ヴァロワ卿によれば、ザカ中将は一年に2、3回、本部に顔を出すとのことだった。また会いたい旨を告げたところ、再会から三ヶ月が経ったある日、ヴァロワ卿はザカ中将を食事に誘ってくれた。ロイを含めて四人で食事をしながら語らった。
   ザカ中将もヴァロワ卿と同じような考え方の持ち主で、非常に共感が持てた。ヴェネツィアの様子を聞くことも楽しかった。

「ジャンは士官学校時代から優秀な癖に、上下関係の下手な人間だったからな」
「私は思ったことは口にしないと済まない性格なんです。ザカ中将のように笑って流すことが出来ないのでね」
「もう少し世渡りが上手ければ、苦労をすることも無いだろうに。大佐はよく知っているだろう。本部で会議が一緒になることもあるだろうし」
   話を向けられて、ロイは苦笑した。軍での会議でヴァロワ卿とその上官が言い合いになったという話も、私もロイから何度も聞いている。話の内容を聞いて、ヴァロワ卿らしい――と思ったものだった。
「元帥閣下がいらっしゃる頃は、上官達の身勝手な発言を抑えてもらったものだ。元帥閣下は公正な方だったからね」
   ザカ中将もヴァロワ卿も父をそう評す。私やロイは知らなかったが、父は軍のなかで慕われていたようだった。私にはそのことが意外に思えるが――。
「私達にとっては怖い父親でしたよ。叱られっぱなしでしたから」
   なあ、とロイが私を見て同意を求める。頷き返すと、ザカ中将が言った。
「私も何度怒鳴られたか解らないよ。元帥閣下の部隊が厳しいことは入隊前から聞いていたことで、覚悟はしていたが、本当に厳しくて……。翌年にジャンが入隊したんだが、ジャンがアントン中将の部隊に入ったと聞いた時は酷く羨ましかったよ」
「アントン中将?」
   思わず聞き返した時、ロイと言葉が重なった。知っている名前が突然発せられて、驚いた。
「元帥閣下とも親しかったから、もしかして知っているか? ああ、そうか。アントン中将は最近は士官学校で教鞭も執っていたから、ハインリヒは知っているのか」
「ええ。用兵学の先生でした。でもそれより以前に、アントン中将が家にいらしたことがあって……」
「元帥閣下は入隊当初、アントン中将の部隊に配属されていたと聞いている。その後、閣下が軍務局特務派所属となった時にアントン中将を自分の部隊に招いたと……。あのお二人は仲が宜しかった」
「お二人とも厳しかったがな。ザカ中将はアントン中将の部隊で羨ましいなどと言っていたが、アントン中将はそれはそれは厳しい方でな。怒鳴られた回数は多分、ザカ中将と引けを取らん」
   アントン中将は穏やかな初老の人物という印象だったが、成程、厳しい方だったのか――。
   ザカ中将は、こと厳しさに関しては二大巨頭のような存在だったからな――と言って笑ってから、此方を見て言った。
「厳しかったが、公正な眼で物事を御覧になっていたことは確かだ。きっと君達も後になったら解る」
「後になったら……?」
「全ての事象を結果と考え合わせて突き詰めると、元帥閣下の公正さが解る。君達にとっては、今は厳しい父親としか映っていないかもしれないが、いずれそのことに気付くだろう」

   ザカ中将とヴァロワ卿とは、軍のあり方なども語り合った。対外的に危機的状況にあるということもないのに、年々軍務省は予算を増加させている。上層部が取引している武器業者に資金が流れているんだ――と二人は言っていた。
「フォン・シェリング家が深く関わっている事業は、誰も見て見ぬ振りをする。一石を投じたくとも、証拠は瞬く前に消されてしまう。次期長官に目されているとはいえ、あんな人物が長官となったら大戦が起こりかねないと思いますよ」
   ヴァロワ卿の言葉に耳を傾けていると、ザカ中将が頷いて、海軍部よりも陸軍部の方が切実だな――と言った。
「海軍部はフォン・ビューロー大将が牛耳っているが、大佐が海軍部所属となったことで、少し事情が変わってきた。ロートリンゲン家に比べれば、フォン・ビューロー家は振興の領主家。家格の違い云々というやつだろう」
「ザカ中将。私はまだ大佐です。フォン・ビューロー大将がそのように考えているとは……」
「士官学校を首席で卒業し、入隊した今も切れ者と評判のロートリンゲン家の子息だ。長官候補だとは皆が目している。……まあ、あまりこういう話を漏らすべきではないのだろうが……。君の配属先を決める際に、上層部が揉めたという話があってね。陸軍部ではフォン・シェリング大将が嫌がったとか――。彼の一存で君が海軍部所属となったと聞いている」
「……支部所属でよく其処まで御存知ですね」
「いつも言っているだろう、ジャン。情報を得るために努力を惜しんではならない、と。お前は人を選り好みしている時点で、努力を欠いているんだ」
「頭が下がります」

   二人が話をする傍らで、ロイは驚いた表情をしていた。その話によれば、フォン・シェリング大将はロイを遠ざけようとしたのだろう。確かに、フォン・シェリング家とロートリンゲン家は軍内部では二大勢力となる。ロイが順調に昇進を果たせば、父が在籍していた頃と同じように大きな派閥となると考えているのだろう。

「それに、長男の噂も最近良く耳にする。数カ国語を自在に操り、他国の政治や経済のみならず文化までも詳しいとんでもなく博識の人材が入って来た――と」
   ザカ中将が此方を見て言う。私はそんな評判を聞いたことが無いですよ――と返すと、それは私の耳にも入っているんだ、とヴァロワ卿が言った。
「いずれ外務省の長官となるだろう――とね。確かに最有力候補だと私も思う。しかしそうなると、フォン・シェリング大将は余計に焦るのだろうな」
「そんなことはありませんよ。それに外務省の内部も軍務省と同様、結構ごたついていますから……」
   外務省と軍務省は共に仕事をする機会が多く、そのため、軍との繋がりが深い。フォン・シェリング大将に肩入れする人物も多く、今の長官もその派閥に属しているから、強い保守の傾向がある。

「そういえば、先日、意見を棄却されたと言っていたな」
   ヴァロワ卿の言葉に苦笑して頷くと、ザカ中将が興味津々の態で何を意見したんだ――と問い掛けた。
「関税について意見を求められて、帝国は他国に比べて高関税であることを指摘したんです。高関税が自由貿易を阻んで、活発な取引を制限しています。国内品を保護するという名目にしては、旧領主家の支援企業には低関税となっているので、その低関税を全てに適用すべきだと言ったら、瞬く間に意見を退けられました」
「旧領主家の特権のひとつだな。低関税の恩恵を得るために、旧領主家に株を譲渡して支援を謀る企業も多い」
「私達も特権を得ている身ですから、偉そうなことは言えませんが……。ですが、そうした特権は排除すべきだと私は考えています」
   私がそう告げると、ヴァロワ卿とザカ中将は眼を見張り、そしてほぼ同時に笑みを浮かべた。

「興味深い意見だが、旧領主家がそれに従うとも思えんぞ」
「ええ。……ですがいずれはこの暗黙の身分差を排除しなくては、帝国は内側から瓦解してしまいます」
   発言してから、軍務省の目上の将官を前にしては控えるべき発言だということに気付いた。失礼しました――と謝ると、ザカ中将は首を横に振って言った。
「私も同感だ。もう200年以上前の征服地と被征服地で税率の差があること事態が異常な事態だ。実際、そうした地域で度々反乱が起こっている」
「フェルディナント、それは元帥閣下が仰っていたことなのか?」
「自分の分を弁えずすみません。父はそうした話は私の前ではまったくしませんから……」
「君のような人物が、早く出世して長官となってくれることを祈るよ。そうすれば、帝国も変わる。……もう変わらなければならない時期に来ているのだろう」
   ザカ中将は穏やかな表情を浮かべて言った。一方、ヴァロワ卿は何か考えているようだった。
「強い指導者が必要な時代は終わったのだと私は思っている。帝国は巨大化している軍事費を切り詰めて、社会政策に資金を回すべきだと私は考えるが、軍の内部でこのようなことを言っては首を切られるからね」
「ザカ中将……」
「君達の将来が楽しみだ」


   その後、ロイと私は一足先に失礼した。帰路に、ロイは意気揚々とした表情で言った。
「ヴァロワ卿とザカ中将、あの二人が上官だったら……、いや、長官となってくれたら良いよな」
「そうだな」
   旧領主家の子息だからといって特別扱いするでもなく、普通に接してくれるヴァロワ卿とザカ中将に私達は好感を抱いていた。まるで二人の頼もしい兄を得たかのような――。


[2010.5.5]