「本気か、ジャン」
   父と母に士官学校に進学することを考えていることを告げると、父は深刻な顔で聞き返してきた。
「悪い選択ではないかなと思って。意外なことに、文学や語学も勉強出来るんだ」
「卒業後は軍人とならなければいけないのだぞ? その点も解っているのか?」
「最低十年勤めれば、学費を返せとは言われないみたい。十年間は軍務省で働いて、それから転職するかどうか考えるよ」
「今は平和だとはいえ、戦争があったら戦地に赴くのだぞ?」
「解ってるよ」
「……軍は階級社会だ。おまけに旧領主層のいる社会だと解っているか? 旧領主層に無条件で頭を下げることがお前には出来るのか?」
「そこまで心配すること無いよ。軍人だって旧領主層だけという訳じゃないんだから」
「ジャン。軍はなかなか難しい社会だぞ」
「俺は出世には興味無いんだ。ちゃんと自分に与えられた仕事をして、評価してもらえれば良い。万年佐官だって構わないよ」
   父は溜息を吐いて、本気なのか――ともう一度問い掛けた。
「悪い選択肢ではないと思ったから、俺は士官学校に行くよ」
   父と母は顔を見合わせ、困ったような表情をした。私としてはリヨン大学に行ってほしかった――と父は言って、それから顔を上げた。
「しかしお前が士官学校を選択するなら、反対はせん。……だがな、ジャン、これだけは頭の中にいれておきなさい。世の中には不条理なことだらけだ。特にお前が進まんとする軍人の道はな」
   この父の言葉を後になって何度も思い返すことになるとは、俺は予想もしていなかった。
   翌日になって、大学に連絡をいれて、士官学校への入学の意向を伝えた。同日中に士官学校から連絡が入り、入学を許可する書面と書類を一式送付する旨が告げられた。





「入寮手続きは以上です。寮は二人一部屋が原則で、貴方の部屋は……」
   入学式は明日で、その前日に入寮手続きを行った。士官学校は全寮制で、規則正しい生活を求められる。全校約四〇〇名が在寮しているとなると、一人当たりの部屋は狭いのだろう。そう覚悟しながら部屋に向かった。階段を上り、部屋番号を確かめて、入室する。扉を開けると、意外な光景が広がっていた。
   部屋の両角に机がひとつずつ、中央に大きな書棚がひとつ、真ん中にはソファまである。
   てっきり寝室だけかと思っていたのに――。
   この部屋の奥と手前に扉がある。手前の扉を開けると、寝室があった。ベッドが二台置いてあり、決して狭い部屋でもない。また奥の扉を開けると浴室があった。其処も広く綺麗だった。
   寮と名乗るわりには随分贅沢な部屋のような――。

   コンコンと扉が叩かれた。それに応えると、扉が開く。もしかして同室の学生だろうか。
「新入生!」
   眼鏡をかけた学生がそう呼び掛けた。まだ名乗っていないから新入生と呼ばれても仕方が無いが――。
「あ、はい」
「今夜七時、新歓パーティを開くから、必ず参加するように。部屋はこの一番先の部屋だ。ところで名前は?」
「ジャン・ヴァロワです」
「俺は二年のワレリー・アイクだ」
   彼は名乗ると、同室の奴にも伝えておいてくれ――と言って、部屋を後にした。
「七時といっていたな……」
   今は午後四時前で、まだ時間はたっぷりある。荷物を整理するといっても、大した荷物は持ってきていない。気に入りと読みかけの本を数冊と、衣類、あとは日用品だけだ。一時間ほど、外を出歩いて来よう――。
   部屋を一歩出ると、俺のように荷物を持って寮にやって来る学生の姿を何度も見かけた。驚いたことには、高級車で学校前までやって来て、付き添いの者に荷物を運ばせている学生も居た。もしかしたら旧領主家の子息なのかもしれない。
   そうした同じ学年の学生達を見遣りながら、士官学校を出る。この近辺の本屋を探しておきたかった。士官学校へ来る道すがら、商店街が見えた。そちらへ行ってみることにした。

   しかし、どうやら俺の考えは甘かったようだった。歩いても歩いても、商店街に到着出来ない。もしかしてバスを使わなければならないような距離だったのだろうか。そんな風にも感じなかったが――。
   辺りを見渡してみたが、頼みのバスも一本も見ていない。駅から此方に向かう時は、バスの本数など考えもしなかったのに。
「君、新入生か?」
   寮に戻ろうかどうしようか悩んでいたところ、背後から声をかけられた。スーツを纏った中年の男性だった。
「あ、はい」
「道に迷っているようだったから声をかけたが、やはり新入生か。何処に行こうとしている?」
「本屋を探しているのです。此処に来る時に商店街が見えたので、其処にあるだろうと……」
「熱心な学生のようだな。教科書の類は明日、配布予定だが?」
「あ、いいえ。教科書ではなく……」
「雑誌や娯楽本なら、近くの商店街には無いぞ。あちら側の道を進んだところでバスに三十分程乗ったところにある大きな書店に行くことだ。この先にある書店は文学や歴史の専門書が豊富だが、あまり学生は行かないな」
「……文学書が豊富にあるのですか……?」
   思わず問い返した。するとこの男性は驚いた様子で、文学に興味があるのか――と聞き返してきた。
「あ……。はい。色々な物を読んでみたくて……」
「もしかして……、帝国大学の文学部に合格していた学生か? 一名だけ、士官学校に入学すると聞いていたが……。確か名前は……」
   俺以外は希望しなかったのか――。その事実を今、初めて知った。
「はい。ジャン・ヴァロワです」
   そう応えると、彼は満足そうに笑みを浮かべて、手を差し出した。
「そうか。こうして会えるとは奇遇なことだ。私は士官学校で文学の講義を担当しているベルナルド・バルトリ少将だ。文学に興味を持つ学生が入学してきてくれて嬉しいよ」
   文学関係の講義の担当教官――。
   文学の講義を楽しみにしていた俺にとっては、嬉しい出会いだった。
「確か文学部の合格者のうち、上位五名に士官学校への特別入学を許可したんだ。二、三名入学してくるかと思っていたのだが、君一人だけでね。いやはや、こうして講義前に出会えるとは思わなかった。君はどういったものが好きなんだ?」
「活字であれば何でも読みますが、特に好みなのは惑星衝突前の古典籍です」
「ほう。語学の方はどうだ? 帝国大学を受験するぐらいだから、優秀には違いないが、原書には興味無いか?」
「語学はビザンツ語以外は勉強したことがないのですが、原書には興味があります。古典籍を原書のまま読んでみたくて、文学部を受験しました」
「士官学校の上級士官コースでは、希望すれば希望するだけ語学を学ぶことが出来る。将官となった時、ある程度の語学力は必要となるからな。他の科目もあって殆ど暇などないだろうが、出来るだけ語学を身につけなさい」
「希望すればどんな語学でも勉強出来るのですか……?」
「ああ。担当教官は帝国大学から依頼するんだ。そして、一人でも講義は開講される」
   それは知らなかった。
   語学は勉強したいと思っていた。好きな本の原書を読みたかったから――。
「古典籍が好きだと言ったな。なかなか高価なものだからそう何冊も買えないだろう。私の本を貸すから、いつでも教官室を訪ねなさい。部屋は……」
   教官の教えてくれた部屋番号を頭の中に刻み込む。俺にとってはこんなに良い話は無かった。
「ありがとうございます」
「それから、君好みの書店はこの近くの書店だ。此処から見えるあの橋を渡って、左折しなさい。その先に商店街があって、古い構えの書店がある。古典籍から現代作まで品揃えは豊富だぞ」


[2011.12.14]