「それで……、陸までずっと泳いだの!?」
   翌日は昼まで眠り、疲れを取ってから起きて、ルディの許に行った。全身が筋肉痛で、腕を上げるのも痛かった。それでもルディに昨日のことを話したかった。
   ルディは熱は下がったが、まだ咳が残っているようだった。
「10時間ぐらい泳いだんじゃないかなあ……? 陸についた時はくたくただった」
「10時間も……。ロイも父上も怪我は無かったの?」
「うん。掠り傷一つ無いよ。でも無人島どころじゃなかった……」
「無事で良かった。……それにしてもそんな距離をよく泳ぎ切ったと思うよ」
「母上も驚いてた。吐くまで運動したのも初めてだったよ」
   それを聞いたルディは身震いした。ルディ、行かなくて良かったよ――と告げると、ルディもこくりと頷いた。
「私はそんなに泳げないと思う。泳いだこともないし……」
「きつい一日だった……。父上に怒られながら泳いだし……。でも、船が壊れる前に、イルカを見たんだ」
「イルカ?」
   ルディにイルカの話をした。その話だけでも土産話にはなったようで、ルディは楽しそうに聞いてくれた。






「そうか。では私も其方に向かう。……ああ、大丈夫だ」
   船体の回収が終わったと連絡が入ったのは、午後を過ぎてからのことだった。起きた時には手足を動かすことも辛いほどの筋肉痛に見舞われたが、すぐに港湾部へ連絡を入れた。事情を説明し、船を回収してほしい旨を伝え、今漸く回収され港に戻って来たという連絡が入った。
「港に行くの?」
「ああ。事情聴取もあるし、私も気になることがあるから行ってくる。夕刻には戻ってくるから……」
   水風呂に入って身体を冷やしたら、筋肉痛も大分楽になってきた。心配そうな表情を見せるユリアに大丈夫だと告げると、私の性格を知っているユリアは一つ息を吐いて頷いた。
「解りました。……フランツ、今回の事故はもしかして……」
「まだそうと決まった訳ではない。念のため、邸の警備を強化しておく。ハインリヒにもフェルディナントにも外に出てはならないと言ってくれ」
「フランツ……」
「大丈夫だ。何か生じたらすぐに連絡をくれ」
   昨日のことがどうも腑に落ちなかった。初めは岩礁に乗り上げたのだと思った。だが、粉々に砕け散った船体を見ると、それを否定せざるを得なくなった。

   それに――、潜って確かめて解ったことだが、岩礁は無かった。突然、下から突き上げられるような衝撃音が響き渡ったにも関わらず、海の中には何も無かった。

   ハインリヒと共に泳ぎながら、ずっと考えていた。考えられることは二つ、ひとつは船に当初から欠陥があったということ、もうひとつは何者かが海から攻撃を仕掛けてきたのではないかということ――。

   結論を出すには、証拠が必要となる。港湾部に連絡をいれて、検分に立ち合わせてもらうことにした。港湾部は海上保安局、つまりは海軍部の指揮下にある。頼めば、あとで調査の結果も聞くことが出来るだろう。



   車を駐車場に停めて港湾部へと向かう。港湾部の部屋に入るのはこれが初めてだった。入口の方では伍長の階級章を身につけた者達が忙しなく働いているのに、奥の方では大尉の階級章を持つ者達が歓談している。
「検分への立ち会いを申し出た者だが……」
「先に調書を取ります。此方へ」
   伍長の階級章を持つ男は、私を個室へと案内した。其処で次から次へと質問を浴びせられた。多分、彼は私が軍に所属していることを知らないのだろう。何も知らない一般人かのように話しかけてくる。それはある意味、気楽なことではあった。
「事故直前に気付いたことはありませんか?」
「いや、何も無い。視界には岩肌も見えなかった」
「免許取得歴は? 前回の操縦についてもお答え下さい」
「取得歴は……、20年以上になると思うが……」
「では船の操縦には長けているのですね。前回操縦したのはいつですか?」
「それも20年以上前のことだ。免許取得時だが」
   そう応えると、彼は不可解ともいうような表情で私を見、紙にさらりとそのことを書き付けた。
「では初心者が操縦しているのと変わらない状況であったということですね。免許者番号を言ってください」
「番号は……」
   それを応えると、伍長の男はさっと顔色を変えた。士官学校で免許を取得した場合には、取得者番号の始めの数字が0と決められている。伍長は私が伝えた番号で、軍の関係者だと悟ったのだろう。
「軍にお勤めですか?」
「ああ。此方には休暇を得て来ているから、言わなかったが……」
「どちらに所属なさっているのですか?」
   伍長は興味津々の態で尋ねて来る。考えてみると、この伍長は私の名前や職業についてはまだ何も聞いていなかった。
「帝都の本部に」
「本部……ということは、私より階級が大分上ということですね。失礼致しました。あ、調書に必要なので、御職名と御名前を頂けますか?」
「陸軍参謀本部参謀本部長、フランツ・ヨーゼフ・ロートリンゲン大将だ。調書を終えたら船の残骸を見せてほしい」
「た……、大将……閣下でいらっしゃったのですか……!?」
   伍長は慌てて立ち上がり、私に向かって敬礼する。構わないでくれ――と告げたのに、伍長の男は少々お待ち下さいと言葉を残して、すぐに部屋を出て行った。おそらく上官を呼びにいったのだろう。
   あまり事を騒ぎ立てたくなかったのだが――。

「参謀本部長閣下!」
   三分と待たなかった。大尉を名乗る男が二名慌ただしくやって来て、部下が大変失礼致しました――と頭を下げた。
「彼は自分の職務に取り組んでいただけだ。それより、大破した船体を見たいのだが……」
「すぐ御案内致します」
   名乗るだけで態度が一転することは珍しいことでもなかった。態度を極端に軟化させた次に発せられるのが、大抵は昇級に関することと決まっている。それが面倒だからあまり口にはしなかったのだが――。


[2010.7.27]