12.学校編【1】回復と希望



   マルセイユで過ごす日々は、確実に私の身体を癒していった。驚いたことに、それまで薬の効果が全く表れなかったのに、薬が効き始め、マルセイユに来て三週間が経つ頃には、人工呼吸器も取り外された。身体も少しずつ動かせるようになっていった。
   父上とロイの休暇が終わりを告げる頃には、私自身が快復に希望を持ち始めていた。
   そして明後日には帝都に戻るという日、父上はリビングルームに全員を呼び寄せた。



   パトリックに車椅子を押してもらい部屋に向かった。支えられながら、ソファに座ると父上は此方を見て言った。
「フェルディナント。お前は母上と一緒にもう暫く此方に居なさい」
「え……?」
「折角こんなに回復したんだ。帝都の空気より、このマルセイユの空気の方が、お前の身体には合っているのだろう。もう少し此処で体調を整えなさい。申し訳無いが、パトリックとアガタにももう少し此方に留まってもらう」
「承知致しました」
   パトリックとアガタが一礼して応える。父上は、済まないな、と言ってから付け加えた。
「この屋敷の警備として、私の直属部隊の隊員を三人要請した。もうじき此方に挨拶に来ることになっている」
「旦那様。この屋敷には警備システムが張り巡らされています。それに私的なことに部隊を動かされては……」
「心配するな。勿論、長官から許可を頂いてある。それに、警備システムが張り巡らされているといっても、いつ何が起こるか解らない」
   三人とも信頼できる者達だ――と言い添えて、父上は母上を見た。
「何かあればすぐ連絡するように。それに週末は私も此方に来る」
「解りました」
「パトリック、アガタ。二人を頼んだぞ」
「待って! 父上、僕は?」
   パトリックとアガタが返事を返すより早く、ロイが手を挙げて言った。
「お前は学校が始まるのだから、私と共に帝都に戻るに決まっているだろう」
「僕も此処に居たい! 少しぐらい学校を休んでも大丈夫だよ」
「莫迦なことを言うな。お前は予定通り、明後日、帝都に帰るんだ」
   ロイは不服そうな顔をする。母上やアガタ達はそれを見て笑った。
「旦那様、私が帝都までお送りします」
「いや、構わんよ。パトリックは此方に居てくれ」
   父上とパトリックが話している最中に、ロイが母上の側にやって来て、僕も此処に居たいと言い始めた。学校が始まるでしょう――と母上はロイに返す。
「ルディと離れるの嫌」
   あらあら、と母上は此方を見て笑いながら、ロイの髪に触れた。
「週末にはお父様と一緒にいらっしゃい。そして帝都の話を聞かせて頂戴」
   ロイは一緒に居る、と母上にしがみつく。ハインリヒ、と父上が厳しい声を放つ。ロイは泣きそうな顔で、だって、と言い返した。
「帝都よりこっちの方がいい」
「我が儘を言うな。お前にはお前の為すべきことがあるだろう」
「でも……」
「ハインリヒ。言うことが聞けないのか」
   ロイの眼からぽろぽろと涙が落ちる。母上はそれを拭い、ずっとという訳じゃないのよ――と慰めるように言った。
「ルディの体調がもう少し良くなったら、私達も帝都に戻るからね。それまで良い子にして待っていてね」
「母上……」
「毎日電話をかけるから。それに週末には会えるのだから良いでしょう?」
   ロイは尚も不服そうな顔をしたが、やがてこくりと頷いた。
   父上が何か言いかけた時、呼び鈴が鳴った。それを受けて父上が立ち上がる。パトリックと共に出迎えに行き、父上が部屋に戻って来た時には、三人の男の人と一緒だった。
「トニトゥルス隊のハンス・カーフェン中佐、ノーマン・ザカ少佐、リオネル・バルト少佐だ。隊のなかでも選りすぐりの精鋭達だ」



   ロイと父上が帰ると、屋敷は急に静かになってしまった。考えてみると、いつも元気よく騒いでいるのはロイだった。悪戯をして叱られるのもロイで、そのロイを叱る父もいないから屋敷が静かになるのは当然だった。
   ロイは最後まで此処に居たがった。あまりにせがむものだから、父上の拳骨を喰らって泣きながら帝都に戻っていった。
『ルディと一緒に居る!』
   ロイのその声がまだ聞こえて来るような――。

「ロイが居ないと寂しいわね、ルディ」
   母上が読んでいた本を置いて言った。うん、と頷くと、母上は微笑み返す。
「いつも元気が良すぎる子だけど、ずっと貴方のことを心配していたのよ、ルディ」
「ロイが……?」
「マルセイユに来る途中で具合が悪くなった時、ロイが貴方から離れなくて。ルディ、ルディって泣きながら何度も呼び掛けていたのよ」
「そう……だったんだ……」
「あの貝もね、貴方に見せるんだって溺れかけながら取って来たのですって。……ねえ、ルディ。もう解っていることだろうと思うけど……、貴方だけが辛いのでは無いのよ」
「母上……」
「空元気で走り回るロイの存在は貴方にとって辛いものでしょうけど、ロイはロイで貴方を励まそうとしたの。貴方はもう解ってくれていると思うけどね。だからルディ、何があっても絶対に一人で落ち込まないで」
   母上はいつも、優しく諭すように叱る。父上のように怒鳴られる訳ではないのが、却って辛くて――。
「ごめんなさい……」
   謝ると母上は良い子ね――と言って僕の身体を抱き締める。
「学校はもう少し我慢して。トーレス医師と相談して、外を出歩いても大丈夫だって許可が出たら必ず通わせてあげるから」
「うん……」



   私があのようなことを言って嘆いたものだから、母上は悩んでいたのかもしれない――と、後になって気付いた。思い返してみれば、発病してから私は一人きりで考え込むことが多くなっていた。マルセイユに来てからは、体調が良くなってきたということもあるが、徐々に家族の輪に戻っていった。
   ふと――思う。私に有無を言わせず抱き上げて、ロイや母上の許に連れて行ったのは父上だった。父上はもしかしたら私のことを気遣ってくれていたのか、と。

   ――否、そんなことは無いだろう。ただ単に家族の輪に加わらないことに腹を立てていただけに違いない。


[2010.4.22]