15.雑談



「ヴァロワ卿。休暇は何処かにお出掛けですか?」
   休暇を10日後に控えたこの日、ヴァロワ卿との仕事の打ち合わせを終えた後で、何気なく尋ねた。側で私の仕事が終わるのを待っていたロイも、身を乗り出してその回答を待った。
「ああ。今回の休暇は実家の片付けをする予定だ」
「御実家の……?」
「両親が亡くなってから殆ど放置していたのだが、それでは流石に物騒だと思ってな。私はずっと帝都に居るし、此方に家もある。もう実家に戻ることも無いから、荷物を運び出して売り払ってしまおうと思ってね」
   ヴァロワ卿の口振りから察するに、ヴァロワ卿は帝都の出身では無いのだろう。意外だった。
   ヴァロワ卿は週末ごとに自宅に帰っている。だからてっきり、その自宅というのが実家のことなのだと思っていた。

「御実家はどちらですか? 帝都の御出身とばかり……」
「リヨンなんだ。遠いだろう?」
   驚いた――。
   そんなに遠い場所の出身だとは思わなかった。リヨンといえば、帝都よりもマルセイユからの方が近い。
「では……、高校までは其方に?」
   ロイが問い掛けると、ああ、とヴァロワ卿は応えた。
「リヨンで生まれてリヨンで育った。士官学校に入学してから帝都に来たんだ」
「生家を売り払ってしまわれるのは何だか寂しい気もしますが……」
「私もそう考えて、母が亡くなってから三年は、そのままにしておいたのだが……。私は兄弟が居ないし、親戚も絶えてしまってね。リヨンまでは遠いから、今回のような長期休暇にしか帰ることも出来ない。家を無人にしておいたら、去年は窓ガラスを割られていたことがあったんだ。だから朽ちてしまうより先に、人手に渡してしまった方が良いのではないか……と」
「そうでしたか……。偶には私達の家で食事でも、とお誘いしようと思っているのですが、それでは休暇中はずっと御実家に?」
「済まない。家の荷物を全部片付けるから、休暇中はずっとリヨンなんだ。不動産売買の手続きも済ませてしまうつもりだから」
「残念です。父も楽しみにしていたのに」
   ロイが横合いから告げると、済まない――とヴァロワ卿は返した。
「元帥閣下にも申し訳ありませんとお伝えしてくれ。二人は何処にも出掛けないのか?」
「明明後日に帝都美術館の特別展に行くだけです」
   ロイが応えると、ヴァロワ卿はそのことに思い当たった様子で、ああ、と言った。
「ハンブルク美術館が所蔵する美術品が此方に来るのだろう? 街でポスターを見かけた」
「誘致したのが父なので、開幕式に参加しなくてはならないんですよ」
「そうだったのか。ポスターを見た時に、きっと元帥閣下も足を運ばれるのだろうと思ったが、閣下が誘致なさったのか」
「ハンブルク美術館の館長が、私達の従兄なのです。そういう縁もあってのことなのですが……」
「従兄……というと、母方の?」
「ええ。叔父は別の美術館の館長を勤めていたのですが、母方の祖父は従兄と同じようにハンブルク美術館の館長を勤めていました」
「それは知らなかった。まあしかしそうなると、必ず式典には出席しなければならないのだろうな。リヨンに来ないかと誘おうかと思ったが」
   行ってみたいが、行きたいのは山々だが、日程的に無理だった。あまりに移動のきつい日程では、身体が参ってしまう。ヴァロワ卿にそれを告げると、そうだなと苦笑する。
「偶には家でゆっくり羽根を伸ばすのも良いさ」
   土産でも買ってくるよ、とヴァロワ卿は言う。
   リヨン――。西部では結構大きな街で、文化的な風土を持つ地域で名高かったような――。

「ヴァロワ卿。リヨンはどのようなところですか?」
   興味を覚えて尋ねると、割と大きな街だ――とヴァロワ卿は教えてくれた。
「冬は帝都よりも少し寒いが、夏は比較的過ごしやすい。それに西部では一番の街だから、交通網も整備されているし、手に入らない物も無い。大学もあるから、リヨン出身者は大抵帝国大学ではなく其方を志望するものだが、帝国大学より一足早く文学部は廃止されてしまってな」
「そういえば、文学部に入学予定だったと仰っていましたね。学部廃止で士官学校に入られたと」
「まったくあの時は自分の不運に呆れたよ。合格したと喜んでいた矢先だったからな。父はそらみたことかと言わんばかりに就職を勧めるし……。まあ、帝国大学の文学部を受験すると言った時から、父には反対されていたんだが」
   大学に行くならリヨン大学の工学部に行け、とね――と、ヴァロワ卿は笑いながら語ってくれた。
「工学に興味は無かったのですか?」
   何気なく尋ねると、ヴァロワ卿はあっさりと全く、と言って頷いた。
「父が工場を経営していて、機械類は見飽きていたんだ。まあ、子供の頃は一通りそうした機械を触らせてもらって楽しんだものだが、飽きてからは本の方を好むようになった」

   ヴァロワ卿の生家が工場を経営していたという話は初めて聞いた。そもそも、ヴァロワ卿があまり家族のことを話すこともなかったから、余計に興味をそそられた。

「経営……ということは、ヴァロワ卿は継がなくて良かったのですか?」
「疾うに廃業したよ。私が士官学校に居る時、父が急死してね。……まあ元々、経営が傾いていたから父の死が決定的だったというか……。子供の頃は羽振りが良かったのだが、高校の頃にはいつ廃業かというほど、逼迫していたからな」
   驚いて言葉を失っていると、ヴァロワ卿は笑いながら話してくれた。
「祖父の代からの経営だったから、父は私に工場を継いでほしかったようだが、小さな工場は企業に吸収されていくなかで将来的に不安が残るから、強くは勧められなかったみたいでな。私は本ばかり読んでいたから、道楽息子とよく言われていた。手に職をつけられる工学部のような実学的な学部でないのならば、大学に行く必要は無いと言っていたから、資金協力は仰げなかったし……」
「え? ではどうやって帝国大学に……」
   ロイの質問に、帝国大学なら可能なんだ――とヴァロワ卿は答えた。
「帝国大学なら費用はそんなにかからない。バイトをすれば何とか生計も立てられる。だから他の大学は受験しなかったんだ」
「そう……だったのですか……」
   私もロイも驚いて聞き入っていた。私達は学校の費用については何も心配したことが無かった。ただ父の許しを得られるかどうかというだけで――。
   それはとても恵まれたことだったのだと、改めて気付かされる。


[2010.5.15]