「やはり穏便にとはいかなかったか」
   ユリアが別のドレスに着替えている間に、エリクに父を呼んできてもらい、事の次第を話した。此方の会場には何の異常も無かったらしい。
「先程一通り挨拶して回ったが、不審者は居なかった。フォン・シェリング家からの客も居ない。長官と副官が居ないのは、フォン・シェリング家が此方への出席を阻んだのだろう」
「長官には宮殿でお会いしました。祝福の言葉を頂きましたが、フォン・シェリング大将に気を付けろとのお言葉も同時に。父上の仰る通り、フォン・シェリング大将が長官の此方への出席を阻んだようです」
「やれやれ……。子供じみた真似を……。まあ良い。フランツ、ユリアの着替えが終わったら、すぐに会場に降りてこい」
   父はそう言い残して、会場に戻る。グラス一杯のワインを仰ぎたい気分だったが、そうもいかないようだった。
   ユリアは今、部屋で着替えている。もう少し経ったら迎えに――。
   部屋――。
   部屋、か。


   結婚式を挙げるまでは同室は認めないと両親に言われ、ユリアの部屋は俺と離れた場所にあった。それどころか、俺はその部屋に入ってはならないと言われていて――。
   だがもう結婚式を終えたのだから良いだろう――。
   部屋の前まで行って扉を叩くと、アガタの声が返ってくる。ユリアの準備は――と尋ねると、もう少しですよ――と答えが返ってきた。
「お式も終えたのですからどうぞお入り下さい。フランツ様」
   ユリアの部屋に足を踏み入れる。元々客室で、母上がユリアのために整えた部屋だった。

   ユリアは、今度は生成色のドレスを着ていた。ドレスにはひとつひとつ布で丁寧に作られた花が飾られている。結い上げられた髪と露わになった首には似たようなデザインの髪飾りとネックレスを付けていた。ロートリンゲン家に由来するものだろう。鏡台の前から立ち上がったユリアは、これまた美しく、輝いているように見えた。
「フランツ様、また見とれてらっしゃいますね」
   アガタに指摘されて傍と我に返る。アガタは私を見て言った。
「お式の時、ユリア様が入場なさった時も眼を奪われておいででした。尤もあの時は会場中がユリア様に注目なさってましたが。……私はまだ観ていないのですが、テレビ中継でもユリア様を絶賛していたそうですよ」
   絶賛するのも当然だ。きっと、私はユリアには不釣り合いな男と映ったことだろう。
   ユリアは此方に歩み寄る。行こうか――と告げた時、アガタとこの場に居た三人の使用人達が一礼して言った。
「御結婚、おめでとうございます。フランツ様、ユリア様」
   ありがとう――と礼を告げ、部屋を後にする。会場となっている部屋の前までやって来るとエリクが待ち受けていた。
「部屋の一番奥にフォン・ルクセンブルク様がいらっしゃいます。まず御挨拶をお願いします。それから中庭に面したテーブルにハインツ様がいらっしゃいます。この二家の方々には先に御挨拶を。その後のことはまたお知らせします」
「解った」

   エリクが扉を大きく開くと、皆の視線が一斉に注がれる。拍手で出迎えられた。
   ユリアと手を組んで、奥へと進む。おめでとうございます――と祝福の言葉を何度も受け、礼を述べながら、進んでいく。フォン・ルクセンブルク家は帝室からの分家であり、当主のヨーゼフ・フォン・ルクセンブルクは現皇帝の弟君にあたる。側に行くと、彼は微笑んで迎えてくれた。
「ヨーゼフ様、お忙しいところ、今日はありがとうございます」
「おめでとうございます。ロートリンゲン大将。お招きに預かり光栄です」
   ユリアを紹介すると、お綺麗な方ですね――と穏やかな表情で言った。皇帝の弟ヨーゼフは皇帝よりも穏やかで物静かな気質だった。子供の頃は、皇帝もそしてヨーゼフとも親しく遊んだものだった。
「皇帝陛下からも祝福の言葉を預かって参りました。末永く幸せに――と」
「ありがとうございます」
   ヨーゼフは教育や文化振興に関心を寄せており、私と話が合うことからも、ヨーゼフとは分家してからも付き合いはあった。
   だが、最近、彼にフォン・シェリング家との縁談が持ち上がっていた。フォン・シェリング家二女のベアーテ。クリスティンとの縁談を持ちかけられた時、一度顔を合わせたことがあるが、彼女がどのような女性かは解らない。ヨーゼフは良い人間だが、少し気弱なところがある。もしかしたらフォン・シェリング家からの半ば強引な縁談を、断れなくなるかもしれない。
   この時もヨーゼフは何か話したそうな雰囲気だったが、場を弁えてだろう、何も話そうとしなかった。

   それからハインツ家の当主とその夫人の許に向かう。同じ旧領主家のなかでもハインツ家とは特に親しく、兄のように慕っていた。ハインツ家の当主ラードルフは私より8つ年上で、旧領主家にしては珍しく軍人ではなく、財務省に勤めている。その奥方のエルミーラは今年19歳で、ラードルフとは遠い親戚にあたり、去年、結婚した。20歳も年が離れているが、ラードルフはエルミーラを大切にしていた。
「おめでとう。フランツ。そしてユリアさん。フランツには勿体無いぐらいの美人だ」
   ラードルフはユリアに挨拶をする。それから私に向き直って言った。
「……心配していたが何事も起こらなかったようだな」
「そう言いたいところですが……」
   肩を竦めるとラードルフは察した様子で、口を噤んだ。また今度詳しく聞くことにしよう――と話題を転じてくれる。
「ユリアさん、フランツは良い男だが、時々一人で突っ走る。貴女が確り手綱を握っていないとね」
「ラードルフ……。随分な言われようだが……」
「ユリアさんの言うことなら、君も素直に聞き入れそうだからね」
   ラードルフが笑うと夫人も笑う。一旦、ラードルフと別れ、エリクに促されて他家の旧領主家当主に挨拶に回り、その後、帝国美術院の院長夫妻の許に挨拶に向かった。


   そうこうするうちに時間は過ぎていく。招待客一人一人に挨拶をしていき、それが終わる頃には宴も終わりに近付いていた。
   その間、ユリアは一度着替えて、今度は明るい紫色のドレスを纏った。濃いピンクのようにも見える赤紫のドレスはこれまたユリアに映えていた。

   漸く全てが終わった時には疲れ切っていた。着替えを済ませてユリアの許に行くと、同じように着替えを済ませたユリアは宝石箱を持って出て来た。
「ユリア。それは?」
「今日お借りしていたアクセサリー。お義母様にお返ししようと思って」
「それはロートリンゲン家に伝わる物だから、お前が持っていて良いのだぞ。母上も確かそんなことを……」
「そんな訳にはいかないわよ。私が持っていて無くしてしまっても大変だから」

   リビングルームに行くと、父と母が待ち受けていた。二人とも疲れたでしょう――と労いの言葉をかける。ユリアは母の側に歩み寄って、ありがとうございました――と宝石箱を差し出した。
「それは貴女が持っていなさい」
   母はにこりと笑って言った。
「ですが……」
「今日身につけた宝石は全てロートリンゲン家に伝来するもの。現当主の妻が代々受け継いできたものです。今日からは貴方達がこの家の主人なのですから、それは貴女が管理なさい。宮殿での晩餐会や行事には身につけていきなさいね」
「書面での財産移譲は明日、パトリックとエリク立ち会いの下で執り行う。良いか、二人とも。この家のことはこれ以後、全てお前達に任せる。私達は隠居させてもらうが、この家を絶やすようなことはならんぞ」
「父上……」
「お前の性格では少々不安だが、ユリアが居れば大丈夫だろう。……そして出来るだけ早めに後継者を」
   全てがのし掛かってきたようで、返す言葉を失っていると、確りしろ、と父が背を押した。
「……はい」
「まったく……。気のない返事を」
「あ、そうそう。ユリアの御部屋はフランツの隣の部屋に移しますからね。明後日から新婚旅行でしょう? その間に荷物を移動させておきます」
   それまでは我慢なさいね――と母が俺を見て言った。何を意味しているのかは、問い返さずとも解った。
「さて、私達はそろそろ休む。朝から動きっぱなしで流石に疲れた」
   父が立ち上がると、そうね、と言って母も立ち上がる。父と母が去っていくと、ユリアと二人きりになった。
「忙しすぎて、結婚したという実感が無いな」
   ユリアにそう告げると、ユリアも笑いながら頷く。その手をそっと取る。
「ユリア。愛している」
   ユリアは笑みを浮かべ、私もよ――と返す。その唇に口付けようと、顔を近付けていく。
   暖かく柔らかな感触に触れる――触れようとした時。

   コンコンと扉が叩かれた。慌てて放れると、扉から声が聞こえてくる。
「失礼致します」
   アガタの声だった。折角の良いところを――。
   ユリアがどうぞ、と応える。アガタはワインとグラスをふたつ、それにチーズやハムを載せたトレイを持って現れた。
「大旦那様と大奥様から、旦那様と奥様へ贈り物だそうです」
   アガタはそう言って、ワインをテーブルの上に置いた。2263年とワインに書かれてある。つまり、私が誕生した年で――。
「お二人で堪能なさって下さいとのことでした」
「そうか……。ありがとう、アガタ」
   アガタが去ってから、ワインを開け、二人きりで乾杯を上げた。新たな生活への誓いとして、キスを交わしながら――。

【End】


[2010.6.30]