「父上。急に早退なんてどうしたの?」
   ハインリヒの学校の担当教員に事情を説明し、応接室で待たせてもらっていたところ、ハインリヒがいつもと変わりない様子で私の前に現れた。そのことに少し安堵した。もしかしたら、犯人はハインリヒをも狙うかもしれないと考えていた。
「事情があって早退させた。さあ、帰るぞ」
   ハインリヒを促して、車へ向かう。車の周囲には特務派の大佐が控えていた。
「周辺にも異常はありません」
「そうか。此方は取り越し苦労だったようだな」
   ハインリヒは車に乗り込むと、後部座席に居たザカ中佐を見て声を上げた。ザカ中佐は穏やかな笑みを浮かべて、久しぶりです――と告げる。
「何で、ザカ少佐が此処に?」
「私が護衛を頼んだんだ。ハインリヒ、仕事の邪魔になるから、静かに座っていなさい」
   助手席に乗り込み、いざという時のために拳銃を出してから、中佐に車を出すよう促す。ハインリヒはそれ以上何も言わず、黙っていた。


   邸に到着し、先にハインリヒを邸内に入れて、大佐達と共に周辺の見回りに向かう。塀の外を一周してから、大佐達に警備を頼み、その間に邸に入った。
   ユリアが蒼白な顔で待ち受けていた。
「フランツ……。本当なの……?」
   ハインリヒは、と問い掛けると、アガタと共に二階に上がったことをフリッツが応える。
「事実だ。犯人から軍務局に電話があり、私に直接そう言った。フェルディナントの声も聞いた」
「そんな……」
「フェルディナントは危害を加えられてはいないようだ。犯人の要求は先月のテロ未遂犯の解放と逃走ルートの確保、そして資金として1万ターラーだ。フリッツ、パトリックを呼んで金の用意を頼む」
「フランツ……。政府は……、犯人の釈放を認めてくれるの……?」
   すぐには答えられなかった。それが何よりの難題だということは解っている――。
「長官に事情はお話した。必ず認めてもらえる。ユリア、お前はアガタと共にハインリヒに付き添っていてくれ。この邸は特務派に警備を頼んでおいた。邸内に居れば安全だから……」


   邸の警備は特務派の大佐達に任せて私は軍務局に戻ろう――そう考えてフリッツとパトリックに後のことを頼んでいたところ、カーティス大佐がやって来て言った。
「此処から大通りに向かう小道の途中で、頭部を撃ち抜かれた男性の遺体を発見しました。身分証を持っていたのですが、血で名前が読み取れず……」
   大佐はそう言いながら、透明の袋に入った身分証を差し出した。名前と住所の部分が血塗れで読み取れなかったが――。
   其処に貼られた顔写真はホルガーに間違いなかった。
「……フェルディナントの護衛を任せていた者だ。名はハリー・ホルガー……」
「そうでしたか……。それから彼を見つけた小道とは別の、もう一本入った小道で、大破した車を二台見つけました。一台は此方の車かと思われます。そして車の側に……」
「ゴードンか……」
「はい。彼の持っていた身分証明からも間違いありません」
   カーティス大佐はもう一枚持っていた透明な袋を差し出す。此方も血に塗れていた。胸と足を撃たれていたとのことだった。
「二人も……犠牲にしたな……」
「旦那様……」
「……ゴードンとホルガーの家族に連絡をいれてくれ」
   ゴードンもホルガーも強く、機転の利く者達だった。彼等が容易にやられる筈が無い。ホルガーはおそらく、最期までフェルディナントを守ったのだろう。二台の車が大破していたということは、ゴードンも自らの運転する車で犯人の車に突っ込んだに違いない。その後、尚も敵を追いかけようとしたのだろう――。
「……パトリック、私は軍務局に戻る。邸の警備はカーティス大佐とザカ中佐、バリアー少佐に頼んである。後程、保安局に頼んで警備を増員してもらう」
「解りました。旦那様はお一人でお戻りに……?」
「私の心配は無用だ。邸を頼んだぞ」
「ですが旦那様、犯人のやり方は残忍そのもの。どうか其方のカーティス大佐と行動を共になさって下さい」
「それでは此方が一人欠けることになる。犯人の狙いは子供、一番危険なのはハインリヒだ」
「ハインリヒ様は私とフリッツが命に変えてもお守りします。カーティス大佐、どうか旦那様を御願いします」
「パトリック、私にその必要は……」
「閣下。私が閣下を軍務局に送り届け、そしてもう一度此方に参ります。閣下の御身も決して安全ではありませんから……」

   結局、カーティス大佐に宮殿と邸を往復してもらうこととなった。ハインリヒを庭にも出さないよう、見送りに出て来たユリアにも強く告げる。ユリアは頷いて、そして私を見つめて言った。
「私も軍務局に連れて行って下さい」
「ユリア……」
「軍務局には犯人からの連絡が入るのでしょう? ルディの無事な声だけでも聞かせて下さい」
「駄目だ。フェルディナントのことは私に任せて、お前は邸でハインリヒを守ってくれ」
   ユリアは眼を潤ませて私を見つめる。大丈夫だ――と、その身体を抱き締めると、ユリアは泣きながら言った。
「早く助けないと……、ルディは身体が……」
「解っている。フェルディナントは必ず助け出す。だからお前はこの邸で私からの連絡を待ってくれ」
   抱き締めていた身体を放し、玄関へと向かう。外ではカーティス大佐が待っていた。
「済まない。待たせた」
「いいえ。今、軍務局から連絡が入ったのですが、犯人の要求について長官級会議がおこなわれているそうです。閣下もお戻り次第、会議室に向かうようにと……」
「解った。急ごう」


[2010.8.12]