ルディの体調が回復すると、二人で仲良く遊ぶ姿が再び見られるようになった。この二人は本当に仲の良い兄弟で、喧嘩をする姿を見たことも無い。俺が部屋で仕事をしていると、時々、二人が揃って覗く。そういう時には相手をしてやると、無邪気な表情でとても喜ぶ。
「お出掛けなの? 僕達はお留守番?」
   リビングルームの前まで来た時、ロイの声が聞こえて来た。今日は閣下とユリアが企業の20周年祝賀会に出席することになっていた。俺も誘われたが、気疲れするだろうと思い同席を断った。
「ええ。帰りも遅くなるから、アガタの言うことをきちんと聞くのよ」
   リビングルームの扉を開けると、ユリアとルディ、ロイの三人が此方を見る。ゲオルグも?とルディが尋ねた。
「俺は行かないよ。ルディやロイと一緒に留守番だ」
   部屋のなかに入り、そう応えると、二人とも安心したように微笑んだ。ユリアは二人を見遣って、お仕事の邪魔をしては駄目よ――と念を押すように言った。
「ユリア、大丈夫だよ。報告書も終わってるし、忙しくも無いから、二人の面倒は俺が見ておくよ」
「でも帝都に来てからずっと二人の面倒を見て貰っているじゃない。却って貴方の仕事を増やしてしまって……」
「仕事が無い時は構わないよ。二人とも大人しい子達だしな」
   閣下は帰宅すると、早々に着替えを済ませて、ユリアと二人で出掛けていった。ルディとロイはそれを見送る。心なしか、少し寂しそうに見えた。



   閣下もユリアもいつも家に居るという訳ではなかった。閣下には勿論、軍務省での仕事があるが、ロートリンゲン家が絡む企業の催事や定例会には顔を出さなくてはならないし、それに関連したパーティに出掛けることも多い。
   ユリアも文化振興団体や慈善団体の支援を行っており、邸に居ても電話や手紙の応対に勤しみ、そうした団体の許へ出掛けることも多い。ルディの具合が悪い時には外出を控えているが、子供達と四六時中過ごすことはまずない。
   俺も両親共に美術館に勤めていて、祖父母の許に預けられることが多かった。この二人ぐらいの年齢の頃には、祖父母宅に行く際、随分ごねた記憶がある。

   だが、ルディやロイはそうした家の事情を弁えているようで、駄々をこねて大人を困らせることはしない。ただやはり気になるようで、遊びながらもちらちらと時計を見る。

   やがて、二人の就寝時間が近づいて、ミクラス夫人が二人を呼びに来た。ルディは素直に玩具を片付け始めるも、ロイは何をするでもなく、ただ俺の隣に座っていた。
「ロイ。お前も片付けをしなくては駄目だろう?」
   そう促すと、ロイは俯いて、小さな声で言った。
「……もう少し遊ぶ」
「ハインリヒ様。9時には寝るというのはお約束ですよ」
   ミクラス夫人がロイの許に近付く。その合間に片付けを終えたルディも歩み寄って来て、部屋に行こうとロイを促した。ロイは首を横に振った。
「父上と母上が帰ってくるまで……」
「今日は、御帰りが遅いので先にお休みしましょう」
   諭すように促すミクラス夫人にロイはまた首を横に振った。こんな風に駄々をこねる姿は珍しい。
「ロイ。ベッドに入ろう。ほら、行こう」
   俺が立ち上がり、ロイの手を取って促す。ロイはそれでも立ち上がろうとしなかった。
「ハインリヒ様。早くお休みにならないと、明日の朝、起きられなくなりますよ」
「ちゃんと起きるから、もう少し起きていても良い……?」
   ロイはミクラス夫人をせがむような眼で見る。夫人が困り果てていると、ロイは俺の方を見た。
「ベッドに入って、話でもしようか。ロイ」
「本当?」
   ぱあっとロイの顔が明るくなる。僕も――とルディが身を乗り出した。
「ではルディは枕を持ってロイの部屋においで」
   ルディは頷いて、駆け出そうとする。それをミクラス夫人が、走っては駄目ですよ――と慌てて止めた。

   珍しく子供らしい駄々をこねているのを見た。そんな年相応な姿を見ると、何だか安堵してしまう。
   ロイの部屋で二人にハンブルクに伝わる古い民話をいくつか話していると、いつのまにか二人とも眠りに入った。ベッドは広く、子供二人が手を広げて寝ても余裕がある。二人の身体にブランケットをかけ、部屋を後にした。





   ひと月の研修を終えて、ハンブルクに帰る日、ルディとロイは俺から離れようとしなかった。出立の時間が迫るに連れ、本当にもう帰ってしまうの――と二人が大きな眼で俺を見つめて言う。
「また遊びに来るよ。ルディの具合が良い時に、二人ともハンブルクにおいで」
   いつか絶対に行くからね――とルディは元気良く告げる。それをユリアが微笑ましそうに見ていた。

   ロートリンゲン家でのひと月はとても短く感じられた。ユリアは相変わらずのおっとり加減だったが、閣下が少し厳しい。だからのんびりとした雰囲気のなかに少しの緊張感があるような――そんな印象を受けた。だがとても暖かな家庭だと思う。


   ハンブルクに戻り、研修を終えたことを美術館に報告に行ってから、祖父母宅へ向かった。俺からのささやかな土産と、そして一番の土産を携えていた。
「ゲオルグ。帰っていたのか」
   庭で祖父が花に水遣りをしていたところだった。俺の姿を見るなり、笑みを浮かべる。
「今日帰ってきたばかりなんだ。お祖母さんは家の中?」
「ああ。ルディとロイは元気だったか?」
「良い土産を持って来たよ」
   祖父に家の中に入るよう促す。祖母は俺の姿を見て、お帰りなさい――と穏やかな笑顔を見せてくれた。
「二人に良いプレゼントがあるんだ」

   テレビの前に二人を座らせて、パソコンを繋げる。データを送り、画像をテレビに映す。
   ルディとロイが御祖父様、御祖母様、と声を揃えて呼び掛ける。
   ハンブルクに戻る前日、ルディとロイの姿を映しておいた。リビングルームのソファに二人がちょこんと座って、祖父母に話しかける――そんな映像だった。ルディとロイが祖父母に語り終えた後で、ユリアが現れる。元気そうなユリアの様子に、祖父母は頬を緩ませ、閣下はいなかったのかと尋ねて来た。
「最後に全員が映ってるよ」
   閣下が戻ってきてから、もう一度カメラを回した。その際の映像を見て、良い家族だな――と祖父は言った。
「ユリアも幸せそうだった」
「そうだろう。ユリアの様子を見れば解る。それにルディも大分健康になったようだ。……おや、お前も一緒に映っているではないか」
「全員で映ろうって言われてね」
   カメラを回していた時、閣下がゲオルグも此方に来なさい――と言って、呼び寄せた。其処からは執事のフリッツにカメラを回してもらった。

   映像を巻き戻しながら、祖父母は何度もそれを眺めていた。成長したルディやロイの姿を見ては、眼を細める。
「いつか皆でハンブルクに集えると良いな」
   俺がぽつりとそう告げると、祖父はそうだな――と頷いた。

【End】


[2010.7.22]