20分程で宮殿へと到着する。
   入口で出迎えの秘書官が控えており、大広間へと案内する。大広間では各省の長官はじめ副官達がずらりと並んでいた。それは俺が予想していた以上の人数だった。
   そして正面には皇帝と皇妃の姿がある。一歩一歩ゆっくりと進んでいく。一歩遅れてユリアが従う。
「本日は謁見のお時間を割いていただき、感謝の尽くしようも御座いません。フランツ・ヨーゼフ・ロートリンゲン、婚儀を終え、妻ユリア・ロートリンゲンを当家に迎えましたことを陛下に御報告申し上げます」
   跪いて口上を述べると、皇帝は頷いて、おめでとう――と祝福の言葉をかけてくれた。
「ロートリンゲン家に相応しい盛大な式であったと聞いている。……私個人としては親友でもあるお前の結婚式に参列したかったが、警備上の問題で叶わなかった。故に此処で祝福させてもらう」
「陛下のお気持ちだけで身に余ります」
「後日、宮殿でお前の婚儀を祝う宴を催そうと思っている。御両親にも参加願いたい」
「ありがたき幸せに御座います」
   一通りの報告を終えると、長官達が祝辞を述べる。それらを聞き終え、礼を述べてから、広間を辞した。
   広間を出ると、ユリアは僅かにほっとした表情を見せた。
「ユリア。どちらかというと、これからのほうが大変だぞ」
「それぞれの旧領主家の方々に御挨拶するのよね? 陛下や皇妃様の御前では式よりも緊張してしまったわ」
   声を潜めて呟くユリアに苦笑する。
「……旧領主家のなかには性格の悪い当主も居る。何を言われても聞き流しておくんだぞ」
「フランツ……」
「大丈夫だ。何があろうと俺は必ずユリアを守るから」
   ユリアは微笑み頷く。
   その時、視線の先に長官の姿が見えた。陸軍長官だとユリアに囁き、彼の許に歩み寄る。長官は笑みを浮かべて、おめでとう――と祝福をくれた。現長官は一昨年まで私が中将の頃の上官だった方で、軍人にしては穏やかな気性の方だった。
「ありがとうございます。長官、お時間がありましたら是非、屋敷の方においで下さい。ささやかながら宴を催しておりますので……」
「ありがとう。招待状も受け取ったのだが、急に会議が入ってね。参加出来ず申し訳無い」
「そうでしたか……。そんな時に申し訳御座いません」
「いや……。会議といっても……、大したことではない。……フランツ」
   長官はそっと近付いて、囁いた。
「フォン・シェリング大将が此方に来ている。気を付けろ」
   それだけ告げると、長官はユリアに一礼し、去っていった。
「フランツ……」
「フォン・シェリング家にも一応、招待状は出したのだがな。この日に合わせて長官に会議を持ちかけたのだろう。……まあ、ユリア。気にすることは無いよ」
   俺達も屋敷に戻ろう――そう促して、宮殿の中庭を抜けて車のある門の方へ向かう。車が見えてきた時、フランツ、と呼び掛けられた。この声はフォン・シェリング大将だった。
   振り返り、型通りの挨拶をする。
「おめでとう。これでロートリンゲン家も安泰だな」
「ありがとうございます」
「会議の召集があったため、宴に参加出来ないが、クラウスには宜しく伝えてくれ」
   当たり障りの無い会話を交わし、無難にその場を切り抜ける。しかしあのような祝辞を述べるためだけに俺達の前に現れたのだろうか――。尤もユリアが此処に居ないかのように見もしなかったが。
「今の方がフォン・シェリング大将閣下?」
「ああ。敢えて紹介しなかったんだが……」
   ユリアを促して、車へと向かう。フォン・シェリング大将の様子がどうも腑に落ちなかった。


「お疲れ様です。フランツ様、ユリア様」
   車に乗り込むと運転手のゴードンが労いの言葉をかけてくれた。マスコミがまだ道路に居るようですよ――と出発前に教えてくれる。
「解った。それからゴードン、周辺に気を付けて走ってくれ」
   そう告げると、ゴードンは悟った様子で、解りました、と短く応えた。ゴードンは元々、陸軍の特殊部隊に所属していたから、運転操作も見事ながら危険を察知する能力も優れている。ゴードンなら、何かあればすぐに対処してくれる。
「フランツ……?」
   ユリアが心配そうな様子で見つめる。そっとユリアの手を握る。
「用心のためだ。大丈夫」
   沿道で祝福を告げる人々に手を振り返しながら、周囲を窺う。怪しい人影は今のところ見つからない。やがて大通りから外れ、屋敷までの小道に入るため、車は右折する。邸内でパーティを開くため屋敷周辺は厳重に警備が敷かれることになり、此処からは人気も無くなってくる。

「フランツ様。後方斜めビル屋上から銃口が此方を向いています。車を蛇行させますので、ご注意願います」
「解った」
   ゴードンの言った方向をちらと見遣ると、きらりと何かが光る。
「ユリア」
   その身体を側に引き寄せる。心配げに見つめるユリアに大丈夫、ともう一度言った。
   フォン・シェリング大将が差し向けたのだとしたら、おそらく命まで狙うつもりは無い。ただ脅したいだけのことだ。

   次の瞬間、車が大きく右に傾く。ユリアの身体を確りと抱き締める。パン、と弾けるような音が聞こえた。タイヤを狙っているようだった。
   ゴードンは、今度はハンドルを大きく左に切る。自分の身体を支えながら、ユリアを抱き締める。ユリアの白いドレスの裾が広がる。
「フランツ様。この通りの先を左折し、一時木の陰に入ります」
「いや、このまま前進してくれ。相手は結構しつこい。タイヤのパンクを狙っているようだ」
   ユリアを腕に抱いたまま、片腕を座席の下に伸ばす。ボックスがあって、そのなかに銃がある。それを取り出して弾を装填する。
「フランツ……? 何を……」
「相手の武器を薙ぎ払うだけだ。ユリア、耳を塞いでいろ。ゴードン、速度を少し落としてくれ」
   ユリアの白いドレスがふわりと視界を阻む。

   まったく此方は暢気な結婚式を楽しめると思っていたのに――。
   とんだ邪魔をしてくれたものだ――。
   白いドレスが揺れ動いて、視界が明ける。

   狙いを定める。機会は一度きりだ――。
   相手のライフルめがけて、銃を撃ち放つ。狙撃手の手からライフルが落ちる。上手く銃身を撃ったようだった。
「お見事」
「後部ガラスを割ってしまったがな。ゴードン、屋敷に急いでくれ」
   もう大丈夫だ――とユリアに告げると、ユリアは顔を上げて弾痕の残る窓を見た。相手の方を撃ったの――と心配げに尋ねる。
「いや。ライフルの銃身に当てただけだ」
   そう応えると、ユリアはほっとした様子で息を吐いた。
「……怖い思いをさせて済まない」
   まだ婚約する前にも、フォン・シェリング大将はユリアの家に嫌がらせを繰り返した。何者かに後をつけられたこともあったようだった。
   婚約が決まり、結婚に至って、フォン・シェリング大将が諦めてくれることを祈ったが――。
「いいえ。大丈夫」
   ユリアは気丈に笑みを浮かべる。
「貴方がいつも守ってくれるから……」
   その言葉が嬉しくて、再びユリアを抱き締める。


[2010.6.28]