港湾部一階の一室に船体の破片が集められていた。出来るだけ全てをかき集めてきたのだという。デッキの部分は形を少し留めていた。ハインリヒはデッキの先に居たから、海に投げ飛ばされるだけで済んだのだろう。
   操縦席含め、その他の部分は原型を止めていなかった。私が怪我ひとつ負っていないのは、悪運が強かったのだろう。
   それにしても、この壊れ方は異常な気がする。
   下から衝撃音が聞こえたと同時に、身体が吹き飛んだ。あれは一体何だったのか――。
「閣下。付近の海域には岩礁がありませんでした。何か御不審な点は御座いませんでしたか……?」
   伍長に代わり、今度は大尉の男が尋ねて来る。
   岩礁が無い。――ということは、考えられることは2点だ。この船自体に欠陥があったか、それとも何者かが攻撃を仕掛けてきたか――。
「動力部分の異常が無いかどうか調べはつくか?」
「はい。すぐに調べさせます」
   その場でディーラーに連絡を取って、この一件を話し、港湾部に来てくれるよう求めた。彼はすぐに此方に向かうと言った。
「閣下。調査の間、どうぞ中でお待ち下さい」
「いや、もう少しこの船の状態を見ておきたい。君達は本来の業務に戻ってくれ」
   船体を見ていると、やはり奇妙だと思う。部品の欠陥で内部爆発でも起こしたといっても、焼け焦げたような跡は見当たらない。動力部分は内側から壊れた風に見えない。
   何者かに狙われたのだろうか……?


   不意に携帯電話が鳴った。胸元から取り出して画面を見ると、去年まで部下だった男の名前が表示されていた。本部で何かあったのだろうか――。
「閣下。ザカ大佐です。事故に遭われたと伺い、連絡をいれた次第ですが……」
   ザカ大佐は昨年まで私の部隊に所属していた。今年、大佐の昇進に合わせて、海軍への所属を求められ、今は本部の兵器課に居る。彼が心配して連絡を寄越したということは、事故の話が既に本部まで伝わったということだろう。
「船は大破したが、怪我は無い。心配をかけてしまったな」
「その言葉を聞いて安心しました。たった今、此方に入ってきた情報だったのです。閣下が海難事故に遭われた……と」
「皆にも無事だと伝えてくれ。それからザカ大佐……」
   ザカ大佐に事故によって船が大破してしまったことを告げ、もし外部からの攻撃と仮定するならどのような兵器が使われたことになるか尋ねた。ザカ大佐も船体の状況を聞いて不審を抱いた様子だった。
「調べてみますので、暫くお時間を頂けますか?」
「忙しいところ済まない。そうしてもらえるか」
「それから参考までにお尋ねしますが、場所はマルセイユの沖合ですね?」
「ああ。マルセイユ港から約28キロの地点だ」
   ザカ大佐との電話を切ってから、もう一度大破した船体を見渡した。しかし見れば見るほど、単なる事故ではないような気がする。

   そして、予想していたことだが、港湾部ではさしたる情報を得ることも出来なかった。ディーラーも欠陥によってこのような事故が起きることはあり得ないと断言し、より詳しい調査をディーラー側からも行ってもらうことになった。


   今回の事故で時間を大幅に失ってしまったが、フェルディナントが回復してから、海岸を散策したり、マルセイユ郊外の植物園に行ったりと残りの休暇を楽しんだ。
   そして事故から五日後、帝都に戻った。



   帝都に戻った翌々日から出勤した。事故のことは長官も本部内の誰もが知るところとなっていた。執務室で普段通りの執務を行っていたところ、ザカ大佐がやって来た。
「閣下。少し宜しいでしょうか?」
「ああ。大変なことを頼んでしまって済まない。ザカ大佐、今日、仕事を終えてから時間は空いているか? 夕食に誘いたいのだが」
「ええ。今日は今のところ残業もありませんので……。では報告はその時にしましょうか?」
「そうしてもらえるか?」
   ザカ大佐は快諾してくれた。ザカ大佐の様子から察するに、何か情報を得られたのだろう。

   定刻に執務を終え、帰宅が遅くなる旨をユリアに連絡したところへ、ザカ大佐がやって来た。それから予約しておいたレストランに向かう。其処はよく利用するところで、気兼ねなく話が出来る場所だった。
「海軍部はどうだ? 慣れたか?」
「はい。大分慣れました。陸軍に比べて出張は多いですが……」
「私は出来れば君にはずっと陸軍部に居て、私の片腕となってもらいたかった。尤も私がそのように考えていたから、人事部が君を海軍部に追いやったのだろうが……」
「ありがとうございます。しかし海軍部でも閣下のお力になることは出来ますので、御用の際は仰って下さい」
「ありがとう」
   ザカ大佐は良い男だった。それに仕事も良く出来る。物事の一つを知れば応用が効き、性格も温厚で誰からも好かれる。手放したくない人物の一人だったが、人事部の決定にフォン・シェリング元帥の力がかかっており、あまり論戦を繰り広げると軍部内が乱れるから此方が譲歩した。
「ところで閣下。事故に遭った際、ご家族もご一緒に……?」
「二男のハインリヒと一緒だった。本当は家族全員でマリョルカ島に行く予定だったのだが、直前にフェルディナントが体調を崩してな。妻とフェルディナントが邸に残り、ハインリヒと私とで出向いたのだが……、もし四人で事故に遭っていたら四人共無事という訳にはいかなかったかもしれない」
   そう考えるとぞっとする。フェルディナントが体調を崩さなければ、家族全員が事故に遭うところだった。あの付近を通る船も居なかったし、そのような過酷な状況ではフェルディナントは命を落としかねない。
「閣下も御子息も無事であったことは幸いでした。海に投げ出されたと伺いましたが、救援はすぐに?」
「それが救援を呼ぶ手段も無ければ、付近を通る船も一隻も居なくてな。泳いで陸まで戻った」
   ザカ大佐は眼を大きく見開いて、御冗談でしょう、と言った。確かに、俄には信じがたい話かもしれない。
「本当だ。ハインリヒと私と二人で泳いで陸に戻った。20キロ程度と思ったが、実際は波に流されて30キロほど泳いだようだ。……あんなに泳いだのは人生で初めての経験で、翌日は流石に身体が痛んだぞ」
「閣下にも感服しますが、御子息もよくそれだけの距離を……」
「フェルディナントと違い、体力のある子だ。だが些かきつかったようだ。二人で陸に辿りついた時はどれだけ安堵したことか」
「そうですね……。私は閣下が事故に遭われたということしか聞いておりませんでしたので、まさかそのような状況だったとは知りませんでした」
「そうか。本部には事故に遭遇したとだけ伝わったのだな。マルセイユの港湾部も翌朝になって私が事故を伝えてから動き出した程だ」
「港湾警備を怠っている証拠でしょうね。本当に御無事で何よりでした」
   食事とワインが運ばれてくる。それらを楽しみながら暫し雑談し、それから本題へと入った。

「閣下からお話を伺った時、船体の状況が奇妙に思えましたので、マルセイユ港湾部に船体の写真を送付してもらいました。船の動力部分での何らかの爆発と考えるには、焦げた跡が見当たりません。私はその点がどうも気にかかったのですが……」
「その通りだ。それに動力部分が故障で爆発したとしたら、燃料にも引火するだろうから、船を操縦していた私も、そしてデッキに立っていたハインリヒも無事では済まなかっただろう。だがこの海域には岩礁が無い」
「ええ。其処で調べてみたところ、今から29年前にも同じような事故があったことが解りました。これを」
   ザカ大佐はテーブルの上に書類を数枚広げる。それにざっと眼を通すと、今回の事故とまるで同じ内容であることに気付いた。この時は五人の乗員のうち、四人が死亡、一人が漂流中に他の船に助けられたらしい。
「この事故の調査結果は?」
「それが、海軍部軍務局特務派が動いたのです」
「……特務派が動いた……?」
「ええ。こうした事故はたとえ大事故であったとしても、保安局止まりですが、この事故では特務派が動いているのです。公的な調査結果は船の動力部の不具合となっていますが、特務派による調査結果は機密条項になっていて、アクセスすることが出来ませんでした」
   やはり妙だ――。
   事故で特務派が動くことはまずない。特務派が動くほどの事情があった――ということは、あの海域には何かがある。
「ありがとう、ザカ大佐。充分すぎるほどの情報だ」
「いいえ。大事なことは何も解らず申し訳ありません。……ところで、閣下は海軍部に纏わる黒い噂を御存知ですか?」
「黒い噂……? いや、聞いたことが無いが……」
「実は兵器課に勤めて奇妙な資金の流れを見つけたのです。ボクスベルク社を御存知ですか?」
「海軍からの戦艦を受注している社のひとつだな」
「ええ。このボクスベルク社への受注額が他社と比較すると桁違いの額なのです。初めは誰かの入力ミスかと思ったのですが、上官に尋ねてもこれはこれで問題無いと……。ですがボクスベルク社が特別な何かを納入している訳でもありません。表面的には」
「……密かな武器購入が行われているということか」
「おそらくは。そして閣下、このボクスベルク社の戦艦が置かれている地が、マルセイユ支部なのです」

   マルセイユ――と聞いて、思わず尋ね返そうとした時、胸元で携帯電話がブルブルと着信を告げた。どうぞ、と告げるザカ大佐にすまないと告げてから画面の表示を見る。あとでかけ直そうと思ったが――。
   アントン中将だった。珍しい人物からの連絡に通話ボタンを押すと、閣下、とアントン中将の声が聞こえて来た。
「御無沙汰しております」
「事故に遭ったと伺いました。御怪我は……?」
「御心配をおかけして申し訳ありません。怪我を負っておりませんし、今日から出勤していますよ」
「そうでしたか。マルセイユでの海難事故と聞いたので、少し心配になりまして……」
「もしかしてアントン中将も29年前の事件を御存知なのですか?」
   アントン中将の言葉に問い掛けると、アントン中将は、ええ、と応えた。思わずザカ大佐と視線を合わせた。


[2010.7.28]