「ヴァロワ。お前、Dグループだろう?」
   初回のシミュレーション演習を終えて寮へ戻ると、同室のクルマンが羨ましげに話しかけてきた。
   今回のシミュレーション演習で、俺の所属するDグループが勝利を収めた。俺が何よりも驚いたのは、指揮官役のノーマン・ザカが全員の意見を聞き、案を取りまとめつつ、状況を見ながら作戦を変更していったことだった。下級生の案を一蹴することは決して無く、その案の利点と欠点を諭すように告げる。そうして納得させて、勝率の高い策を提示する。
   おまけに彼自身、用兵に関して、相当な知識があるように見えた。
「ああ。クルマンは?」
「俺はAグループで、緒戦で負けたんだ。Dグループの指揮官はノーマン・ザカ先輩だろう?」
「ああ。知っているのか?」
「今日、アドルフ先輩――Aグループの指揮官役の人なのだが、その人が言ってたよ。ザカ先輩は用兵学や戦略論で右に出る者は居ない人だって」
   成程――。
   確かに頷ける。作戦中もまるで全てを見越しているような節があった。
「そういう先輩が指揮官なら良いよな。グループ替えがあるまで、ずっと勝てるじゃないか」
「そうとも限らないだろう。勝利なんて決まっているものではないし……」
「Dグループは優秀なのが集まっていると専らの評判だぞ。お前だって学年トップだしな。だから指揮官の副官となれたのだし……」
   Aグループと変わってほしいぐらいだ、とクルマンは言った。クルマンの話によると、Aグループは指揮官役が作戦を練りだして、クルマン達はそれに従うだけだったのだという。
   そうしたことを聞くと、Dグループの指揮官役である彼は全員が参加できる機会を作ってくれたのだろう。穏やかな人柄の、誰とでも親しくなれそうな人だった。



   穏やかな陽射しに誘われて、図書館から外に出て、校舎の裏側にある広場のベンチに腰を下ろした。持っていた本を其処で広げて、読み進めていく。新トルコ語で書かれた原書は初めこそ取りかかりにくかったが、神話を元にした英雄物語の内容が面白くて、今では難無く読めるようになった。
   明るい陽射しと心地よい風を浴びながら、読み進めていく。次のページを捲ろうとした時、不意に手許に影が伸びてきた。
   顔を上げると、指揮官役のノーマン・ザカが立っていた。
「やあ。何を読んでいるんだ?」
   士官学校では上下関係が厳しいから、すぐに立ち上がって挨拶をしようとした。ところが、彼はそのままで良いよ――とそれを遮った。
「図書館から出て来たら、君の姿が見えたんだ。……すごいな」
   彼は俺の手許にある本を見て眼を見張った。
「帝国語じゃないな。こんな原書も読むのか?」
「あ、はい。訳本は既に読んでしまったので、原書を読みたくなって……」
   同じ物を二度読む必要は無いだろう――とクルマンにはよく言われる。だが、ちょっとした表現の違いが面白くて、俺は訳本を読み終えると次は原書を読んでいた。
「すごいな。……もしかして、上級士官コースからの唯一の成績優秀者って君か?」
   成績優秀者に選ばれるのは大体が幼年コース出身者だから、そんな風に言われるのだろう。
「一人かどうかは知りませんが、奨学金は貰っています」
「成程。……道理で……」
   隣に座っても良いか、と彼は尋ねて来たので、どうぞと応える。彼の手には戦略の本があった。
「この間のシミュレーションも君の提案があって勝利出来たから、どんな人物か興味があったんだ。上級生の副官を務めるということは成績が良いのだろうと思っていたが……。そうか……、成績優秀者だったのか」
   第六案のことを言っているのだということはすぐに解った。結局、あの時のシミュレーションで採用したのは古典的な作戦に応用を加えた第六案だった。
「あれは先輩の策でもありますよ」
「正直に言うと、二年生であの策を思いつくとは思わなかった。それに、君は途中まで白紙だっただろう? それにしては副官に指名されている。もしかしたら判断材料が少なくて書くのを躊躇っているのか……とは思ったんだ」
「あの作戦はゲッフナーの戦略論の応用というだけですよ」
「教科書として指定されたもの以外の戦略論を読んでいる学生は少ないぞ。原書も読めるということは語学も堪能なのだろう」
「奨学金を得るために頑張っているだけですよ」
   そう応えると、彼は少し眼を見張り、それから笑った。
「君は士官学校では珍しいタイプではないのか?」
「俗物的な人間であることは認めます」
「いや、そういう意味ではなくて……。どちらかというと、皆、名誉の方を求めるだろう? 俺は少しそのことに違和感を覚える性格でね。何となくだが、君とは意見が合いそうな気がしたのだが……」
   彼の言うことは俺自身も感じていたことだった。驚いて彼を見つめると、唐突に済まない、と彼は謝る。
「いいえ。俺もそう思っています。皆、人脈やら名声やらそんな話ばかりで傍で聞いてもうんざりすることばかりなので……」
「ジャンと呼んで良いかな? 俺のこともノーマンで良い」
   彼は手を差し出してきた。頷いて、此方も手を出し、握手をする。
   初めてこの士官学校で親しい人が出来た瞬間だった。
   だが、上下関係の厳しいこの学校のことを考えると、流石に名前で呼ぶことは出来なかった。
「ザカ先輩は何を借りてきたのですか?」
   その後、ザカ先輩から戦略の本について色々と話を聞くことが出来た。思っていた通り、彼は戦略や戦術に関して相当な知識量を持っていた。そうした勉強がしたいと思って、この士官学校に入ったらしい。

   この日以来、ザカ先輩とはよく話をするようになった。シミュレーション演習でも勝利を重ねていった。


[2011.1.7]