20.日常と非日常〜フランツ結婚編



「失礼致します。今日の予定をご確認するために参りました」
   教会に向かうまでにはまだ時間があって、リビングルームで過ごしていたところ、エリクが手帳を持って現れた。この場に居た父や母も頷いて、エリクの言葉に耳を傾ける。
「今から一時間後の午前9時、教会に向かいます。コルネリウス家の方々は少し早く教会に到着してらっしゃいますので、ご挨拶をお願いします。お式は午前10時から11時まで。その後、当家に戻り、祝賀会となりますが、その前にフランツ様とユリア様は宮殿に赴き、皇帝陛下への拝謁と結婚の御報告をなさって下さい。祝賀会では各家の方々にご挨拶をお願いします。それから……」

   エリクの説明は続く。殆ど分刻みのスケジュールだった。今日一日、私とユリアは休む暇も無いだろう。
   ユリアは昨晩から教会に近いホテルで、家族と共に過ごしている。ひと月ぶりの再会を喜んでいるだろう。私としてはいつも居るユリアが居ないと、少し寂しいが――。

「フランツ様、宜しいですか?」
「うん? あ、ああ。予定は把握した。大丈夫だ」
「フランツ。式の後、お前はすぐに儀礼用の軍服に着替えるのだぞ。コルネリウス家が宿泊しているホテルに一室を借りてあるから、其処で着替えて宮殿に」
「解っています。父上」
「それともう一つ。宮殿では絶対にユリアを一人にしないこと。良いわね?」
   母上が念を押すように告げる。解った――と応えると、母上は何があるか解らないから――と言った。
「この結婚を取り潰そうとしている人も居ることを忘れないで。浮かれてばかりでは駄目よ」
   母上は今も尚、心配していた。ユリアの宿泊しているホテルも万全の警備を敷いてもらったし、今日は休日で宮殿も閑散としているから心配無いのに――。
「フランツ様」
   エリクが私に向き直る。他に予定があるのだろうか――と思っていたところ。
「式より後は、旦那様と呼ばせて頂きます」

   旦那様――。
   驚いて返す言葉を失った。旦那様と呼ばれると、何だか一気に老け込んだ感じもするし、まだまだ父上や母上も健在なのだが――。
「この家の主たる自覚を持つためにはそれが良いな。エリク、今後も宜しく頼むぞ」
   エリクは恭しく頭を下げ、部屋を出て行く。旦那様――、旦那様、か。
   俺が旦那様ということは、ユリアは奥様と呼ばれる訳で――。

   そうだ。今日からユリアは私の妻で――。
   妻――。

「さあ、フランツ。そろそろ準備をなさい」
   母上に促されて我に返り、立ち上がる。





   俺とユリアの式を挙げる教会は、ロートリンゲン家が代々結婚式を挙げてきた教会で、古く歴史のある教会だった。到着すると出迎えの者がやって来て、既にコルネリウス家の人々が来ている旨を告げた。
   ユリアは奥に控えたまま、コルネリウス家の人々と挨拶を交わす。父はユリアの父親や兄とは元々懇意にしていたこともあって、その場には和やかな空気が流れた。それだけ親しいにも関わらず、父はコルネリウス家に娘が居ることを知らなかった。知っていれば、私から縁談を申し入れた――と、父は最近になって言った。

   この日はじめてユリアの甥という、ユリアの兄の息子のゲオルグと挨拶を交わした。私がはじめてユリアにあった時、ユリアの恋人だと勘違いした人物だった。今はハンブルクの高校に通っているらしい。
   挨拶を終えて、一旦控え室に行き、式の開始を待った。その間に、軍の同僚達が続々と祝福に訪れる。彼等と話をしていたところへ、神父が呼びに来た。


   厳かな式が始まる。流石に少し緊張してきた。
   息を吸って入場する。神父の前まで進み出て、今度はユリアの入場を待つ。
ウェディングドレスを纏ったユリアの姿を一度は見た。とても綺麗だった。それを思うと胸が高鳴る。
   新婦の入場を告げ暫くすると、客席からざわめきが生じた。どうしたのだろう――と少し振り返ると、ドレスにベールを纏ったユリアの姿が見えた。

   それは一度は見たとはいえ、眼を見張るほど美しくて――。
   見とれそうになり、傍と我に返る。正面を向いてユリアを待つ。

   式の最中、人々の囁き声が止むことは無かった。それほどに、今日のユリアは綺麗だった。人々の声を受けながら、指輪を交換し、誓いの言葉とキスを交わし合う。

   式の全てを終えて、教会の階段を下りる。ユリアの手を取りゆっくりゆっくりと下りて行く。軍の将官達が祝福の言葉をかけてくれる。礼を述べ、車で教会を去り、ホテルへと向かう。
「綺麗だ。ユリア」
   車のなかで漸くユリアと話すことが出来た。ユリアはありがとう――とはにかみながら、緊張したわ――と肩を竦めて言った。
   5分と経たず、車はホテルの前に停まる。其処で降り、先回りして待ち受けていたエリクと共に最上階の部屋へと向かう。すぐにアガタもやって来た。
「フランツ様がお着替えになっている間、ユリア様もお化粧直しを……」
   同じ最上階で、ユリアはアガタと別室に向かう。アガタは昨日からユリアと共に過ごしていた。

   部屋で息を吐く間もなく、タキシードから儀礼用の軍服に着替える。いつもの軍服と違い、胸元には帝国軍の章や階級章と並んでロートリンゲン家の紋章が、そしてマントを肩から下げる。それには旧領主家だけに許された裾飾りが付けられていた。エリクはそれらをひとつひとつチェックしてから、最後に剣を手渡した。
「では呉々も皇帝陛下に失礼の無いように。私は先に屋敷でお待ちしております」
   そしてユリアの部屋に迎えに行く。ユリアも支度を済ませていた。
「行ってらっしゃいませ」
   ホテルの下で、エリクとアガタが丁寧に頭を下げて見送ってくれる。再び車に乗り込んで、宮殿へと向かう。心なしか、ユリアは緊張しているようだった。
「今日は休日で、宮殿に控えている人も少ない。皇帝陛下と皇妃殿下の他は、秘書官と各省の長官だけだ。……と、沿道に祝福をしてくれている人々が居るから、ユリア、手を振って」
   ユリアは頷いて、微笑みながら沿道の人々に向けて手を振る。旧領主家の結婚ということで、マスコミも駆けつけていた。式の撮影は許可しなかったが、教会外での撮影を許可していたから、教会前の階段を下りるとき、随分フラッシュが瞬いていた。今も同じように車に向けてカメラが回される。


[2010.6.27]