「……事の発端から全て話してみなさい。フェルディナント」
「フランツ」
   ユリアが側から首を横に振る。こんな状態では酷だというのだろう。
   だが――。
   フェルディナントは聡い子だ。だからこそ、こんなに混乱してしまっているのだろう。自分の眼で見た状況と、自分の感情が相俟ってしまって。
「大丈夫だ、ユリア。順だって話してしまった方が、きっとフェルディナントも楽になる。フェルディナント、話せるな?」
   フェルディナントは涙を流しながらもこくりと頷いた。ゆっくりで良いから話してごらん――と促す。
「誘拐された日のことを教えてくれ。図書館に行ったのだったな。……本は借りたのか?」
   車のなかに本があったことは聞き知っていたが、その時点にまで遡って問い掛けた。フェルディナントはゆっくりと頷いて、ぽつりぽつりと話し始めた。
「本を借りて帰る途中で……、ゴードンが……」

   フェルディナントはゴードンとホルガーのやり取りまで正確に憶えていた。
   それによると、どうやら二人とも誰かにつけられていることには気付いていたらしい。大通りから小道に進み、暫く走った時、ガラスが砕けるような音が聞こえたとのことだった。走行中に銃撃されたのだろう。
「そうしたら……、ゴードンがホルガーに速度を落とすから僕と一緒に飛び降りろって……」
   やはり――、そうなのだろう。ゴードンは一人で囮になった。そしてきっと、二人とは別の道を走り、犯人の車を突き詰めて衝突させて――。
「ホルガーが僕を抱いたまま走り出して……。でも……っ」
   其処まで話したところで、フェルディナントは言葉を詰まらせた。そっと頭を撫でてやると、声を上げて泣く。その身体を抱き締めると、フェルディナントは噎び泣きながら告げた。
   すぐに犯人に追いつかれたらしい。追いつかれて、ホルガーが先に行くようフェルディナントを促した。しかし、フェルディナントは囚われ、ホルガーはフェルディナントを解放するよう告げ、犯人の言葉に従った。拳銃を捨て、犯人に請われるままに犯人の許に近付いた。
   そして――。

「撃たれ……て……っ! 頭……から……、沢山、血が……っ、降って……きて……っ」
   ひゅっひゅっと呼吸を乱すフェルディナントに、落ち着くよう諭す。私の手をぐっと握り締めていた。
「もう大丈夫よ、ルディ。大丈夫――」
   ユリアがそんなフェルディナントを抱き締める。瞬きすら忘れ、喘ぐような呼吸を繰り返す。
「……フェルディナント。ゴードンとホルガーは、最期までお前を守ってくれたんだ」
   フェルディナントの眼が私を捉える。その唇が僅かに動いた。
「でも……っ、死ぬ……なんて……っ」
「お前には何の責も無い。……二人とも自分の役目を全うしたんだ」
「……役……目……?」
「自分の命を危険に晒すことを覚悟で、お前を守ってくれた。私はゴードンとホルガーに……、感謝している」
「……そんな……っ、役目なんて……っ、嫌だ……っ!」
   フェルディナントは噎ぶように泣いた。
   だがいつのまにか、あの喘ぐような呼吸は止んでいた。私の手を強く握り締めたまま、ユリアの胸の中で泣き続けた。

   今はその方が良い。
   フェルディナントは一人で抱え込もうとするから、却ってこうして感情を表に出させた方が良い。そうしなければ、この子は心に深い傷を負ったままとなってしまう。
   傷を癒すためにも、今は泣いた方が良い――。


「……もう、外出しない……」
   泣き声が止み、私の手を握り締めていた力が緩んだ時、フェルディナントはぽつりとそう言った。
「ルディ。それは……」
「この先一生、邸のなかで過ごすつもりか?」
   ユリアの許から顔を上げたフェルディナントは、俯いたまま、こくりと頷いた。
「何処にも……、学校にもいかず、お前はそれで良いのか?」
「……僕のせいで、誰かが死ぬより良い……。僕が……我慢する」
   フェルディナントは俯いたままそう言った。
「ルディ。今回のようなことはそうそうに起きないわ。だからそんな悲しいことを言っては駄目よ」
「だって……っ」

   フェルディナントの気持ちが解らないでもない。
   私自身も同じように考えたことがあった。旧領主家という人とは少し違う環境に生まれてしまったがために、いつも危険とは隣り合わせで。自分の側に居る人々が傷付くことが多々あって――。

「フェルディナント」
   フェルディナントが放そうとした手を逆に掴む。握り締める。フェルディナントは顔を上げて私を見た。
「ならば、お前自身が強くなりなさい」
   フェルディナントは泣きはらした眼で見つめていた。その言葉の意味を問うかのように。
「自分で自分の身が守れるように。……お前が本当にそれを望むなら、私がその術を教えてやる」
「フランツ。ルディは……」
「解っている。しかし、赤子の頃から身体が弱く外出さえ出来なかった子が、此処まで丈夫になったんだ。だからきっと大丈夫だ。それにお前の努力次第で、護衛も不要となる」
   フェルディナントは暫くの間、食い入るように私を見つめていた。
   それも嫌か――と問い掛けると、フェルディナントは手の甲で涙を拭った。

「強くなりたい」
   真っ直ぐ私を見つめ、フェルディナントは確りとそう言った。意志の強い眼差しというか、この子のこんな眼は初めて見た――。

「解った。ならば今は、ゆっくり休んで身体を治しなさい」
   フェルディナントが寝入るまでユリアと共に側に居て、それから部屋を出た。
流石に私も疲れ果てていた。書斎に向かう気にもなれず、そのまま寝室へと向かうことにした。
「父上!」
   其処へハインリヒが勢いよくやって来る。ただいまと告げると、ハインリヒは今回のことを聞いてきた。
「ロイ。お父様はお疲れだから、また今度にしましょうね」
   ユリアがそんなハインリヒを宥めながら、一階へと下りていく。ハインリヒのことは任せて、少し休むことにした。この六日間、殆ど睡眠を取っていない。これまで眠気すら無かったが、全てが一段落して安堵したからか、どっと疲れが押し寄せてきた。入浴もしたいが、先に一時間だけ眠りたい――。
   上着だけ脱いで、ソファに腰を下ろす。そして、眼を閉じた。


[2010.8.19]