先週、士官学校に入学して初めての試験が終了した。土日の休日も過ぎて、今朝から試験の解答用紙が次々と返却されてきた。それらの結果に騒然とする学生達に、教官が静粛にと厳しい一斉を浴びせる。
「皆、弛んでいるぞ。平均点は68点、決して良くはない。各自、自分の解答用紙を見直しておくように」
   ビザンツ語担当の教官は厳しい語調で言い放つ。語学のなかでもビザンツ語は必修科目だから、50点未満の学生には再試験が課せられることになっていた。教官は再試験者の名前を読み上げて、再試験の日時を告げた。
   これでほぼ全てのテストが返ってきた。あとはこの次の時限の用兵学のテストを残すのみだった。
「最高点はジャン・ヴァロワ士官候補生、99点だ」
   周囲がざわめきを帯びる。またあいつか――と囁く声が聞こえて来る。
   これまでのテストの点数は全て、俺が最高点を採っていた。我ながら良く頑張ったと思う。毎回の授業もきちんと聞いていたし、理解できるまで徹底的に勉強した。その成果が点数となって表れたのだろう。
   ジュニアスクールや高校の時とは大違いだと、内心で何度苦笑したことだろう。
   ビザンツ語の授業が終わると、用兵学の授業となる。士官学校らしい科目ではあるが、面白さも感じていた。兵をどう動かせば、勝利を得られるか――また、不利な立場となるか――意外にもその理論は興味深くて、授業以外でも用兵に関する本を読むようになった。試験もおそらく九割以上の点数を得られたと思う。
   だが流石に、この科目では最高点を採ることは出来ないだろう。既に三年間用兵を学んできた幼年コースの学生が居るのだから。
   用兵学の教官は入室すると、厳しい口調で言った。
「先に言っておく。今回の試験は点数の良い者と悪い者とで大きな差が出た。士官となる者が用兵学を苦手とするということはあってはならないこと――よって、60点未満の学生はこれから読み上げる課題について、レポートを提出すること」
   教官はテスト用紙の束を手にして、さらに言い放った。
「点数順に返却する」
   ざわっと教室中がどよめいた。その方法では他人の点数はほぼ明らかとなってしまうではないか――。
   点数の高い者から返却されることになった。最高点は幼年コースに所属していた学生に違いない――そう考えていた。
「最高点100点、ジャン・ヴァロワ士官候補生」
   意外なことに――。
   どうやら満点だったらしい。自分自身で驚きつつ、解答用紙を受け取りに行くと、教官は頷いて言った。
「よく書けていた。唯一、何も不足のない解答だったぞ」
   またあいつだ――と囁く声が聞こえた。次点は幼年コース出身の学生で98点だった。80点以上の点数を採った上位5名は俺を除いて全員が幼年コース出身者であり、70点台が5人、残りは全員レポート提出を課せられた。
   その後、構内の掲示板に学年ごとの順位が張り出された。全教科最高点を獲得していたため、間違いなく一位を獲得出来た。学年五位までは成績優秀者と認定されるから、後期からは奨学金が貰えるだろう。思い切り本を買うことが出来る――。


「失礼します」
   バルトリ教官の部屋に本を返しに行き、また借りてくるのは毎週末の恒例となっていた。バルトリ教官はいつも快く部屋に招き入れてくれ、本を貸してくれる。そうするうちにバルトリ教官とは親しくなっていった。
「試験も終わって他の学生達は羽を伸ばしているようだが、君は出掛けないのか?」
   揶揄めいた口調で、しかし笑みを湛えた表情でバルトリ教官は言った。
「来週からの休暇には帰宅する予定です」
「リヨンだったかな? 遠いから移動も大変だろう」
「ええ。ですが本を読んでいたらあっという間ですから」
「君らしい回答だ」
   バルトリ教官は笑いながらそう言って、好きな本を持って行きなさい――と告げた。その言葉に甘えて、書棚に眼をやる。
「ところで、どの教官も君のことを誉めていたよ。幼年コース出身者ではないのに、全教科最高点を獲得するなどこれまで無かったことだ」
「運が良かっただけですよ。自信の無い回答もありましたし……」
「体技も優秀だそうではないか。正直に言うと、私は意外だったぞ。文学を好む人間は運動の苦手な者が多いからな。私もそうだが……」
   苦手分野を得意科目でカバーしたものだ、とバルトリ教官は懐かしむような表情で告げる。士官学校で課される体技は高校の頃と段違いの随分きついものだった。マラソンといえば十キロは当たり前、護身のための組み手は休憩無しの一時間、腹筋や腕立て伏せは毎日百回――。
   子供の頃から体力はあったし、工場の中を走り回って遊んでいたこともあって、運動神経には自信があった。まさかそれが役に立つとは思わなかったが――。
「用兵学の教官も普段は滅多に人を誉めることのない方だが、君のことを優秀だと言っていたよ。このまま頑張れば、入省時には参謀本部から声がかかるかもしれんぞ」
   参謀本部――か。
   他の者達ならばそう言われて喜ぶのだろうが――。
「……先生のように士官学校に勤務するにはどうすれば良いのですか?」
   バルトリ教官は眼を見開き、動きを止めて私を見つめた。
   バルトリ教官と会い、そして士官学校に文学を担当できる教員の職があることを知った。帝国大学に入学出来ないと解った時、一度は断念したのだが、文学に携われる職が士官学校にもあるのなら、其方の道を志したいと考えた。
「……士官学校教官職は出世コースからは外れた選択だぞ」
「私は出世よりも少しでも文学に携わる職に就きたいのです」
   率直にそう答えるとバルトリ教官はさらに驚いた様子で言った。
「入省時は本部の人事が卒業生を陸軍と海軍とに分けたうえで、その学生の能力と適性によって配属先を決める。本人の希望が提出出来るのはその後……、配属先から転属願を出して受理されれば……ということになるな。士官学校への転属願はあまり聞かない話だ」
「では先生も陸軍か海軍に所属を?」
「元々は海軍に所属していた。今となっては基礎教養課程の教官だから、あまり関係無いがな。たとえば用兵学の教官は陸軍と海軍二人居る。一年生は陸軍の教官から、二年生は海軍の教官から用兵学を学ぶことになっているんだ。……しかし君は優秀なのに……」
   理解出来ないとでもいう様子でバルトリ教官は俺を見つめた。
「先生、この本をお借りしても良いですか?」
「勿論。ところで前回の本はどうだった? 原書だから時間がかかっただろう」
「はい。でも原書だから表現が多様化しているのが解って、特に第三章のくだりが……」
   感想を述べると、教官は頷きながらそれを聞いてくれた。前回借りた原書はビザンツ語で書かれており、何度も何度も辞書を引いて読んだ。バルトリ教官にそれを告げると、彼は一冊の辞書を取り出して俺に差し出した。
「この辞書を使うと良い。版が古いが、この辞書が一番良い」
「奥付きを控えて良いですか?」
   ポケットからペンと紙片を取り出すと、教官は君にあげるよ――と言った。
「え……? ですが、それでは先生の辞書が……」
「自宅にもう一冊ある。使い古したものだが、良ければ使ってくれ」
「ありがとうございます」
   原書用の辞書の存在は知っていた。だが高価でなかなか手が出せないものだった。
「それから……、これは休暇後には君にも報せがあることなのだが、後期の成績優秀者に選ばれることが内定している」
「本当ですか……!?」
   身を乗り出して問い掛けると、バルトリ教官は頷いて、まだ内定段階だがな、と念を押して言った。
   まだ手放しで喜ぶことの出来る段階ではないが、内定だけでも嬉しかった。


[2011.12.19]