19.アガタの決断



   フランツ様の婚約者の世話係として、ロートリンゲン家に勤めないか――。
   パトリックにそう言われて、家に篭もっているよりはと思い、気軽にその仕事を引き受けた。奥様の指名だったらしい。ロートリンゲン家にはパトリックと共に顔を出してはいたけれど、奥様とも二度三度しか言葉を交わしたことが無く、何故、自分が指名されたのか解らなかった。
『年が近いからだと旦那様が仰っていたぞ。ユリア様はお前より2歳下だから』
   ユリア様――。
   フランツ様には何度かお会いしたことがある。パトリックより3つ年上で、背の高い方だった。婚約者のユリア様はとても綺麗な方だとパトリックは言っていた。

   ユリア・コルネリウス様。
   旧領主家の出身ではなく、一般の家の方らしい。フランツ様がハンブルクで見初めて、付き合い始め、結婚に至ったということはパトリックから聞いていた。フランツ様が御執心だと言っていたから、どんな女性なのか、同性としても興味があった。
   そして初めてユリア様と会った時、息を飲んだ。
   ユリア様は、パトリックが言っていたように眼を見張るほど綺麗な方で――。

「アガタさん。今晩、お義母様と演劇鑑賞に出掛けるのだけど、この服で良いと思う?」
   おまけに優しくおっとりとした方で――。
「ユリア様。私のことはアガタと呼び捨て下さい」
「ごめんなさい。何だか呼びにくくて」
   こんなに美人なのだから、もしかしたら財産目当てで近付いた女性ではないかと使用人達の間で噂されていたけれど――。
   執事のエリクに頼まれて、こっそり素性を調べたパトリックに言わせれば、コルネリウス家の評判はハンブルクでも頗る良くて――。
「呼び捨てになさって下さい。此方の気が引けてしまいます。……そうですね、お洋服はそれで宜しいかと思います。お靴はどうなさいます?」
   ユリア様はいくつかの靴を取り出して、どれが良いと思うか尋ねて来た。クリーム色のワンピースに合わせて、同じ色の靴を勧めると、ユリア様は頷いてそれを履いてみせる。それらの装いに似合う鞄を思いついて、クローゼットから取り出して見せると、似合いそうね――と笑みを浮かべる――。
   同性でも見とれてしまうほど綺麗で、優しいユリア様と接していると、フランツ様が御執心なさるという理由も解らないでもなかった。



「アガタ、どう? ユリア様ってどんな方?」
   ロートリンゲン家には持ち場ごとに控え室がある。その一角に世話係として専用の部屋を与えられていたが、その部屋に控えていることは少なかった。
   女性の使用人達は給仕担当のアリーヌという中年の女性が居て、彼女が使用人達のリーダー格となっており、炊事場の脇にある控え室に使用人が集まることが多い。女が群がると面倒が起こるので、なるべく当たり障りの無いようにしていたつもりが、アリーヌはいつも私を呼びつけた。
   私がユリア様の世話役であるために。


   使用人達の控え室はこのところ、ユリア様の話で持ちきりだった。
   旧領主家の生活に慣れるためにという奥様の提案で、ユリア様は結婚式よりひと月早く、ロートリンゲン家に入った。まだ一週間目で、使用人達もユリア様に仕えつつ、興味津々の態でその動向を探っていた。
「……見た通りの方としか……。裏表の無いお優しい方だと思うけど……」
「でもよく言うじゃないか。美人は性格が悪いって。そんな様子は無いのかい?」
   アリーヌは声を潜めて言う。他の使用人達が頷いて私を見る。
「まったく。フランツ様が本当に良い方を見つけられたとしか」
「だって頭も良いのだろう? 顔は良い、頭は良い、性格も良い……なんて三拍子揃った人間が居るものかね」
「ハンブルクの大学を優秀な成績で卒業して、帝都の美術館からお呼びがかかったらしいけど、お断りになったって話ね」
   アリーヌと仲の良い同じく中年の女性が声を潜めて言う。その話はパトリックから聞いて知っていた。でも内密だ、誰にも言ってはいけない――とパトリックは言っていたが、何故彼女達が知っているのだろう。
「何で帝都の美術館に勤めるっていう話を断ったんだろうね。片田舎のハンブルクより良い話じゃないか」
「両親が高齢だからって断ったらしいわよ。何でもフランツ様がプロポーズをした時にも、それを理由に何度も断ったようだし……」
「でも結果的に帝都に来たってことは、やっぱりそれなりに旧領主家への憧れもあったのだろうさ」
   使用人達はアリーヌの話に一様に頷く。
   ユリア様のことを知っているのは、パトリックと執事のエリクだけだと思っていたのに――。
   一体、誰からそんな話が漏れたのだろう。パトリックが話したのだろうか。


   それにしても――。
   彼女達のユリア様への評価はあまり良いものではない。だが彼女達が言うように、ユリア様が旧領主家への憧れで結婚を決めたとも思えない。パトリックから聞く話では、裏表の無い女性としか見えない。それに話していても優しい方で――。

「まあでも、奥様も旦那様も気に入ってらっしゃる御様子。私達があれやこれや言うことではないけどね。ただ私達にとっては、今暫く用心しておいた方が良いということ。気性の激しい方だったら首が飛びかねないからね」
   アリーヌの言葉に頷いて、厨房係の使用人の一人が言った。
「今日は奥様とお出掛けと聞いたよ。奥様はずっと娘が欲しかったから、きっと嬉しいんだろうねえ」
「一番嬉しいのはフランツ様さ。最近は帰宅時間が早いだろう? おまけに帰ってきたらすぐにユリア様の許に駆けつけるんだから」
「でもまだお預け喰らってるようだよ。フランツ様もお可哀想に」
「どうだろうね。ユリア様、あの器量だよ? フランツ様が初めて……とも思えないけどねえ」


   使用人達はユリア様を疑っている。
   財産目当てではないか、結婚するまでは穏やかに見せておいて実は性格の悪い女性ではないか――と。
   でも話していると全くそういう風には見えなくて――。
   とても良い女性だと思うのに――。


[2010.6.25]