「あらまあ。何かの間違いじゃないの?」
   士官学校に入学して初めての休暇が訪れた。リヨンに帰った俺を両親が待ち受けていた。尤も父は相変わらず工場で働いていたが――。
「正式に決まるのは休暇後だって。上位者が成績優秀者となるというのは変わらないから、多分、選ばれると思う」
「随分自信があるのね。そんなに成績が良かったの?」
「学内トップだったんだ」
   そう応えると、母は一瞬驚いた顔をして、それから笑って言った。
「何かの間違いでしょう。採点ミスでもあったのではないの?」
「……きちんと勉強してテストに臨んだだけだよ」
「だって興味の無い科目はギリギリの点数しか取ったことないじゃない。士官学校に入っていきなりトップなんて……」
   確かに――。
   母が疑うのも無理は無い。高校の頃は苦手な数学は出来る限り手を抜いていた。落第点さえ取らなければ良い――そう考えていた。
   だが、帝国大学を受験すると決めた時からはそういかなかった。帝国大学の受験科目は、文学部とはいえ理数系の科目を含めた全教科が試験科目となる。そのため、必死に苦手科目を克服した。士官学校でも物理学や数学の講義はあるが、受験時の苦労が功を奏して、苦手意識を呼び起こすこともなかった。
「兎に角、成績優秀者に選ばれたら奨学金が貰えるから、仕送りは要らないよ」
   士官学校に入学する時から仕送りは不要と言っていたにも関わらず、俺の口座には毎月、家からの振込があった。
「此方のことは心配要らないわよ、ジャン。経営も少し上向いてきたからね。必要なものがあったらいつでも言いなさいね。……ところで、学校生活はどうなの?」
「……厳しい授業もあるけど、文学担当の教官に良く本を借りにいっているよ。親切で色々と教えてくれるんだ」
「士官学校に文学の授業があるの?」
「うん。語学もあるけど、文学もあるよ。……士官学校卒業したら、そういう進路も良いかなと思ってる」
「士官学校の教官に?」
   母は尋ね返したものの、暫くして納得した様子で、そういう選択も良いわね――と言った。
「卒業したら陸軍か海軍に所属しないといけないけどね。それから士官学校への転属を希望してみようかと思って……。まあまだ先の話だけど」
「戦場を駆けるより似合っているんじゃない?」
   母と他愛の無い会話を交わしてから、工場へと向かう。帰ってきたのか、親不孝者――とロロ小父さんが言った。
「ただいま。ロロ小父さん、トム小父さん」
「元気そうだな。士官学校で酷い折檻を受けているのではないかと心配したが、取り越し苦労だったようだ」
   トム小父さんが笑いながら肩を叩く。訓練は確かに厳しいよ――と応えると、そのようだとトム小父さんは頷いた。
「身体付きががっちりしてきたものな。これは相当鍛えられているんだろう」
「小父さんも十キロマラソン走ってみる?」
「十キロか! それはまたきついな」
   何やかやと言いつつ、俺のことを赤子の頃から知る二人の古い従業員は帰宅を喜んでくれた。早くフィリップに顔を見せてやれ――と背中を叩いて。
「父さん、ただいま」
   工場の奥の定位置で、父は機械を動かしていた。俺が呼び掛けると機械を止めて、此方を振り返る。
「お帰り」
「あれ……? 父さん痩せた?」
   父を見た時、すぐにそう感じた。頬の辺りが少し痩せたように見えた。
「ここ最近、少し忙しくてな。まあ、仕事があることは結構なことだが……」
「手伝おうか?」
「何、お前の手を借りる程でもない。お前の方はどうだ? 学校できちんと勉強しているか?」
「勿論。学年トップになったよ」
   試験結果について父に告げると、父は頷いて、ただ一言、次も頑張りなさいと言った。



「ジャン! 久しぶりだ」
   ジュニアスクールからの親友が家を訪れたのは、俺がリヨンに帰ってきた翌日のことだった。彼は二つ隣の家に住んでいて、所謂幼馴染みだった。
「クリス。元気そうだ」
   幼馴染みのクリスはリヨン大学に進学していた。俺が通っていた高校からリヨン大学に進学した者が多く、クリスもその一人だった。
「皆、お前に会いたがっていたぞ。まさか士官学校に行くとは誰も思わなかったからな」
「俺も会いたいと伝えておいてくれ」
「じゃあ週末にでも召集をかけるよ」
   高校時代には友人が多かった。長期休暇には友人とキャンプに行ったり、釣りに行ったりしたものだった。
   士官学校にはそんな友人は居ない。皆、いつも他人と競い合い、何処かで見張っているようで落ち着かない。
「士官学校はどうだ?」
「良い面もあれば悪い面もあるといったところかな」
「まあきついだろうなあ……。だが卒業後はすぐに士官だろう? この就職難の時代に、なかなか良い職業ではないか?」
「まあ……、就職先が無いということはないな。そのまま軍務省に入るのだし」
「此方の大学は暢気だぞ。尤も一年からインターンで働く奴も居るけどな」
   暢気という言葉はあの士官学校には当てはまらない。講義中に居眠りをしたり怠けたりと態度の悪い学生が居たら、容赦無い教官の叱責が飛ぶ。おまけに教官によっては、連帯責任を問われてクラス全員にグラウンド10周が科せられる。加えて寮のなかでは同じ学生達に見張られているようだから――本当に気が抜けない。
   その話をクリスに告げると、クリスは大変だなと肩を竦めた。
「確か休暇も短いんだろう?」
「ああ。来週末には戻る。クリスは再来週だろう?」
   クリスは頷いて、来月からだ――と応えた。
「だったら今週末に皆に声をかけよう。アルマン、ドゥドゥ、ガストン、ジョージ、ベラ、ブリッタ、エリカ……皆にメールしておくよ。そうそう、ベラはアルマンと付き合い出したこと、知ってるか?」
「アルマンと……?」
   アルマンもベラも同じ高校の友人だった。皆、友人同士というだけで恋人には発展しそうになかったが――。
「意外だよなあ」
   クリスと語りながらも、のんびりとした時間を過ごしているのを実感する。士官学校よりも、やはり此処が落ち着く。
   入学して初めての休暇はあっという間に過ぎ去っていった。心身ともに休養を得て、士官学校に戻る日、父と母が駅まで見送ってくれた。
「次の休暇にも帰ってらっしゃいね」
「うん。また連絡するよ」
   電車に乗り込んで父と母に手を振る。母と並んだ姿を見ても、やはり父は大分痩せていた。仕事熱心だから、休む間も惜しんで仕事に励んでいるのだろう。
   行きと同じ時間をかけて戻った士官学校には既に学生達の半数が戻っていた。何かピンと糸が張り詰めるような思いを抱きながら、寮へと入る。新学期が始まった。


[2011.12.19]