「卿は子供を犠牲にして構わないというのか!」
   会議室の扉を開けた途端、ラードルフの声が響き渡る。ラードルフは此方に気付いて、気遣わしに見遣った。他省の長官達も一斉に振り返る。
「このたびはご迷惑をおかけしています。ですがどうか、息子の早期解放に御協力をお願いします」
「ロートリンゲン大将。事情はお聞きしています。しかし、テロ未遂犯の釈放を認める訳にはいきません。そのようなことをすれば、同一犯によるテロが実行される恐れもあり、また別の犯人が今回と同じような誘拐事件を起こしかねないのです」
   ディトマール・アルノルト司法省長官が静かに言い放つ。
   彼の言うことも解る。今回の誘拐事件とテロ未遂事件は同じ犯罪集団が引き起こしたことだろう。先月のテロ未遂犯といっても26人も居る。大きな犯罪集団をみすみす野に放つことを、司法省長官が認める筈が無い。
「アルノルト卿。では貴卿には名案があるのか。テロ未遂犯を釈放することなく、子供を救出する方法が」
   財務省長官でもあるラードルフが鋭く言い放つ。アルノルト卿はいや、と短く応えた。
「では見殺しにしろというのと同じ発言ではないか」
「そうではない。だが、何か他に方法が……」
   方法など無いではないか――とラードルフは吐き捨てるように言う。そして私を見遣り、ロートリンゲン大将、意見を、と促した。
「どうか……、犯人の釈放をお認め下さい。犯人は10日間の猶予を提示しましたが、誘拐された息子は先天性虚弱のため、過酷な状況下にあってはそれだけで命に危険を及ぼしてしまいます。犯人を一時的に釈放していただき、息子の身柄を確保した後で、犯人の包囲網をかけ、テロ未遂犯ならびに誘拐犯を必ず拘束します」
「ロートリンゲン大将。御子息が誘拐されて、一刻も早く救出したい気持は解る。だが、卿の言う策は著しく成功率の低い策だ」
   外務省長官が眉根を寄せて、反対の意志を示す。軍務省は陸軍長官も海軍長官も私の意見に賛同してくれたが、司法省はじめ外務省、開発省、内務省、環境省がテロ未遂犯の釈放に反対し、会議は一向に進展せず、紛糾するばかりだった。


「フランツ」
   会議を開始して二時間が経とうとした時、会議は一旦中止された。翌日にまた同じ会議を開くという。翌日――つまり、今日一日は何も動けないということになる。
   落胆して軍務局に戻ろうとしていたところ、ラードルフが声をかけてきた。
「これから私が各省長官の許に行って説得する。必ず犯人釈放の方向に話を進めるから、お前は軍務局で待っていろ」
「ラードルフ……」
「それから……、お前の性格を知っているから忠告しておくが……。絶対に短慮を起こすのではないぞ」
   あとは駆け引きの問題なのだからな、とラードルフは言って、この場を去っていく。
   長官級会議は全員一致が原則で、今の状態では犯人の釈放は難しい。ラードルフといえど、簡単に説得出来ないだろう。


   一時間、また一時間と時間だけが過ぎていく。苛立っても何も解決しないと解っていても、フェルディナントの状況を考えると落ち着いていられない。
「閣下、お電話です」
   執務室で策を考えていたところ、少将が電話が来たことを告げる。犯人からか――と立ち上がったが、少将はアントン中将閣下です、と言った。
「アントン中将から……?」
   執務室にある電話の受話器を取ると、アントン中将の声が聞こえて来た。
「御子息の件を伺いました。御心痛はお察し致します。ですが閣下、どうか短慮を起こされませんよう……」
「……ハインツ卿からも同じことを諭されました。しかしアントン中将、事態は膠着したまま一向に進展がありません。御存知のように息子は身体が弱い。長丁場は避けたいのです」
「犯人について私の方でも調べてみます。犯人の弱みを掴み、それを交渉の場に引き出しましょう。何か解りましたら、其方に連絡します。閣下は少しお休みになって下さい」
   ラードルフもアントン中将も私が単独で動くのを懸念しているのだろう。だが政府が動いてくれないのなら、それしか方法が無いではないか――。



「閣下。失礼します」
   ザカ中佐が数枚の書類を手に執務室にやって来る。今、邸は特務派の他の隊員三名と保安局に警備を任せてあり、ザカ中佐には本部に戻ってもらった。カーティス大佐やザカ中佐、バリアー少佐には現場に残った遺留品を許に、犯人に関する情報収集を行っていた。ザカ中佐は犯人の根城と思われる場所の目星が付いたことを報告した。
「大破した犯人のものと思われる車の走行記録から、疑わしい場所を5ヶ所見つけました」
「走行記録を引き出せたのか……?」
   車の中には本来、出発地から目的地までを記録する装置が取り付けられている。だが、今回は車の状態があまりに酷く、走行記録を引き出すことも難しいかもしれないと言われていた。それが引き出せたというのなら、根城を突き止められる可能性は高い。
「断片的にデータを取り出すことが出来ました。それによると、この地図に示した5ヶ所に頻繁に出入りしています」
   ザカ中佐が机の上に地図を広げる。其処に印が書き込まれていた。どれも帝都内であって、此処からも遠くない。
「これからカーティス大佐と共にこの5ヶ所に行って、周辺を探ってきます」
「……いや」
「閣下?」
「可能性の高い場所は何処か目星はつくか?」
   ザカ中佐は本部から一番遠い印を指し示して言った。
「私は此処ではないかと考えています。犯人から連絡があった際、雑音が混じっていたと閣下は仰いました。また逆探知も出来なかったと伺っています。其処で電話局に問い合わせてみたら、犯人から電話があった時間帯、この地域で電波障害が発生していたことを掴みました」
「あれは犯人が逆探知を避けるため、故意に細工を施したのではないのか?」
「勿論、それも考えられます。ですが、ならば何故、車の走行記録を破壊しなかったのか疑問が生じます」
   言われてみればその通りだ――。
   犯人は根城を隠す意図は無いのだとしたら――。
「それから閣下、この場所は元産廃物処理施設の倉庫兼事務所です。今、内務省を通じてこの建物の設計図の入手を依頼していますが……」
「産廃物処理施設だと……!?」
   よりにもよってそんな場所にフェルディナントが監禁されているというのか。汚れた大気があの子を一番苦しめるというのに――。
「私もカーティス大佐も閣下の御命令があれば、すぐに出動します。閣下」
「解った……。ザカ中佐とカーティス大佐は引き続き情報収集を。そして軍務局に控えていてくれ」
「はっ」
   敬礼の後、部屋を去っていくザカ中佐を見送って、それから席を立つ。
   こうなったら皇帝の許に行って、直接許可を得るしかない。軍務省の一将官に過ぎない私がそのような行為に及べば越権行為となるが仕方が無い。
   フェルディナントが捕らえられてもう二日が経つ。これ以上は待てない――。


[2010.8.13]