14.懐かしき再会



「その時には此方の資料を提示しましょう。ブリテン王国にとっても不可欠な案件です」
   ヴァロワ卿と二人で担当することになった仕事は、難解なものではあったが、やり甲斐のある仕事だった。ヴァロワ卿の空いた時間を見つけては、陸軍部軍務局に行って、打ち合わせを行う。来週末にブリテン王国に交渉に向かうことが決まっていた。それまでにもう少し話を詰めておかなければならない。
   一人で担当を任されたことも嬉しかったが、担当となった相手がヴァロワ卿であることも安堵した。ヴァロワ卿ならば、私を対等に扱ってくれるし、的確な助言を与えてくれる。ヴァロワ卿は時折メモを取り、資料を見返しながら頷いた。
「解った。ところで……」
   ヴァロワ卿が資料のページを捲りながら、話しかけようとしたところへ、扉をノックする音が聞こえてきた。ちょうどこの時、軍務局は全員が出払っていて、ヴァロワ卿と私しか居なかった。ヴァロワ卿は返事をして入室を促す。

「失礼します」
   ヴァロワ卿と同じぐらいの年齢の将官が立っていた。階級章は中将で、海軍部の章を付けている。
   しかしこの人物、何処かで見たことがあるような――。


「ザカ中将!」
   ヴァロワ卿は嬉しそうな声でそう呼んだ。
   ザカ中将――。
   ザカ――。あ――。
   子供の頃、マルセイユで世話になった時の――。

「御無沙汰しております。本部にお越しなら知らせてくれれば良かったのに……」
「昨日、本部から命令を受けて急遽此方にな。しかし上官が不在だったから、先に此方に寄らせてもらった。久しぶりだな、ジャン」
   あの頃は陸軍部のトニトゥルス隊に所属していた筈だが、海軍部に転属となったのか。そしてヴァロワ卿の話しぶりから察するに、ヴァロワ卿とは親しいのだろう。

   ああ――、そうか――。
   考えてみたら当時24歳だったのだから、ヴァロワ卿と年齢が近い筈だ。ひとつ違い――ではないだろうか。
   私のことは、憶えているだろうか――。

「フェルディナント、少し待っていてもらえるか?」
「ええ。あの……」
「フェルディナント?」
   ザカ中将に挨拶をしようと立ち上がった時、ザカ中将が名を確かめるように呟いて、此方を食い入るように見つめた。
「ロートリンゲン元帥の御子息です。今、ちょうど同じ仕事を担当していまして……」
   ヴァロワ卿が手短に伝えると、ザカ中将は眼を細めて、成程――と言った。
「御無沙汰しております。ザカ中将閣下。その節はお世話になりました」
   此方から挨拶をすると、ザカ中将はそんなに丁寧なことをなさらないで下さい――と言った。
「それに閣下という敬称も小官には不要です。……それにしても、外交官になってらっしゃったとは。あの頃とまったく変わってらしたので気付きませんでした」
「知り合い……ですか? ザカ中将」
「入隊してすぐ、私は陸軍部所属となって元帥閣下の部隊に配属されただろう。その時、マルセイユに滞在中のフェルディナント様を護衛するという任務に携わったことがあってな」
「ザカ中将閣下、フェルディナントとお呼び下さい。私は一外交官に過ぎませんから、私の方が格下です」
「しかし……」
「どうかお気がね無きように」
   ザカ中将は戸惑ったようだが、その横合いから、彼は言い出したら頑固ですよ――とヴァロワ卿が言い添えた。
「……君達も随分親しいように見えるが……」
「半年前に知り合ったのです。その際、彼には世話になりまして。はじめは元帥閣下の御子息だとは思わなかったのですが」
   ヴァロワ卿とザカ中将はどういう関係なのだろう――そんなことを考えていると、ヴァロワ卿が私の疑問を慮ってか、教えてくれた。
「ザカ中将は私のひとつ上の先輩だ。士官学校時代からのな。私こそ意外だった。まさか二人が知り合いだったとは」
「療養のためにマルセイユに滞在していたのですが、その時、よく散歩に連れて行ってもらいました」
「完治したという話は元帥閣下から伺っていた。しかしまさか、外交官となっていたとは……。弟君が海軍部に入ったという話は耳にしていたが」
「彼とはもう会いましたか?」
   ヴァロワ卿が問い掛けると、ザカ中将はいや、と短く応えて言った。
「先程本部に顔を出した時に会えるかと思ったのだが、不在で」
「今、上官と共に支部に出かけているところです。じきに戻って来ますよ」
「その様子だと弟君とも顔見知りのようだな」
「彼とも少々縁がありまして」

   ヴァロワ卿がそう応えると、ザカ中将はお前にしては意外だな――とヴァロワ卿を見遣って言った。意外とはどういう意味で意外なのだろう。
「二人とも心持ちの良い人物ですよ」
   ザカ中将は私を見、君のことはよく憶えているんだ――と言った。
「利発そうな御子息で、話をしても大人と同じ反応が返ってきて……。弟君の方は、元帥閣下と一緒にマルセイユから帝都に戻る日に、泣きながら元帥に連れていかれたことを憶えている」
   その時のことをハインリヒに聞いてみたいものだ――と、ヴァロワ卿は此方を見て笑いながら言った。
「仲の良い兄弟だった。散歩をしていても二人で楽しそうに……」
   ちょうどその時、扉を叩く音が聞こえた。ヴァロワ卿が応える。失礼します――と声が聞こえた。

   ロイの声だった。ロイは扉を開き、ヴァロワ卿に呼び掛けた。
「ヴァロワ中将閣下。すみません、少々お話したいことがあったのですが……」
「どうぞ。ちょうどハインリヒのことを話していたところだ」
「……私のことを?」
   ロイは私をちらと見遣り、それからザカ中将に敬礼した。ザカ中将がそれに対して敬礼で応える。
「海軍部軍務局所属、ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲン大佐です。中将閣下」
「同じく海軍部所属ヴェネツィア支部長、ノーマン・ザカ中将。……もう私のことは忘れてしまっているかな?」
   ロイはザカ中将を見つめ、少し考え込んだ。子供の頃、マルセイユで世話になった方だ――と告げると、傍と気付いたようにロイは顔を上げた。
「失礼しました。……陸軍部から海軍部に移られたのですか?」
「ああ。君が海軍部所属と知った時には驚いた。元帥閣下が陸軍部だったから、てっきり陸軍部だと……。同時にあの時の少年に会えるかもしれないと期待していた」
   和やかな空気が流れる。懐かしいような、それでいて新しい出会いのような、不思議な気持だった。
   ザカ中将は時計を見、上官の許に行ってくると告げ、部屋を出て行く。ロイは私を見、後の方が良いかな、と言った。

「先にどうぞ。ヴァロワ卿、あとでまたお邪魔します」
「あ、待て、ルディ。10分ぐらいで終わるから」
「少し此処で待っていてくれ。私もこの仕事は先に終わらせたいから」
   ロイとヴァロワ卿に言われて、この場に残る。ロイは陸軍と海軍合同での演習についてヴァロワ卿と打ち合わせ始める。

   ザカ中将か――。
   懐かしい人物に会ったものだ。


[2010.5.5]