ロイが大将級会議に出席する――。
   それを聞いたときには私も驚いた。まだ学生の身分で、大将級会議に参加することはそれこそ前代未聞の事態なのではないだろうか――。
   当のロイは私以上に困惑していた。
「こんな文章で問題無いか?」
   ロイは父上から話を聞くなりすぐ自室に篭もった。そして私が部屋に戻って本を読んでいるところにやって来て、三枚に渡る文章を差し出した。
「……これを全部読み上げるつもりか?」
「そうすれば何も間違いは起きないだろう。一晩かけて憶える」
「……要点だけ纏めて、頭にいれておいたらどうだ?」
   ロイの書いた文章にざっと眼を通し、要点に赤線を引いていく。それをロイに差し出すと、途中で全て忘れてしまうことはないかな――と不安げに言った。
「忘れたらその場で思い出せば良い。ロイ自身が体験したことだろう?」
「そうはいっても……」
「緊張することはないよ。大将級会議といっても、ロイだって来年には軍に入って同じ職場で働くんだ。そう考えると気楽だろう?」
   ロイは訝しげな視線で私を見た。私は何か変なことを言っただろうか。
「ルディは……、意外に度胸が据わってるよな」
「そんなことは無いよ。ロイが経験したことを、状況だけ纏めて話せば良いんだから……」
「……もし俺が失敗したら、父上の面子を潰してしまうんだぞ……」
   ロイは不安そうに告げる。きっとそのことを一番心配しているのだろう。
「大丈夫。それぐらいのことで父上の面子が潰れはしないよ」
「……笑われるかもしれないけど、俺は怖いんだ、ルディ。……士官学校でもずっとロートリンゲン大将の子息と言われ続けてきた。父上の名前は大きくて……。俺はまだ足下にも及ばなくて……。それなのに、いきなり会議に出席しろだなんて……」
   ロートリンゲン家の子息だから――という過剰な期待と好奇の眼には私もずっと曝されてきた。だが、ロイは私以上にそうした視線に曝される機会が多かっただろう。軍という父上と同じ組織のなかに居るだけに。
「大丈夫だ、ロイ。お前はロートリンゲン家という名前や父上の息子というだけで、今の立場に居る訳ではないだろう? 士官学校に入る時も入学試験を受けたし、成績だって常に上位を維持している。それはお前の実力じゃないか」
「そう言ってくれるのは、きっとルディや母上だけだよ……」

   ロイが溜息を吐いたところへ、扉がノックされた。ミクラス夫人かな――そう思いながら返事をすると、現れたのは父上だった。
「父上……」
「ハインリヒは居るな? 二人に少し話がある」
   父上は私の部屋に入ってきた。ロイも突然、父上がやって来たことに驚いて、椅子から立ち上がった。
   父上はソファに腰を下ろすと座りなさい、と私達に促した。その時、ロイが手にしていたメモ書きに気付いて、手を差しのばす。それに視線を落として、父上は笑みを浮かべた。
「よく書けている……が、これを丸暗記するのは懸命な手段とは言えないぞ。赤線の引いてある要点のみ、頭にいれておきなさい」
「……父上もルディと同じことを……」
「緊張するのは無理も無いことだ。丸暗記した文章をそのまま述べても、話は伝わらない。脚色せず、ゆっくり思い出しながら話せば、緊張も解れる」
   父上はメモをロイに返す。ロイはそれを受け取ってから、今晩は眠れそうにない――とぼやいた。
「フェルディナント、ハインリヒ。お前達に話しておくことがある。来年になってから話そうと思っていたが、今回はちょうど良い機会だ」

   何の話だろう――。
   父上は私達を見遣って、口を開いた。
「軍には、煩わしいことだが、旧領主家に付随する派閥がいくつかある。皇帝陛下をお守りするという立場は同じだが、そのやり方において……、否、旧領主家同士の優劣を争う、醜い派閥争いだ」
   父上が――。
   こんな話をするのは初めてだった。旧領主家同士の派閥があるというのは、知っていたが――。
「このロートリンゲン家は建国以来、ずっと当主は軍に所属して、皇帝陛下をお守りしてきた。それだけに軍のなかでの影響力は強い。ハインリヒ、お前はこれからのひとつひとつの言動に、これまで以上に注意を払わなくてはならない。ひとつの過ちが大きな過ちを招くことになりかねないからな」
   父上は一旦言葉を止めた。黙り込んでいたロイの様子から、相当なプレッシャーを負っているのだろうことは察せられた。
「だが、恐れすぎることもない。岐路に立たされた時、どちらが正しい道か解るよう、お前達を教育してきた。己の信じる道を選べば良い、ただそれだけだ」
「でもそれが……、もし間違っていたら……?」
   ロイがこの時、父上に問い掛けた。父上はロイを見遣り、言った。
「責任を取る。自らの言動が招いた事態については、責任を負わなければならない。このことは絶対に他人に転嫁してはならないことだ。……当然のことなのだが、失念する者も多い」
   父上の言葉は正しい。そもそも父上は、曲がったことの大嫌いな人だった。今話した言葉に全てが集約されているように聞こえる。
「話が逸れたが、ロートリンゲン家と同じく初代王の時代から軍人として仕えてきた家がある。フォン・シェリングという家だ。名前ぐらいは聞いたことがあるだろう」
   フォン・シェリング家――。
   この国の名家の一つであることは知っている。ロートリンゲン家と同じく、当主は軍に所属して、そしてフォン・シェリング家は国内でも有数の資産家でもあって――。
「結論からいえば、ロートリンゲン家とフォン・シェリング家には確執がある。両家とも軍では影響力のある家だ。フォン・シェリング家の前当主が存命していた頃は、軍で絶大な権力を掌握していた」
「軍で絶大な権力って……。長官でさえも、逆らえない存在だったということ……?」
   ロイの問い掛けに、父上は頷いた。
「長官は飾り物にすぎない。真に権力を持っているのは、残念ながら、一部の旧領主家の人間達だ。こうした旧弊はなかなか拭いきれない。そうした旧領主家がそれぞれの家の勢力を拡大しようと、凌ぎを削っている。フォン・シェリング家はそのなかでも一大勢力といって良いだろう。そしてフォン・シェリング家が眼の敵にしているのが、このロートリンゲン家だ。ハインリヒ、当然ながら、フォン・シェリング家の現当主はお前のことをよく思ってはいない」
   会ったこともないのに――。
   ただ確執のある家同士というだけで、嫌われるのだろう。
「今後、お前が軍に入ったら、事あるごとにフォン・シェリング家が立ちはだかるだろう。フェルディナント、お前にしても同じだ。官吏の組織も同じこと。旧領主家の人間に逆らえば、追い落とされる。それを危惧して、ただ従う人間も多い。……だが、お前達はこのロートリンゲン家の人間だ。誰かが追い落とそうとしても、そう簡単に手出しはできない。だからこそ、派閥の存在を知りながらも全てにおいて公正な立場を取りなさい」

   それは容易なことではないことを知っている。ともすれば自分の立ち位置すら解らなくなるような状況に陥ることもある。
   それでも父上は、それを選べというのだろう。

   時々――。
   父上が解らなくなる。この人は傲慢な人なのか、それとも公正な人なのか。

「明日の会議も、フォン・シェリング家から何らかの妨害があるかもしれない。ハインリヒ、覚悟はしておきなさい」
   きっと――。
   私が考えている以上にロイの役目は重要なのだろう。おそらく軍の内部での抗争と関係しているに違いない。だから父上は、こうして派閥争いについて話しにきたのだろう。
「私の話はこれだけだ。ハインリヒ、今日は早く休みなさい。フェルディナントもあまり遅くまで起きているのではないぞ」
   父上はそう告げると立ち上がって、部屋を去っていった。パタンと静かに扉が閉まる音を聞いてから、ロイと顔を見合わせる。平坦な道ではないことはよく解ったよ――とロイは溜息混じりに言って、メモに視線を落とした。
「父上やルディの言う通り、要点だけ憶えておくよ」
   そうしてロイも部屋に戻っていった。

   フォン・シェリング家との確執――。それは一体何が原因だったのか。聞きたかったが、何となく聞きそびれてしまった。


[2010.11.15]