忠告しておいたのに、やはりそうせざるを得なかったか――。
   2時間前、カーティス大佐からロートリンゲン大将が単独で行動を起こすつもりだという連絡を受けた。
   あの方の御性格を考えれば、当然のことのようにも思う。子息が誘拐されてすぐに犯人の許に踏み込まなかっただけ、周囲に配慮したのだろう。それに誘拐されて三日目ということを考えても、ロートリンゲン大将の行動は妥当というべきか――。

「……お疲れ様です。閣下。こんな時間まで残業ですか?」
   背後から声が聞こえて振り返る。今年大佐になったばかりの、うちの犬と同じ名の男が立っていた。
「ヴァロワ大佐。君こそどうした。こんな時間まで……。残業か?」
「ええ。今日中に終わらせてしまいたい書類があったので……」
「熱心で結構なことだ」
   ヴァロワ大佐はそんなことは無いですよと言って笑い、自分の机に着いて書類を捲り始めた。
   その様子を少し見ていたが、相変わらず書類を読むのが早い。人の倍速く書類を読み進めるものだから、仕事自体が早い。おまけに体技も優れているから、あっという間に人の羨む功績を積み重ねる。
   そんなヴァロワ大佐を見遣ってから、少将の机の上に書類を置き、留守をする旨を書いた紙をその上に載せた。
「お帰りですか?」
「明日から少し留守をする。私の居ない間は少将の命令を聞いてくれ」
   ヴァロワ大佐は少し眼を見張ったが、深くは尋ねてこなかった。


   支部を出て、駐車場に停めてある車を動かす。目的地を帝都に設定して、車を走らせる。今から向かえば、現地でロートリンゲン大将と合流出来る。
   私に出来ることはただ一つだった。ロートリンゲン大将一人に責任を負わせてはならない。あの方は軍にとって必要な方だ。今、辞められては困る。

   ロートリンゲン大将が独断で隊を動かしたとなれば、フォン・シェリング元帥が黙っている筈が無い。下手をすれば辞職に追い込まれる。
   ただでさえフォン・シェリング元帥の力が強い今、ロートリンゲン大将を失う訳にはいかない。そのような事態になれば、軍はフォン・シェリング家一手に掌握されることになる。そうなると、フォン・シェリング家の私兵に成り下がってしまい、軍の規律さえ乱れかねない。
   私一人でも今回の件に加われば、ロートリンゲン大将が一人で責任を負わずに済む。
   だからどうしても今、行かなければならなかった。





   午前5時。
   辺りは白んでいた。駐屯地に集まった隊員20名が、私が前に立つと敬礼する。
「急な召集にも関わらず応じてくれて感謝する。まず、今回の任務は私、ロートリンゲン大将の大将命令権発動下での任務であることを言っておく。大将命令権発動時は、佐官級である諸君等に指揮官への拒否権は無い。任務完了後は速やかに本部の指示に従うこと。本部将官ならびに長官には、大将命令権発動下での任務であったことを報告せよ」
   そう言い放った時、一瞬、ざわめきが生じる。何故そのような権限を発動なさるのですか――と大佐の一人が問うた。
「諸君等の責任を回避するためだ。そのため、今回の任務にあたって、私以外の将官は居ない。将官となると拒否権が生じ、大将と共に責任を取らなくてはならないからな」
「ですが、閣下。この任務終了後に閣下は……」
「私のことは心配しなくて良い。ただこの任務を完全にやり遂げることだけを考えてくれ。解ったな」
   はっ、と全員の声と敬礼が揃う。それから、昨晩、カーティス大佐達と共に考えた作戦について通達する。各員の配置を確認し、武器装備の点検を行い、それらを終えたのが午前6時のことだった。
「本日0630、作戦を開始する。隊員全員の無事を祈る」



   現場は非常に静かだった。
   静かすぎて不気味なほど――。
   フェルディナントは何処に居るのか。設計図を見て、建物の構造を把握してはいるが、部屋数が多い分、子供一人を隠すスペースも多い。
   裏側で犯人と思わしき男3人の姿を確認したと、無線機から連絡が入る。突入の指揮を出さず、そのまま待機を命じた。
「ザカ中佐。敷地内の生体反応は?」
   センサーを持つザカ中佐に問うと、彼は点在しています、と告げた。
「先程、裏から外に出た3人、そして建物内に29人。地下室には生体反応はありません」
「そうか……。では地下に突入するチームDは一階への突入チームに合流しろ」
   了解、と無線から返事が聞こえて来る。

   それから建物を見渡した時、視界の端の窓に蠢くものが映った。
   小さな窓から、這い出てくる――。
   フェルディナントの姿が。


[2010.8.15]