「……辞める人間がうだうだと口を挟むのはみっともないことではありますが……。それにロートリンゲン大将は重々承知なさっているとは思いますが、一言だけ御忠告させてください。御子息をフォン・シェリング大将にお近付けにならぬよう」
   ハインリヒをフォン・シェリング大将に近付けるな――?
   ……何か企んでいるということなのか。
「それは……、どういう意味ですかな?」
「確証がある話ではありません。ただ、フォン・シェリング大将が御子息を疎んでいることは事実。……御子息が会議で状況説明を行うことになる前、私はフォン・シェリング大将に取引を持ちかけられたのです」
「取引……?」
「御子息の会議への出席を取り潰す代わりに、御子息を士官学校から退学させるよう根回しをするように……と。艦内の詳細な状況が明らかになれば、私は責任を取らざるを得ない。フォン・シェリング大将はそれをもみ消す代わりに、御子息を陥れるよう取引を持ちかけてきたのです」
   やはりフォン・シェリング大将が動いていたのか――。
   今回は校長の座を狙っている者も多く、派の構造がそれに隠れてはっきりとは見えなかった。しかし、そのなかでハインリヒを陥れようと画策していたのか。
   父親の元帥に似て卑劣なことだ――。
「カルナップ大将はそれを了承しなかった……と。……失礼だが、貴方はフォン・シェリング元帥との縁は深い筈だ。それが何故、フォン・シェリング家を裏切るようなことを?」
「長いものには巻かれろ――という格言の通り、私は嘗て上官であったフォン・シェリング元帥の命令に従ってきました。……危ない橋を渡ったこともあります。その時にはもう、ロートリンゲン大将の派に与することは出来なくなっていた。そして間違ったことと解りつつも、何度もそうするたびに感覚が麻痺してきて、ただ元帥の命令を聞くだけの駒に過ぎなくなっていったのです。そんな時に元帥から士官学校の校長への推薦を頂いて、私はそれを引き受けた」
   カルナップ大将の話は、これまで噂で耳にしたことのある話だった。しかし実際、本人からこうして話を聞くことになるとは思わなかった。
「御存知の通り、士官学校は立場的には本部から少し距離を置くことになります。派閥の争いはありますが、本部ほどではありません。校長となってから私は漸く、自分の意志で物事を判断出来るようになりました。出来るだけ公正でありたい――そう思っていました。尤も実行に移せるほど力を持っていなかったのは事実ですが」
   カルナップ大将は苦笑のような自嘲のような表情を浮かべる。
   軍にはカルナップ大将のような人間は多い。ヴァロワ中将のような性格では、組織のなかでは生きにくく、それに一番辛く苦しい道を歩むこととなる。だから殆どの者達は、それを避ける。
「しかし最後には自分の意志を貫きたかった。有能な人材を軍に送り込むこと――私はそれが学校長としての責務だと思っております。御子息は有能な人材だ。勿論、ロートリンゲン大将の御子息だから、このようなことを言っているのではありません。家名に寄りかかることもなく、並ならぬ努力をしていることも知っております。毎日、早朝に起きてジムで汗を流している様を見た時には、私は自分が恥ずかしくなったものです。彼のそんな努力を踏み躙ってはならない――、当たり前のことですが、当たり前のことが私のような小心者には一大決心となってしまうのです」
「カルナップ大将……。では息子を軍に残すために貴方が身を引いたと……」
「私はそうは思っておりません。校長としてたったひとつだけでも、まともな選択をしたかったのです。ロートリンゲン大将、私は御子息の今後を非常に楽しみにしています。御子息なら、軍を変えてくれるかもしれない」
「まだまだ甘えの残る子供にすぎませんよ、カルナップ大将。……だが、出来るなら、次の世代に軍が変わってくれたらと思います。今の若手にはなかなか有能な人材が揃っていますからな。……それに私自身、陛下と意見を衝突させるばかりで、軍のなかを変えることは出来なかったから……」
「フォン・シェリング元帥が御存命中の間は、ロートリンゲン大将も動きづらかったことでしょう。元帥は酷く敵視なさってらした」
   私の代では無理だから、せめて次世代への土台をと動いてきた。ヴァロワ中将やザカ少将のように能力の高い者達が昇級出来るよう、取り計らってきた。それを良しとしない者達の声も未だ大きいが――。
「しかし、だからといってカルナップ大将が辞職なさることもないかと思います」
「フォン・シェリング家との繋がりを断つためには、辞職することが一番なのですよ。そう考えて決断しました。……話を戻しますが、ロートリンゲン大将、御子息の身辺には充分に御注意を。フォン・シェリング大将は元帥以上に何をなさるか解らない御方だ。今後、ロートリンゲン家の力が強まることを懸念しているように、私には見えます」
「御忠告、ありがたく受け取ります。……しかしカルナップ大将、私は貴方の辞職が残念でなりません」
「これで良いのですよ、ロートリンゲン大将」
   カルナップ大将はそう言って穏やかな笑みを見せた。もしかしたら、決断したことで何かが吹っ切れたのかもしれない。
「……だが、出来ればひとつだけお願いがあるのです。私の辞任が決定したことで、既にフォン・シェリング大将は次の人材捜しに動いているでしょう。今年は彼の御子息が幼年コースを受験することになっています。試験にて他の学生達と同様に合格したというのなら良いのですが、彼は是が非でも入学させようとしています。せめて士官学校は、彼の思惑通りに動いてほしくない。ロートリンゲン大将、貴方にどなたか御推薦願いたいのです」
   貴方は御自身の私利私欲のために動く方ではない。
   そのことを私はよく存じております。だからこそ、貴方にお願いするのです――。


   カルナップ大将はそう言い残して、退室した。
   ひとつの問題が解決したかと思えば、また別の問題が発生する。士官学校の件は確かにカルナップ大将の言う通りだろう。しかしだからといって、今の大将級に適任者が居るだろうか。
   思い当たらない。今の大将達は保身のためにしか動いていない者ばかりだ。
   誰か――。
   誰か居ないか。支部所属の者でも良い。
「失礼致します。閣下」
   フォイルナー中将が書類を携えて入室する。彼は説明を添えながら、書類を一枚一枚此方に差し出す。
   そういえば――。
   フォイルナー中将は中将となってもう5年が経つのではないだろうか。事務処理能力に長けているが、ヴァロワ中将と同じく出世欲の無い男で、おまけに武芸が苦手で――。
   温厚で実直な性格からしても、士官学校の学校長に相応しいのではないだろうか。
「……フォイルナー中将」
「はい」
   フォイルナー中将は最後の書類を手にしたまま、此方を向いた。
「年は確か42歳だったな?」
   士官学校の校長という立場上、あまり若い人材では駄目だ。40歳を越えているならちょうど良い。
「はい。どうかなさいましたか……?」
「中将となって5年が経つな?」
「はい。再来月で6年目に入ります」
「大将となり、士官学校の学校長となる心準備は出来るか? 私は君を推薦したい」
「私が……!?」
   フォイルナー中将は驚きの表情を露わにした。中将から大将への昇級は軍人であれば大多数が喜ぶだろうに、この男は困ったような顔をする。
「君の能力であれば、昇級試験は問題あるまい。どちらかといえば覚悟を聞きたいのだが?」
   フォイルナー中将は即答しなかった。慎重な性格であることもよく知っている。手放すには惜しい人材だが、彼にとっても良い昇級の機会でもあるし、彼の性格には校長という職がよく合っていると思う。
「……閣下。カルナップ大将閣下はもしかしてお辞めに?」
「ああ。つい先程、辞職願を提出したそうだ。そこで次の学校長を早急に決める必要がある。士官学校の学校長という重要なポストであるからこそ、私は強い意志を持ち、それをやり遂げる人材を推薦したい。おそらくフォン・シェリング大将はもう動いているだろう。したがって、もし私の推薦を受ければ、君はフォン・シェリング大将から疎まれることにもなる。その両方について覚悟が出来るかどうか――、出来れば早急に回答が欲しい」
   フォイルナー中将は明日までに考えて回答します――と神妙な面持ちで応えた。





   今日はハインリヒが一時帰宅する日だな――そんなことを考えながら帰路についた。いつも通り門を潜ると、フリッツが扉を開けて出迎えてくれる。屋敷に入った途端――。
「父上! 学校長が代わって、フォイルナー中将……っと、フォイルナー大将閣下となって吃驚したんだけど……」
   ハインリヒがまくし立てるように話しかけてきた。

   今から2ヶ月前、フォイルナー中将は私の推薦を受け入れる旨を告げてきた。そこですぐに、昇級試験の実施を陸軍長官に要請した。思った通り、見事な成績で試験を通過したフォイルナー中将は大将となり、私や陸軍長官、その他数名の大将達の推薦を受けて、学校長に就任した。
「急な話でな。演習も無事終わったようだな」
   ハインリヒの元気そうな様子を見れば、フォン・シェリング大将からの干渉は何も無いのだろう。
「ところでフェルディナントは?」
   私の上着を手にしたユリアに問い掛ける。フェルディナントは今日、外交官試験の一次審査の合否が判明する。結果がどうだったのか、気になっていた。
「今、電話中なの。結果はまだ届いていないわ」
「そうか。……しかしこの時間になってもまだ届いていないのか」
「午後の郵便が遅れているみたいよ。あら、電話が終わったみたいね」
   ユリアが二階を見上げて言った。フェルディナントは携帯電話を握り締めたまま、珍しく興奮した様子で階下に降りてきた。
「受かったって電話が……!」
   嬉しそうにユリアと私を見てそう告げる。
「おめでとう。良かったわね、ルディ。ところで、何処からの電話だったの?」
「大学から……。一番で合格したって教授から連絡があって、二次試験は免除で、三次試験の面接を受けてくるようにって……!」
   二次試験免除とは――。
   滅多なことでは試験は免除されないのに、大したものだ。おそらく一次試験が満点だったのだろう。
「おめでとう。フェルディナント」
   フェルディナントは本当に嬉しそうな顔をしていた。三次試験の面接はどの部署に担当となるかを決めるようなもので、二次試験が免除されたとなると採用が決まったのと同じ意味となる。
   この様子だと、おそらく本部所属となるだろう。
   どうやら本当に来年には二人ともこの邸から本部に通うことになりそうだ。
「俺も本部に所属出来ると良いな」
「ロイならきっと大丈夫だよ」
   フェルディナントとハインリヒの会話を聞きながら、実感する。もう二人とも社会に出る年頃なのだと。ハインリヒが会議で報告すると解った時には慌てもしたものだが――。

   きっと心配は要らないだろう。
   私が気を揉まずとも、充分に任務を果たしていける――。
   そう考えると少し寂しい気もしたが、ひとつの大きな任務を果たし終えた時のような充足感も覚えた。


【End】

[2010.12.3]