翌日の夕方、ハインリヒが帰宅した。久々に家族四人で夕食を共にし、その後暫くリビングルームで語り合った。
   ハインリヒはあと一年で士官学校を卒業する。そのため、最近では演習訓練がたびたび行われているようだった。顔つきが少し変わったように見えるのも、そうした訓練に鍛えられてのことだろう。
   今度の演習は三ヶ月の間、海上で訓練を行うもので、これまで以上に厳しい訓練のひとつだった。

「先に休みます」
   午後九時を過ぎた時、フェルディナントはソファから立ち上がった。早いじゃないか――と、ハインリヒが引き止める。少し頭痛がするんだ――とフェルディナントは返した。そういえば、顔色が僅かに蒼いか。
「一杯ぐらい一緒にと思ったのに……」
「ごめん。また今度」
   フェルディナントが部屋を去っていくと、ユリアが立ち上がる。フェルディナントのところか、と問うと、ええ、と返事が返って来た。
「今日は午後の授業をひとつ休んで帰って来たの。ロイが帰ってくるまでは寝ていたから、大分良くなったみたいだけど……。少し様子を見てきます」
   ユリアが退室して程なくすると、アガタがワインとグラス、それに数種類のつまみを持って来てくれた。

   フェルディナントはあまり酒を飲めないが、ハインリヒは私に似たのか、何杯飲んでも顔色一つ変えずけろりとしている。私にはちょうど良い相手だった。
「旦那様、あまりお酒をお過ごしにならないで下さいね」
「最近は控えているぞ、アガタ」
「以前に比べたら、ですよ。もともと沢山お召し上がりになるのですから。ハインリヒ様もあまり沢山召し上がらないように」
「俺も学校では飲めないから、家で飲むぐらい……」
「酒量は弁えて下さいませ。旦那様に似て、何杯でもお飲みになるのですから……。末恐ろしいです」
   アガタの言葉に笑うと、ハインリヒは肩を竦めた。アガタは私とハインリヒのグラスにワインを注ぎ、それから部屋を出て行く。ユリアはまだ戻って来ないから、フェルディナントに付き添っているのだろう。

「父上の海上訓練の時はどうだったの?」
   ハインリヒは酒を一口飲んでから尋ねて来た。海上指揮訓練から遭難訓練まで一通りの訓練を受けたことを告げると、大変そうだ――とハインリヒは苦々しげに呟いた。
「しかし、海軍部に配属されたら必要なことばかりだ」
「まだどうなるか解らないけどね。所属先の決定は卒業間際って聞いてるし……」
「そうだな。……私も入隊以来ずっと陸軍部だったし、私の父――お前の祖父も陸軍部だった。まあ、あまり関係無いだろうが……」
「帝都に居られる方が良いよ。海軍部だと本部配属となっても各地を飛びまわるって聞いたし……」
「陸軍部も同じだ。どちらもそう大差無い。中将となるまでは本部所属となっても各地を飛びまわることになる」
「……再来年には大佐となって入隊してるんだよね。……何だか実感が湧かないな」
   ハインリヒではないが、私も実感が無い。未だ落ち着きのないハインリヒに大佐の任務が務まるのだろうか――。考えると不安になる。
「如何に幼年コース出身者といえども、卒業試験に合格しなければ、大佐からのスタートとはならんぞ」
「解ってる。心配しなくてもきちんと勉強しているよ」
「それならば安心した」

   実際、学業に関しては、それほど心配していない。ハインリヒは茫としているように見えても、優秀な成績を修めている。尤も未だにフェルディナントから勉強を教わっているようだが――。

「ルディも来年なんだよね。ルディの場合は軽々と合格してしまいそうだけど」
「さあどうなることか……。外交官試験は難関中の難関だからな」
   こう言いつつも、フェルディナントのこともそう心配はしていない。ハインリヒではないが、難無く合格するようなそんな気がする。
   グラスのなかのワインを開けると、ハインリヒが注いでくれる。こうして親子で語らいながら飲むのも良いものだった。
「ルディの頭の出来は違うよ。子供の頃から頭が良いなとは思ってたけれど、最近は本当にそれを感じるよ。あれだけの知識を溜め込んでおけるなんて、普通の人間では無理だよ」
   ハインリヒは指先でチーズを摘み上げる。ハインリヒはフェルディナントと度々連絡を取っている。親から見ても仲の良い兄弟だった。子供の頃には些細な事で喧嘩をすることもあったが、今はそうしたことは一切無い。

「……ハインリヒ。フェルディナントは恋人が居るのか?」
   だから何気なく問い掛けた。ハインリヒは驚いた様子で眼を見開いた。食べたチーズを流し込むようにワインを飲む。
「何で……?ルディが言っていたの?」
   これは知っているな――とすぐに解った。ハインリヒは隠そうとしているのだろうが。
「先日、街を歩いているのを見かけてな。少し癖のある金色の髪をした女性と楽しそうに語らっているのを見かけたから……」
   ハインリヒの眼が泳ぐ。これはおそらく間違いない。彼女はフェルディナントの恋人なのだろう。
   だからといってどうする訳でもないが――。
「ゼミの友人じゃないのかな」
「そうか」
   必死に誤魔化そうとするハインリヒに内心で苦笑しながら、それ以上尋ねるのを止めた。しかし私もそれを知ってどうするのだか――。


[2010.4.29]