「面白いものだ」
   ザカ中将と語らうのは久しぶりのことだった。
   フェルディナントとハインリヒが帰ってから、ザカ中将を自宅に招いて、共にグラスを傾けた。ザカ中将ははじめ、私の部屋で積み上がっている本を見て、読み終えたものは処分しろ――と苦々しく言っていたが、どうやら少し酒が入るとそれは気にならなくなったらしい。

「フェルディナントとハインリヒですか?」
「元帥閣下がどういう教育を施したのか気になる。二人揃って英才教育か」
「そういう訳でも無いようですよ。ハインリヒは幼い頃から武術を教えてもらったようですが、勉強はいつもフェルディナントに教えてもらっていたと聞いたことがあります」
「ということは、フェルディナントの方は子供の頃から頭脳明晰ということか」
「最近、ハインリヒから聞いた話ですが……。グリューン高校という名門校があるでしょう? あの高校で常に首席だったそうです。勿論、帝国大学も首席卒業」
「……確か高校からしか学校に通っていないのだったな。それでよく首席になれたものだ」
「別格といったところでしょう。それに彼は、諸外国との関連資料の殆どを頭にいれていますよ」
   ザカ中将はグラスのなかのワインを飲みかけてその動きを止めた。どういう意味だ――と問い返される。
「そのままの意味です。関連資料全てを読んで、頭に入れているんです。彼と仕事をしているとよく解りますが、まるで歩く辞書ですよ」
「……それでは外務省の長官も気が気ではないだろうな」
「そうだと思います」
   今後が楽しみだ――とザカ中将は呟いた。確かに私も二人が省にやってきてから、今後に希望を抱いていた。もしかしたらこの二人が帝国を変えるかもしれない――と。

「……ジャン。身辺には気を付けろよ」
   ザカ中将は突然、そんなことを言った。ヴェネツィアで何かあったのかと思い、尋ねると、お前のことを心配しているんだ――とザカ中将は返した。
「ジャン・ヴァロワ中将が、ロートリンゲン家の子息に近付いているという噂が立っている。そしてその背後に、元帥閣下の影がある――とな」
   頷ける節はある。
   尤も利益を求めてのことではないが――。
「あながち間違った情報でもありませんし……」
「彼等は誤解しているんだ。お前が昇進を狙って動き出した――と。私は元帥閣下の人となりも、それにお前のこともよく知っているし、大佐達と親しいのもあの二人を見れば納得出来るからそのような誤解はしないが……。心中、穏やかではない将官達も多いことは肝に銘じておけ」
「出世に興味はありませんよ。今のままで充分です」
「人はそうは思わん。特にお前は士官学校の時から優秀だと名高かったし、功績もある。功績が大将級に匹敵すると言われたことは無いか?」
「……買いかぶりすぎですよ」
   元帥閣下とアントン中将に言われたことがある。もっと上手く人付き合いをしろと苦言を漏らしながらだが――。
「お前の昇進を常に阻んでいるのはフォン・シェリング大将だ。解っているだろう」
「私は本部よりも支部配属となりたいですよ。転属願いでも出そうかと毎年考えています」
「お前は本部に居ろ。……それにお前のことだ。あの二人が来てからは、本部も悪くは無いと考えているのだろう」
   言い当てられて返答に窮していると、ザカ中将は笑った。
「……それに支部も安穏としている訳でもない。軍内部だけでなく、市長との兼ね合いもあるからな。上手く立ち回るためには、相応の政治力が必要となる。お前のような男は却って本部に居た方が気楽だぞ」
   ザカ中将はグラスを持ち上げてそれを傾ける。支部長も楽ではない――と以前にも聞いていたが、私が考える以上に難儀な任務のようだった。アントン中将を見ていると、気儘に支部長を務めていたかのように見えたのだが――。
「……ヴェネツィアはなかなか厄介な土地柄だ。今の市長がフォン・シェリング大将と懇意になってから余計に、な」
「……成程」

   ザカ中将も苦労しているのだろう。支部勤務の方が本部より気楽かと思ったが、どうやらそうでもなさそうだった。
   ロートリンゲン元帥が退官してからは、フォン・シェリング大将の力が強くなりすぎて、誰も抑えられない。長官でさえ、彼の言いなりになっているのだからどうしようもない。

「ところで……、奥さんや息子さんはお元気ですか」
   話題を転じると、ザカ中将は穏やかな表情で頷いた。
「ああ。ヴィリーも三歳になった。悪戯盛りだ」
「元気が一番ですよ」
「ジャン、お前は? 独身を貫くつもりでなければ、そろそろ考えた方が良いぞ。いつまでもこんな本に埋もれた生活では潤いもあるまい」
「充分に潤ってますよ」
「変人と言われる所以だな」
   暫く歓談した後、ザカ中将は時計を見遣って、宿舎に戻る旨を告げた。もう日付が変わる五分前だった。
「しかし荷物は全部宿舎に置いてきたからな」
「早めに出掛けて宿舎で着替えれば良いではないですか。私も明日は少し早く出勤しますし」
「そうだったのか? こんなに遅くまで済まなかったな」
「いいえ。いつもこの時間に帰宅していますから。それにザカ中将とも話をしたかったですし……」

   この日、ザカ中将は泊まっていった。独り身にしては贅沢な家だと言っていたが、宿舎よりも快適に過ごしてもらえたようだった。ザカ中将は本部での仕事を恙無く終えて、ヴェネツィアへと戻っていった。



   ザカ中将の言葉ではないが、私は確かに現状に満足していた。フェルディナントやハインリヒがいずれ軍を――、この国を少しでも変えてくれるのではないかと考えていた。

【End】


[2010.5.5]