「我々は暁の狼だ。ハノーファー駅を占拠した。これから我々がひとつずつ要求を出す。それに応じない場合は、人質を一人ずつ処刑する」
   暁の狼――。
   道理で言葉が南部訛りの筈だ。
   彼等は以前にもテロ行為を起こしたことがある。南部出身者の多いテロ集団で、彼等は自治区の設立を求めて暴挙に及ぶ。以前のテロでも20人を超える民間人が犠牲となった。
   あれは南部都市でのテロだったと記憶しているが、今回は北部第一の都市とされるこのハノーファーを狙ったのだろう。おそらく死者も前回に匹敵する。
   これ以上の犠牲を増やしてはならない。
   今の俺に出来ることは何だろう――。

   丸腰のまま、此処に乗り込んで来たのは迂闊だったか。援軍を待った方が良かったのか。
   だがおそらくそうしていたら、間に合わない。
「其処の女、立て!」
   犯人の一人が俺の側に座っていた女性に命じる。先程、声をかけた女性だった。彼女は脅えた顔で俺を見る。
「さっさとしろ!」
「私が身代わりになる」
   酷く脅えた女性をみると、一刻の猶予も残されていないように思えた。俺が此処に入ってから三十分は経っている。ハノーファー支部に連絡が入って、第一陣は此処に到着しているだろう。アントン中将も気付いて此方に向かっているだろうか。
「ならば二人ともだ」
   此処は無闇に彼等に逆らわない方が良いだろう。彼女に大丈夫、とそっと囁いた。足が震えて立ち上がれない様子だった。その女性を犯人は乱暴に拘束する。
「英雄気取りだろうが、貴様は見せしめとして一番目の犠牲としてやろう」
   銃口を突きつけられる。落ち着け――と自分自身に言い聞かせた。流石にこの状況下では心臓が大きく鳴っていた。
   このまま引き金を引いたらどうなるか――そのことばかり考えてしまいそうになる。必死にそれを頭から追い払った。
   どう動けば良いか。
   この場に犯人は五人居る。駅構内を見回っている者も居る筈だ。おそらく数は14、5人――少なくとも10人以上は居る。対して、俺は丸腰でたった一人だった。
   だが、地の利において有利な点がある。此処は柱が多く、巧みに動けば銃弾を遮蔽出来る。ただし、此処に居る五十人の民間人をどうやって守るか――。
「これからひとつめの要望を読み上げる。聞き届けられない場合は、一人ずつ人質を処刑する。まずは我々が本気であることを示すために、此処に居る男を手始めに処刑する。よく聞け、帝国軍の犬ども!」
   男がぐいと俺の身体を床に押しつける。帝国軍の犬ども、と声明を放った男は言った。
「お前、名前は何と言う?」
「……帝国軍が救援に来ているのか」
「何も出来ずに外で右往左往しているところだ。助けを待っても無駄だ」
「そうか……」

   先程、俺はアントン中将に連絡をいれた。おそらくアントン中将は俺からの連絡を待っているのだろう。中の状況を伝えると言い残しておいたのだから。
アントン中将は外に居る。俺からの連絡を待っている筈だ。
   ならば――。

「早く名前を言え」
「……陸軍ハノーファー支部司令部指揮副官ジャン・ヴァロワ大佐だ。全隊に突撃を命じる!」
   勢いよく身体を跳ね上げて、男の鳩尾に肘鉄を食らわせる。男が怯んだところで、その拳銃を手に取る。側に居た犯人に向けて、銃を三発撃ち放つ。
「貴様……ッ!」
   立て続けに拳銃を撃ち放つ。ライフルを持った男二人を撃ち、それから残りの犯人に向けて撃ち放つ。此処に居た五人はこれで戦闘不能となった。残るは見張りの者達と――。
「すぐに救助が来ます。このまま体勢を低くして待って下さい」
   人質となった民間人に告げると、彼等はすぐさまそれに従った。
「ヴァロワ大佐!」
   支部の少将達が駆け付ける。その背後には、アントン中将の姿もあった。
「犯人の捕縛を」
   アントン中将は少将に命じてから、民間人の救出を准将に命じた。そして、俺に向き直る。
「よくやった。連絡が無いから案じていたが、怪我は無いようだな」
「はい。申し訳ありません。携帯電話を粉砕されてしまって……」
「この状況では仕方無い。人質に被害が無かっただけ良かったというものだ。まだ被害状況の詳細は解らないが……」
「被害状況の確認に行ってきます」
   アントン中将に告げてからこの場を去ろうとすると、待て、と制された。
「既にベレ少将に命じてある。君は私と共に支部に戻り、詳しい報告を頼む」


   結局この日、職務を終了したのは日付が過ぎてからのことだった。母に連絡すると、まだ起きているとのことだったから、ホテルへと向かった。母は駅の中に入った俺のことを心配して、ずっと駅前に居たらしい。駅から俺の姿が出て来たのを見届けて、ホテルに向かったとのことだった。
「でも無事で良かったわ。いつもあんなに危険なことをしているの?」
「今回ほどではないけどね。一応、テロ組織担当だし……」
   この日は深夜まで母と話をした。疲れてはいたが、久々に母の姿を見たら安堵して、疲れも吹き飛んでしまった。
   翌日は報告書を作成し、定時で仕事を終わらせてもらった。駅前で母と待ち合わせ、母の希望通り、寮へと案内した。片付けておいたから小言を言われることもないだろう――そう思っていたのに。
「ジャン。本が好きなのは解るけど、読んだ本は処分しなさい。これでは足の踏み場も無いじゃないの」
   結局、いつもの小言を言われてしまった。
   それに今回、母は何気なく帝都への異動は無いのかと尋ねてきた。確かにこのハノーファーはリヨンから遠いから、母も心細く感じているのかもしれない。
   俺としてはこのハノーファーのアントン中将の許に居たいが――。
   機会があったら、帝都に行くべきなのか――。
   ふとそんなことを考えてしまった。


[2012.6.15]