熱が下がったこの日、ベッドから出てリビングルームへと行った。ロイは学校に行っていて、母上が部屋で手紙に眼を通していた。僕が部屋に入ると、母上は顔を上げて言った。
「起きて大丈夫?」
「うん」
   母上の側に座る。テレビをつけると、ニュースを報じていた。番組をいくつか変えてみても、面白い番組が無かった。本でも読もうかな――そう考えて、スイッチを切る。父上の書斎に行って本を借りてこようと立ち上がる。
「あら。どうしたの?」
「本を取りに行ってくる」
   リビングルームを出て、父上の書斎に向かう。書斎の扉を開けて、驚いて言葉が出なかった。

   父上が――、居た。
   平日なのに何故――。
「どうした?」
   父上は読んでいた書類を置いて、此方を見た。
「本を……借りに……。父上は仕事、お休みなの……?」
「ああ。明後日までな。本なら読みたい物を持っていって良いぞ」
   こんな時期に休暇なんて珍しいことだった。父上の側にある書棚へと歩いて行く。早く選ぼうと思うのに、あちらこちらに目移りしてしまう。興味があるものばかりで――。
「もう具合は良さそうだな」
   それまで何かを書いていた父上はペンを置いて話しかけてきた。もう大丈夫――と応えると、父上は頷く。
「週末、ゴードンとホルガーの墓参りに行こう」
   忘れていた訳ではないけれどゴードンとホルガーの顔がふっと浮かぶ。はい、と応えると父上は笑みを浮かべて、体調を整えておきなさいと言った。
「……父上」
「どうした?」
「助けに来てくれて……、ありがとう……」
「私がお前を守るのは当然のことだ」
   父上は義務感の強い人だった。だから僕のことも助けてくれたのだろう。
「……あ……」
   父上の机の上に職名章があった。父上は軍務局所属なのに、それは参謀本部のもので――。
「何だ?」
「……父上……、参謀本部に……?」
   すると、父上は机の上の職名章を見遣って苦笑して言った。
「お前は物覚えが良い。ハインリヒは未だひとつも職名章を憶えていないぞ」
「やっぱり参謀本部に……?」
「ああ。参謀本部に異動となった。暫く忙しくはなるが、お前との約束を忘れてはいないぞ」
   父上はそう言って笑う。ロイと父上が地下にあるトレーニングルームで様々な運動をしていることは知っていたが、あまり覗いたこともなかった。父上は僕に何を教えてくれるのだろう――そんなことを考えながら、本を2冊借りて、書斎を後にした。




   そして週末――。
   花を持って、父上の運転する車で、ゴードンとホルガーの眠る墓地へと向かった。真新しい墓石の前には沢山の花が飾られてあった。まるで、墓が花で埋め尽くされているかのように。
   同じように花を添えて、墓の前で祈りを捧げる。
   ゴードンとホルガーの墓の前で、ひとつの誓いを立てた。
   必ず強くなる――と。
   もう誰も傷付けずに済むように。
   僕自身が強くなるから――と。

   祈りを終えて、ゴードンの墓の前を立ち去ろうとした時、此方に老いた女性が近付いて来た。父上と母上がその女性を見て、深く一礼する。誰だろうと不思議に思っていたら――。
「旦那様、奥様。こんなに沢山のお花ばかりか、御丁寧に御参り頂き、ありがとうございます」
「いいえ……。まだ足りぬ程です。ゴードン夫人、御不便がある時は何なりと……」
   ゴードン夫人――。
   この人はゴードンの……。
「旦那様。葬儀も何もかも面倒を見て頂きました。充分すぎるほどだと主人は言っております。それに、御子息が御無事であったことを夫もきっと安堵していることでしょう」
   フェルディナント、と父上が挨拶を促す。何と言って良いか解らなくて、言葉が詰まって、ただ深く礼をした。夫人は優しく微笑んで、フェルディナント坊ちゃま――と呼び掛けた。
「今日は元気な姿をお見せに来て下さってありがとうございます。夫も喜んでいますよ」
   ぐっと胸が詰まる。涙がこみ上げてきて――。
「ごめん……なさい……っ」
「坊ちゃまが謝ることは何も御座いません。どうか泣かないで。坊ちゃまを守り切れたときっと今頃、天国で胸を張っているのでしょうから」
   泣き止もうと頑張っても、涙が溢れてきて止まらない。夫人の優しい言葉に、ゴードンの優しい言葉が重なるようで――。
「ルディ。また、お墓参りに来ましょうね」
   側から母上が告げる。こくりと頷くと、夫人はありがとうございます――と泣き笑いの表情を浮かべた。


   帰りの車のなかでもう一度誓った。今度は自分に対して。
   必ず強くなろう――と。
   そして、大きく息を吸い込んで、涙を止めた。


【End】



[2010.8.20]