奥様からの話を聞き終えてから、すぐにユリア様の部屋に向かう。あと十分で社交ダンスの講師がやって来る。それまでに着替えを済ましてもらい、部屋を移動してもらわないと――。
「失礼します」
   部屋の扉を叩き、どうぞという声を聞いてから扉を開ける。ユリア様は本を置いて立ち上がった。
「そろそろ社交ダンスのお時間ですので、お召し替えを」
   何の本を読んでいたのだろう――ちらとその表紙を見た。上流社会のマナーと書かれてあった。
「……マナーのお勉強ですか?」
   思わず問い掛けると、ユリア様は自嘲のように笑って、ええ、と頷いた。
「……昨晩の演劇鑑賞で皆様方が私を見て笑ってらしたので、何か間違ったことをしたのだと思うけれど何を間違えたのか解らなくて……。早くマナーを身につけないと、お義母様に迷惑がかかってしまいそうだから……」
   昨晩、他家の奥様方からまじまじと見られたことをまだ気にしていたのだろう。
「ユリア様」
   優しすぎる――と奥様が言った理由が解る。この方はもっと――。

「昨晩のユリア様はご立派でした。何も間違ったことなどなさっていません」
「アガタ……」
「だから堂々と笑っていてください。ユリア様はフランツ様がお選びになった方、今後、フランツ様と共に貴女様自身がこのロートリンゲン家を背負われるのです。多少の失敗を悔やんではなりません。失敗は失敗として笑い飛ばし、御自分に自信を持って、皆様の前に出て下さい」
   此処に勤めてまだ日の浅い私がこんなことを言うのは、分不相応だとアリーヌは言うだろうけれど――。
   ユリア様は眼を大きく見開いていたが、やがて、ありがとう――と笑みを浮かべた。
「……不安なことがあれば私にお申し付け下さい。私はユリア様の味方です。ユリア様に不利と思われることは、決して他言も致しません。ですからどうか、お一人でお悩みになられませんよう……」



   この日の晩、自宅に戻ってから、パトリックと遅めの夕食を摂った。食後にワインを出して、二人でグラスを傾ける。パトリックが半分ほど飲んだところで口を開いた。
「ユリア様のウェディングドレスは見たか?」
「ドレス? いいえ。まだ仕上がってないでしょう」
「それでは明日届くのかな。今日、請求書が届いて処理したんだが、破格の値段でな」
「それはさぞ豪華なドレスなんでしょうね」
「見るだけでも価値がありそうだ。奥様はユリア様のことに関しては金を惜しむなと仰っているし……」
「昨晩、ユリア様が身につけていたネックレス、見た? ロートリンゲン家に伝わるもの……と聞いたけど」
「ああ。結婚式にはまた別のネックレスとイヤリングがある。今日、旦那様と話したんだが、結婚式の翌日にそれら一切をフランツ様とユリア様に相続させる手続きを行うと言っていた。装飾品だけでも総額にするとすごいからなあ……。まあ、ロートリンゲン家は既にフランツ様が家督を継がれているし、ユリア様にも権利が生じてくるというだけだが……。旦那様も奥様もお二人に全てを譲って引退すると仰っていた」
「私も奥様からその話を聞いたわ。……それでね、パトリック。今日、奥様から住み込みで働かないかと言われたのだけど……」
   パトリックはグラスを置いて、俺も旦那様に言われたよ――と私を見た。
「俺の仕事は通いでも可能だが、ユリア様の世話係というお前の仕事は、確かに住み込みでの仕事ということになるだろう。お前がこの仕事を続けるなら、住み込みも考えるが……」
「……出来れば、私はユリア様のお世話を続けたいのだけど……」
   そう告げると、パトリックは眼を見張った。意外だ――と呟く。
「お前のことだから断ると思っていたが……」
「あら、どうして?」
「アリーヌはじめ使用人達の関係が面倒だからな。住み込みの話が出たら、適当な理由をつけて断ってくるだろうと思っていた」
「……確かにアリーヌ達のことは面倒だけど……。ユリア様を見ていると、支えて差し上げたいという気になってくるというか……。ユリア様、アリーヌが言うような方ではないと思うのよ」
「美人はやっかまれるからな。ユリア様はあの通りの方だよ。近所でも評判の良い御家族だったそうだ」
「……この間から思っていたのだけど、貴方、そんなことまで調べるのが仕事なの?」
「執事のエリクに頼まれてね。拒否したら、息子のフリッツに頼むと言っていたから断り切れなくて……。隅から隅まで探らされた。まあその結果、エリクはユリア様を信頼しているがね」
「やり方には賛成出来ないわね」
「ある程度は仕方無いところもある。これまでロートリンゲン家に不祥事がなかったのも、エリクが眼を見張っていたからだ。それに素性がはっきりしてしまえば、エリクはユリア様に従順そのものだ」
   言われてみれば、エリクは既にユリア様をロートリンゲン家の一員として扱っている。問題はアリーヌを中心とする使用人達で――。
「……で、お前は決めたのだな? ロートリンゲン家に住み込むと」
「貴方の意見を聞いてからにしようと思ったのよ。……マイホーム計画も断念しなきゃいけないし……」
「何、休暇は貰えるのだから、そのために家を買っておいても良いさ。私も出来ればずっとロートリンゲン家に勤めたいしな」
   話し合いの結果、ロートリンゲン家に住み込みで働くことになった。翌日、奥様にそのことを伝えると、奥様は喜び、すぐに部屋を用意してくれると言ってくれた。


   そして、ちょうどその話が終わった時、ユリア様のドレスが到着した旨をエリクが知らせに来た。
   ユリア様の部屋で届いたばかりのドレスを開く。
   純白の絹生地に銀糸で細かく刺繍が施されたドレスは溜息が出るほどで――。
   奥様はユリア様に早速着てみるよう勧めた。ユリア様の部屋で、着替えを手伝いながらドレスをよく見ることが出来たが、こんなに豪華なドレスは見たことが無かった。
   そしてユリア様の白い肌に、その豪華なドレスはとても映えていた。
「よく似合っていますよ。お式にはそのドレスで、その後のパーティでのドレスはまた明日届くと言っていたから……」
「色々とありがとうございます、お義母様」
「このぐらい当然ですよ。さあ、少し階段を歩いてみて。教会には少し長い階段があるでしょう。もし歩きにくいようなら裾の調整を頼むから」
   奥様に促され、ユリア様は部屋を出、廊下に出た。ちょうど掃除担当の使用人が居て、ユリア様の姿を見て驚いたように眼を見開いた。

   ユリア様がゆっくりと階段を下りて行く。その時、正面玄関の扉が開いて――。
   てっきりエリクかパトリックだと思っていたら、フランツ様だった。
「ユリア……」
   まだ夕方でもないのに、何故フランツ様が帰宅なさったのか――。
   私も驚いていると、私以上にフランツ様がユリア様を見て驚いていた。ウェディングドレスが届いたの――と告げるユリア様に、フランツ様は何も言えない状態で――。
「フランツ。こんな時間にどうしたのです?」
「あ……。今晩から支部に出張が決まって……」
「出張? 何時に出掛けるの?」
「6時に。今、エリクには伝えたから」
   それから再びフランツ様はユリア様を見つめ、綺麗だ――と告げる。
   ありがとう――とユリア様は少し恥ずかしそうに微笑しながら返す。それはさながら映画のワンシーンを見ているようで――。
   此方が照れてしまう。

「フランツ。貴方のタキシードも届いたから試着してご覧なさい。6時に出立なら、時間はたっぷりあるでしょう」
   着替え終わったら呼びなさいね――と奥様は言って、二人から離れる。アガタ、此方へ、と私を呼ぶことも忘れなかった。二人に気を遣ったのだろう。
   やがて、ドレスとタキシードを纏った二人が姿を現した。フランツ様もユリア様も幸せそうな表情で、此方が照れてしまうほど、仲良く現れて――。


   この素敵なお二方の作り上げるロートリンゲン家がどのようなものになるか、興味が沸いた。

【End】


[2010.6.26]