「ほう。学年首席か」
   宮殿から帰宅すると、いつも通りユリアとフリッツが出迎えてくれた。ユリアの顔を見ると、疲れも吹き飛ぶ。部屋に行き、軍服を脱いでいると、ユリアはフェルディナントの成績表を貰ってきた旨を告げた。
   こと勉学に関しては、フェルディナントに何の心配もしていない。高校に入るまで担当してもらっていた家庭教師も、よく出来る子だとフェルディナントを常に褒めていた。高校の入学試験も首席で合格していたし、テストも殆どが満点だった。欠席が多いから多少は減点されるだろうが、悪い成績でもあるまい――、そう予想していたところ、思いがけずして、学年首席の報せを聞いた。
「ええ。私も驚きました。このまま頑張り続ければ、帝国大学への進学も大丈夫ですって」
「随分話が早いな。受験はまだ先だろう」
「学校側はもう受験を見据えているみたいよ。どのような進路を希望しているのか聞かれて、返答に困ってしまったわ」
   ユリアは苦笑を浮かべる。私はフェルディナントには何か芸術に携わる職業に就いてほしいと考えていたが、本人はどうもその道への関心が薄いようだった。政治や経済に関心を持っているから、もしかしたら官吏への道を選ぶのかもしれない。
「フェルディナントは官吏を希望しているのかもしれんな。……まあ悪い選択ではないが、仕事はきついぞ」
「ルディ自身もまだはっきりとは決めていないみたいですから……」
「ゆっくり決めれば良いさ。……身体さえ丈夫ならば、いくらでも道が開けようが……。まったく惜しい」
   幼い頃から身体が弱くて外で遊ぶことが出来ない分、フェルディナントは部屋で本を読んで過ごしていた。そうした知識が溜まっているのだろうが、身体さえ丈夫ならば士官学校でも優秀な成績を修めていただろうと思う。
「ルディが満点を取ったテスト、いずれもルディ以外に満点獲得者が居なかったそうよ。本人はそうと知らなかったみたいですけど」
「机上の試験では文句無しということか。欠席が多いという点は何と?」
「身体には気を付けて下さいって。体育も見学をしていればそれで出席にして下さったそうよ」
「……それは少し甘いのではないか?」
   旧領主という身分柄、何かと優遇されることがある。そうしたことは排除して、他の生徒達と同じように、公正に評価してもらわなければ。そうでなければ、ゆくゆく二人は不幸になる。
「私もそのことを尋ねてみたけれど、以前にもそうした生徒さんが居たそうよ。だから体調の悪い時は無理しないように伝えて下さいって」
「そうか……。それで本人は? ハインリヒの姿も見えないが……」
   良い成績だったのなら、本人が私の前に出て来ても良さそうなものだが、フェルディナントの姿が見えない。ハインリヒも疾うに学校から戻ってきている時間の筈だが――。
「ロイはお友達と遊びに行っています。もう帰ってくる頃でしょう。……ルディは落第するとずっと不安だったみたいで……」
「テストで良い点数を取っていただろう。何故落第すると……」
   一日に一度は息子達と話をする習慣をつけていた。夕食後、リビングルームで珈琲を飲む時間――、それが語らいのひとときであり、学校のこともその時に話を聞く。
   フェルディナントの通う学校は帝都でも有数の名門校で、試験の回数も多い。フェルディナントもハインリヒもテストの答案が返ってくると、それを私やユリアに見せることになっている。フェルディナントの答案は、殆ど全てが満点だった。
「欠席が多いことを気にしていたみたいよ。朝から真っ青な顔で心配していたから……」
「それで、今は?安心して遊んでいるのか?」
   気を緩ませぬよう言っておかなければならないな――そう思ったが、ユリアは苦笑しながら違うの、と言った。
「ずっと気を張り詰めていたのが悪かったのか、安心したら熱を出してしまって……」
「……情けない」
   フェルディナントはそれからずっと寝込んでいるのだという。ユリアによると、ここ数日は落第が心配で殆ど寝ていなかったらしい。まったく間が抜けているというか、生真面目というか――。

   ふと時計を見ると、午後6時を過ぎていた。ハインリヒは遊びに行っていると言っていた。午後6時を門限としているのに、まだ帰って来ない。
「……ハインリヒにも困ったものだ。時間を守らない」
「6時には戻るって言っていたけど……」
   もう少し待ちましょうか――とユリアも時計を見て言った。
   かつて、フェルディナントが誘拐されたことがある。それ以来、何かあったら必ず連絡をいれること、門限もきちんと守ることを二人に約束させていた。護衛をつけたところで、フェルディナントは嫌がるし、ハインリヒは護衛の視界からすぐに姿を眩ませてしまう。行き先と帰宅時間を告げて遊びに行かせるようにしたが、帰宅時間になっても戻らない時はやはり心配する。
「ただいま!」
   そんな時、玄関から元気の良い声が聞こえて来た。帰ってきたのだろう。ユリアは安心した様子で表情を緩めた。
「ユリア。ハインリヒを呼んでくれ」
「あまり叱らないで下さいね。遊びたい盛りですから」
   ユリアは私にそう釘を刺してから、部屋を出て行く。
   ハインリヒは帰宅を約束していた時間から15分も遅れて帰宅した。約束を守らなかったことを叱りつけ、これから一週間、遊びに出てはいけないと罰を科した。そもそもハインリヒは遊ぶ時間など無い筈だ。来月には受験が控えているというのに。


   一方、フェルディナントは翌日、私の許に来た。
「成績が良くとも、体調管理が出来ていないではないか」
   自分で体調管理に気を配る――、それが高校に通わせる時の約束だった。フェルディナントははい、と素直に頷いて、気を付けます、と言った。そうした姿を見るとあまり叱責するのは酷な気もするが、甘い顔を見せてはならない。慢心はこの子の足下を掬う。ただでさえ、この子は出来の良い子だ。周囲が褒め称えすぎては、この子の身を滅ぼすことになるだろう。
「お前は体調管理にまず取り組みなさい。……それから、時間の空いた時で良いから、ハインリヒの勉強を見てやってくれ」
   これまでもフェルディナントはハインリヒの勉強をよく見ていた。頼まずともそうしてくれるだろうが……。
   フェルディナントは快く頷いた。勉強のことはフェルディナントに任せておけば大丈夫だろう。
「ハインリヒの今回の成績、数学の評価が少し落ちていてな。今からハインリヒとも話をするが……、これでは士官学校の受験も不安が残る」
   ハインリヒはフェルディナントのように校内で首席となったことはない。だが、学年で7位とか8位と、毎回10位以内には入っていた。
   今回もぎりぎり10位ではあったが――。
   フェルディナントは首席、しかし欠席日数が3分の1以上、ハインリヒは10位、欠席日数はゼロの皆勤。
   そして、フェルディナントの真面目すぎる性格、対して奔放を好むハインリヒの気ままな性格。
   まったくこの二人を足して割ったらちょうど良いだろうに――フェルディナントが去った後、二人のことを考えながらそう思わずにいられなかった。


[2010.2.15]