宮殿の奥へと向かう。一歩進むごとに緊張が増していく。眼の前に豪華な扉が聳えていた。その扉の前の衛兵達が父上に敬礼をする。陛下の御要請で息子を連れて来た――と告げながら、父上は携帯していた拳銃を衛兵の一人に手渡した。
「伺っております。どうぞ」
   衛兵達に敬礼を返し、それから扉を叩く。中から、お入り下さい、と声が聞こえる。秘書官だろうか。
   緊張がさらに高まってくる。
   扉が開く。父上の後を付いて歩く。男が一人扉の側に控えていて、陛下がお待ちです――と一礼した。スーツを纏っていることからも、やはり秘書官なのだろう。
   父上はさらに奥へと進んだ。二人の男達が扉を開ける。
「フランツ。待っていたぞ」
   低い、しかしよく通る声が聞こえて来た。
「お待たせ致しまして申し訳御座いません」
   父上が深々と一礼する。それに倣い、俺も頭を下げる。
「良い。堅苦しいことは抜きだ。ハロルド、退室して良い」
   俺達を案内してくれた秘書官が一礼と共に去っていく。皇帝と父上、それに俺だけがこの部屋に残る。
「私がずっと子息と会ってみたいと言っておったのに、お前は私に会わせもせず帰すつもりだったのか?」
   皇帝は笑みを浮かべながら父上にそう言った。父上は笑みを返しながらもこう返した。
「一臣下の子、それもまだ陛下に拝謁するには未熟すぎて、御無礼になってはと控えておりました。紹介申し上げます。息子のハインリヒ・ロイ・ロートリンゲンに御座います」
   父上は此方を振り返る。皇帝と眼を合わせる前に、深く一礼して頭を下げた。
「ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲン士官候補生です。陛下にはお初にお目にかかります」
「顔を上げなさい。ロートリンゲン家の子息達のことはよく耳にしている。士官学校でも優秀な成績を修めていると聞いているぞ」
「畏れ入ります」
「そう畏まるな。二人とも此方に来て座ってくれ」
   皇帝はソファに向かい、その向かい側を示す。父は一礼して、俺を促した。
   皇帝とこんな風に対面するとは――。
「若い頃のフランツにそっくりだな。長男の方もやはりお前に似ているのか?」
父上が腰を下ろしてから、その隣に座ると、皇帝は言った。
「長男のフェルディナントは妻によく似ています」
「そうか。こうしてハインリヒを見ていると、お前の若い頃を思い出す。来年には軍務省に入るのだろう?」
   皇帝は、今度は俺を見て尋ねた。はい――と応えると、皇帝は満足そうに頷いて、楽しみだ――と言った。
「利発そうな子だ。お前も将来が楽しみだろう」
「陛下ならびに他の将官方の足枷とならなければ良いと案じております。分不相応な行為があった時には厳しく仰せ下さい」
「何、お前の子ならば信頼しておる。……ところで、長男は帝国大学に行っていると聞いているが、確かもう卒業する年だろう。卒業後は家に留まるのか?」
「フェルディナントも現在、官吏を目指しております」
「そうか……! フアナと同じ体質故、気に掛けておったが、それは体調がかなり良くなったということだな」
   フアナ――。
   ああ、皇女のことだ。確か、第一皇女はルディと同じように先天性虚弱だと聞いたことがある。
「良くなったと申しましても、全くの健康という訳でも御座いませんので、私としては家に引き止めておきたかったのですが……」
「その気持もよく解る。官吏といっても色々あるが、何を目指しておる? フェルディナントの方も随分優秀だと聞いているぞ」
「外交官を目指しております」
「ほう。では来年にはハインリヒとフェルディナント、二人揃ってこの宮に来てくれるのだな」
「陛下。お気が早う御座います。ハインリヒもフェルディナントもまだ試験を終えた身では御座いませんので……」
「優秀の誉高い二人ではないか。これはますます来年が楽しみだ」
   宮殿の皇帝の許にまで、俺やルディの噂が立っていたのか。ロートリンゲン家の子息として。
   おそらく俺もルディも普通の家庭の子供だったら、こんな風に皇帝に知ってもらうこともなかっただろう。こうして皇帝と会えるのも俺が旧領主家の人間だから――。
「ハインリヒ」
   呼び掛けられてすぐに返事を返す。皇帝は此方を見つめて言った。
「今度、社交界に出て来なさい。フェルディナントと共に」
「陛下。今度の陛下の御生誕祝の祝典には息子達を出席させる心積もりでおりました」
   え――?
   俺はそんなこと聞いてない――。
   社交界に参加? 御生誕祝の祝典?
   驚いたが、声を出す訳にもいかず、黙っていた。皇帝は、フェルディナントと会うのを楽しみにしているぞ――と告げる。
「ああ、もうこんな時間か。書類が溜まっていて少しの時間しか会えなかったが……。ハインリヒ、今日は会えて嬉しかったぞ」
「陛下と拝謁出来、私こそ望外の喜びです」
   頭のなかで言葉を探しながら応えると、父上が俺を見て促した。立ち上がり、皇帝に一礼をする。
   漸く、謁見が終わった――。



   皇帝の執務室を出た時にはほっと安堵した。父上は衛兵から拳銃を受け取り、それを収めると俺を見て、戻ろう――と促した。
「1時30分か。遅くなったが昼食を摂りに行こう」
   父上は時計を見ながら言った。緊張して空腹も忘れていた。参謀本部に戻ると、お疲れ様です――と副官のフォイルナー中将が労いの言葉をかけてくれた。
「外へ食事に行ってくる。何かあれば携帯に連絡を」
「解りました。お気をつけて」
   帰りの挨拶を済ませ、その足で陸軍長官室に出向いて、挨拶をする。陸軍長官は穏やかな笑みを浮かべて、今日はありがとう――と言ってくれた。
「来年、君と会えるのを楽しみにしているぞ」
   その言葉に返事と共に敬礼を返す。
   父上と宮殿を後にした。宮殿の表通りを渡って、少し歩いたところにレストランがあった。其処で食事を摂ることになった。奥にある個室に入り、注文を済ませる。ウェイターが去っていくと、父上は言った。
「初任務はとりあえず成功といったところか」
「父上……。初任務以上に陛下との謁見の方が緊張したよ……」
「そうか。陛下の御耳に入ったらもしかしたら……とは予想していたことだ。以前から、陛下はお前とフェルディナントに会いたいと仰っていたから……」
「社交界に出席するっていう話は……?」
「あれは母上とも相談して決めていたことだ。お前もフェルディナントも成人している。成人したら出席させようと思っていた。それに社交界といっても、単なる他家との顔合わせだ」
「驚いたよ……。それにあんな場所で聞いたから……」
   父上は笑ったところへ、食事が運ばれてきた。皿の上に乗った料理を見た時に空腹感が戻って来る。時折、言葉を交わしながら食事を摂り、食後の珈琲を飲んだ。そして父上は時計を見、そろそろ戻らなければならないなと呟く。
「ハインリヒ。今からケスラーを呼ぶから、お前は先に帰りなさい」
「え? 歩いて帰るから呼ばなくて良いよ」
   行きは徒歩だったから、帰りも当然、歩いて帰るものだと思っていた。それに邸まで遠くもない。
「用心のためだ。お前が陛下の許に呼ばれたことも既に周囲に気付かれているだろう。そのことをよく思わない人間も多い」
「そういえば、軽く因縁を付けられたよ。海軍部のヘルダーリン少将が追い払ってくれたけど」
「やはりそうか……」
   父上は言いながら携帯電話を取り出し、ケスラーに連絡をした。それを終えると、来年には山ほどそのようなことがある――と言った。
「しかし……、そうか。ヘルダーリン少将が庇ってくれたか」
「温厚そうな人だったよ。俺より少し上ぐらい?」
「5つ上ではなかったかな。去年、本部に異動してきた少将だ。さて、店を出よう」
   席を立ち、外に出ると車が見えてきた。父上は俺が車に乗るのを見届けてから、宮殿に向けて歩き始めた。


[2010.11.20]