11.学校編【1】〜ルディの苦悩



   マルセイユに行く――。
   この身体では外出出来ないと思っていたから、父上からその話を聞いた時は驚いた。そんな遠くに連れて行って貰えるとは思わなかった。
「海、行こうね!ルディ」
   ロイは無邪気に言う。こんな身体で海に行ける訳が無いのに――。
「そうだな。海に浸かることは出来んが、眺めるぐらいなら良いだろう」
   父上が言った。海に行く――? 僕が――?
   何だろう。父上がいつになく優しいような――。

   ああ――。
   そうか。きっともう……。
   僕の命が短いんだ。マルセイユに連れて行ってくれるのは、最後に旅行に連れて行ってくれるということなのだろう。

   でも、それでも良い――。
   もう生きられないのなら、外に出たい。鳥のように自由に――。
   歩くことは出来ないけど、この間みたいに空を眺めたい。澄んだ空を見たい――。





   私はマルセイユに行くことを日々楽しみにしていた。外に出られることが嬉しかった。
   だが、マルセイユへ行く準備が進められるなか、出立の二日前に急に体調を崩した。胸を押さえつけられるような強い痛みがあった。心臓に起因するもので、トーレス医師は出立を取り止めにするか、延期するよう父上に言った。
   その時、どれほどがっかりしたか――。





   マルセイユに行けなくなる――。
   楽しみにしていたのに、こんなことで行けなくなるのが口惜しかった。母上は取り止めるよう父上に告げ、父上も悩んでいた。
「行き……た……い……」
   懸命に声を出して父上に言った。父上は暫く僕を見つめ、それから解った、と言った。
「明日中に痛みが収まったら、予定通りに明後日、出立しよう。痛みが治まらなかったら、また日を改めよう」
   治ってほしい――と願った。その願いが叶って、翌朝起きると痛みが治まっていた。
   そして予定通り、その次の日に車で出発した。






   移動中のことはあまり記憶に無い。
   後部座席に横たわり、側にはトーレス医師が付き添っていた。車の窓の光景が次々と変わっていく。はじめはそれを眺めていたが、次第に具合が悪くなって、眠りについた。
   眼を覚ますと、ベッドの上に寝かされていた。全身がだるくて眼を開けていられなかった。母上と父上、それにトーレス医師が呼び掛ける声が何度となく聞こえた。母が手を握ってくれる感覚もあった。
   もう死ぬのかな――と夢のなかで思った。
   マルセイユに到着する前に死んでしまうのかと――。
   この時、私は昏睡状態に陥っていたらしい。移動中のことが記憶に無いのもそのためで、かなり危険な状態に陥ったようだった。
   それでも、何とか乗り越えた。






「ルディ」
   母上の声に眼が覚めて瞼を引き上げると、母上は安堵した顔で具合はどう、と尋ねて来た。
「昨日、到着したのよ。途中からずっと意識が無かったから心配したけど……、具合はどう?」
   到着した――。
   ということは、此処はマルセイユで――。
   視線の先に風を受けて靡くカーテンが見えた。マルセイユの部屋の柄と同じものだと解った。
   でも何かが違う。窓の位置が近いような――。
「ルディが外を眺めやすいように、ベッドの位置を窓寄りに変えてもらったの。今日は天気も良いから窓を開けたけど、閉めた方が良い?」
   首をゆっくり横に振ると、母上は、ではもう少し開けておきましょうね――と言った。
   風が吹き込むと心地良い。
「もう少ししたら、ベンソン医師が往診に来るからね」
   トーレス医師は帝都に戻ったことを母上は教えてくれた。ベンソン医師はトーレス医師の知り合いで、マルセイユに居る間はベンソン医師が侍医を務めてくれる。トーレス医師よりも一回り老いた医師だった。

「は……」
   母上、という短い言葉が出ない。声が出ない。
   ついに声が出なくなった――?
   母上は心配そうに僕を見つめた。声が出ないと言うことはもう話が出来ない。やっぱりこのまま死んでいくのだろう。このまま――。


[2010.4.20]