は常に邸のなかで過ごしていた。邸には外の汚染された大気を浄化する装置が備え付けられていて、常に綺麗な空気で満たされている。そうした環境のなかでなければ、私は忽ち体調を崩してしまう。
   惑星衝突後の環境悪化により、私のような体質の人間が生じた。生まれてまもなく死に至る場合もあるという。私も重度な状態だったらしい。生まれた頃のことは憶えていないが、幼い頃のことはよく憶えている。外に出られず、窓辺で凝と、ロイの姿を眺めていたこともある。ロイは私と対照的に健康だった。邸のなかでも元気よく走り回っていたのはロイだった。

   そんなロイを、私はいつも羨ましく思っていた。
   身体が弱いから、走っては駄目だ、外に出ては駄目だと言われ続け、それが納得出来ないうちはいつも泣いていた。何で僕だけ外に出ては駄目なの――と母上やアガタに詰め寄ったこともある。
   その思いが高まったのは、ロイがジュニアスクールに入学する時だった。その前年、私は学校に行くことを諦めさせられていた。それも泣く泣くそうしたことだった。
『お前の身体では学校に行かせられない。その代わり、家庭教師をつけることにした』
『どうして……? どうして駄目なの……?』
   父上に学校に行くんだよね――と話しかけたところ、無情な回答が返ってきて、問い返した。父は静かに言った。
『最近、少しずつ外出出来るようになったとはいえ、長時間の外出は無理だ。トーレス医師もそう言っていた。それに一日外出出来たとしても、次の日にはまた寝込む。そんな状態ではまだ学校に行かせられない』
   父の言葉を受けて、私は泣いた。母上が宥めながら、身体が良くなったら行かせてあげるからね――と言ってくれた。それでも、その年はついに学校に行くことは出来なかった。
   そしてその翌年、ロイが学校に行くことになった。
   あの日のことは今でもありありと思い出すことが出来る。




「ルディ! 見て見て!」
   制服を身につけたロイが、私に呼び掛けて言った。来月から学校に通うための準備で、鞄やら制服やら教科書といったものが、次々とロイに宛がわれていた。
   勿論、それらは私も持っているものだった。身体が良くなったら学校に通わせる――それを約束するかのように、前年のこの同じ月に、父上と母上が制服や鞄、教科書一式を全て揃えてくれた。教科書は家庭教師の先生について勉強する時に使ったが、それ以外の鞄や制服は、ただ眺めるだけのものとなっていた。だからロイが制服を着ているのを見て、胸の中が何かもやもやとするのを感じた。
「先刻、鞄に教科書とノートを全部いれてみたらすごく重かったんだ」
   無邪気に話しかけるロイに、私は何も言えなかった。口惜しさと腹立たしさ――何故、ロイだけ学校に行けるのか――、身体が弱いと何もかも我慢しなくてはならないのか――、そうした思いが胸の中を犇めいていた。あの頃はまだ子供で、それらを言葉にすることすら出来ず、ただ黙っていたが――。
   黙っていると無性に悲しくなって、涙が溢れてきた。それを見たロイが、どうしたの――と何も解らない風で問い掛ける。口惜しくて口惜しくて口惜しくて――。
「知らない!」
   そう言って、ソファから立ち上がり、リビングルームを出た。ロイの顔を、特に制服を身につけた姿を見たくなかった。
   泣きながら階段を駆け上がり、自分の部屋に行った。走ったことで息が切れ、おまけに泣いているから余計に苦しくなったが、構わなかった。自分の身体を呪った。ロイは学校に行くことが出来るのに、私は行けない。身体が弱いから、ただそれだけの違いで――。

『どうしたの?』
   ロイの何も知らない顔が思い出される。私がどんな思いをしているか解らないのだと思うと、余計に口惜しくなった。ロイにも同じ思いを味合わせたくなった。
ロイも学校に行かなければ良い――。
   そんな風に考えてしまったのは、今思い返せば確かに、僻みだったのだろう。涙を拭い、私が向かった先は、隣のロイの部屋だった。

   ロイの部屋は私の部屋とまったく同じ作りと配置になっている。そのロイの机に向かうと、教科書とノートが重ねておいてあった。どちらにもロイの名前が書かれてある。
   新品の教科書とノート。私とまったく同じもの。でもロイは学校に行くことが出来る――。
   そう考えた途端、また胸の中にもやもやが生じ始めた。何故、ロイだけ――。ロイも学校に行けなくなってしまえば良い――。
   教科書を思いきり引き千切ったのはその瞬間だった。そうした途端、酷い後悔に苛まれた。しかしそれを打ち消すように別の教科書も同じように破った。
それも、泣きながら――。


   悪いことだと解っていた。こんなことをしたらロイが悲しむと解っていた。可哀想だとさえ思った。それでも、止められなかった。口惜しさがそれらの感情をさらに上回っていた。胸のなかのもやもやと後悔を追い払うかのように、私は教科書を破り続けた。


   その時、扉が開いた。ロイが部屋に来たのかと思ったら、母上だった。
「……何をしているの? ルディ」
   母上が歩み寄って来る。私は俯いて黙り込んだ。
「ルディ……」
   母上は言葉を無くした様子で、惨状を見つめた。破られた教科書が3冊、形も無いほどに破れ、その残骸が足下にも散らばっていた。
「ルディ。どうしてこんなことをしたの?」
   母上は私の前に屈み込むと、そう尋ねた。
「これはロイの教科書でしょう? 教科書をこんな風に破られたら、ロイは困ってしまうでしょう? ルディだって同じことをされたら怒るわよね」
「だって……っ」
   泣きながら、反論する。母上は真っ直ぐ私を見つめていた。いつになく厳しい眼で。
「ロイだけ……っ、学校に行くなんて……っ」
「ルディ。貴方も身体が丈夫になったら通えるのよ? そんな風に自分が行けないからと言って、ロイに当たってはいけません。この教科書を見たら、ロイがどれだけ悲しむと思うの?」
「今年も……っ、僕だけ行けなくて……っ。ロイだけ……っ!! 狡いよ……っ」
「辛いでしょうけれど、それをロイに向けるのは間違っていることよ、ルディ」
「僕……、悪くない……っ!」
   悪いのは解っているのに、私は泣きながらそう言った。すると、母上は厳しい顔で言った。
「いいえ。ロイの教科書を破ったことは、悪いことよ。ルディ、そんな風に自分の怒りを他人に向けてはいけないの」
   この時、私は味方を失ったような気分になった。母上の言葉は正しいものだったが、この時の私にはそうは思えなかった。ただロイの味方をしているようで――。
   私は味方を失ったようで――。
「悪くないもん……っ!!」
   そう言って、私は母上の側を離れ、自分の部屋に駆け込んだ。つまりは、その場から逃げた。


[2010.12.25]